鈴木佳秀『旧約聖書の女性たち』教文館、2009年
- ign117antjust165ma
- 2025年12月8日
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今回は鈴木佳秀先生の『旧約聖書の女性たち』を紹介します。旧約学者の鈴木佳秀先生は、世界の旧約学の主流派の立場に立ち、旧約聖書の五書資料説を受け入れながら旧約聖書を読む方です。旧約聖書の最初の五つの書物(創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記)をモーセ五書と言いますが、五書は伝統的には主に古代イスラエルの指導者モーセによって編集・執筆されたと信じられてきました。しかし啓蒙思想の影響や近代歴史学・宗教史学の発達などによって、19世紀以降、旧約聖書学者たちの多くは伝統的な見解を離れるようになります。特に19世紀後半にユリウス・ヴェルハウゼンなどによって提案された五書資料説が広範囲に影響を与えるようになって以来、この五書資料説に基づいてモーセ五書などを読むことが、現在に至るまで旧約学の主流となっています。
五書資料説を支持する人々は、モーセ五書が主に四つの資料に基づいて成立したと考えています。最古の資料は、ヤーウェという神の名前が使用されている箇所にその痕跡を求めることができ、ヤハウィストと呼ばれます。神の名をエロヒームとしている箇所はエロヒストと呼ばれる伝承資料によるとされます。神の名前が異なっているということは、それらの背後にある異なる二つの資料も本来異なる神についての宗教を伝える文書であったと推測されます。さらに申命記は、主に紀元前7世紀のヨシヤの改革の時代に発見されたとされる文書に基づいており、旧約聖書の列王記に至る歴史書の著者・編集者たちと同じグループの人々によって、恐らくはバビロン捕囚の時代に執筆・編集されたと推測されています。五書の資料の中で祭司階級によって伝承され、最も新しい時代に成立したと推定されている祭司典(P資料)と呼ばれる資料もあります。資料説によれば、これらの資料はそれぞれ異なる時代に書かれ、伝承の過程で徐々に統合され、最終的に現在のモーセ五書が成立したのは紀元前4-5世紀頃ではないかと推測されるようです。一般の書店でも販売されているような旧約聖書に関する書物のほとんどは、この五書資料説やこれと関連する学説に基づいて書かれていると言えます。
五書資料説は、進化論的な発想に基づく宗教史観と近代歴史学における資料批判の方法に基づいて成立・発展した学説だと思います。近代歴史学における資料分析は資料批判の基本的な作業の一つです。その具体的な方法については、20世紀フランスの歴史家マルク・ブロックの『歴史のための弁明』という本の中で解説されています。ブロックは確かこんな例をあげていました。仮にナポレオンが敗北したワーテルローの戦いについて証言する文書が、別々の二人の人物によって書かれたとします。残された二つの資料をそれぞれ資料Aと資料Bと呼ぶことにします。この資料Aと資料Bに仮に極めて類似した記述・報告が双方に含まれているとすれば、この類似した記述・報告が二つの異なる資料に存在するようになった理由の説明には、三つの可能性しかありません。資料Bが資料Aを模倣したか、資料Aが資料Bを使用したか、あるいは資料Aと資料Bに共通する資料が存在しており、両方がこの先行する共通の資料に依拠していたか。これら三つの可能性しかない。これが歴史学における資料批判における重要なルールです。このような資料批判の方法が認識されるようになってから、聖書学者たちもこの歴史学的な方法を聖書のテキストに応用するようになった訳です。複数の別々の聖書テキストの間に類似性が認められる場合、いずれかが他方を参照した可能性を考えることが難しければ、その類似性を生みだした先行する資料の存在の可能性を想定するようになったのです。
ただ一般の歴史学をかじったことのある者から見ると、旧約聖書学者が、五書の背後に存在していたと推定する文書資料の根拠として聖書テキストの中に見出している類似性は、一般の歴史学における資料批判の方法が想定している共通性・類似性と比べると、かなり類似性の希薄なテキストについても背後に存在した資料の可能性を強引に想定してしまっているように見受けられます。旧約聖書学における五書資料説は、その学説が広く受け入れられている割には、蓋然性はそれほど高くはないのではないかというのが、私の個人的な立場です。
しかし鈴木佳秀先生は、旧約聖書学の主流派の人々が提案している資料仮説を受け入れてモーセ五書を読んでおられています。ですから例えばヤハウィストに由来する箇所と、祭司典(P資料)に由来する箇所では、その文書資料が成立・伝承された時期や背景となる文化や社会において、前提となっていた家族制度やジェンダー理解が異なっていたという立場で書いています。鈴木先生によれば、五書の資料の中で最も古いとされるヤハウィストには、家父長制よりも古い母系制社会の痕跡が認められるとされています。ですから旧約聖書の諸文書を、全て単純に古代の家父長制を前提として書かれた文書であったとは断定できない面があるということになります。
私自身は、最初に学んだ神学校で旧約聖書学のトレーニングを受けた際、五書資料説を受け入れない立場の旧約学の先生から教えられ、旧約学の主流派とは一線を画する読み方を教えられました。上述の資料批判に関する考え方と共に、今も基本的には最初に教えられた方法に基づいて、五書資料説とは距離を置きつつ旧約聖書を読んでいます。ただそれでも以前よりは、そのような立場や方法論に対して閉鎖的ではなくなりました。五書資料説に立つ旧約聖書学者の研究からも学ぶことはできると考えるようになっています。
一部の保守的な旧約聖書学者や神学者の中には、モーセ五書に関して、それらがキリスト教会の正典の一部でありながら、モーセの著者性を否定して資料分析を行うという行為は、神の言葉である聖書に対する畏敬の念を欠いた不敬虔な聖書の読み方であると考える人々もいると思います。このような立場の人々は、イエス・キリストが五書をモーセによる著作と認める発言を新約聖書でなさっている事実を重視します。イエスの証言にもかかわらず、モーセの著者性を否定するということは、新約聖書のイエス・キリストの言葉が誤りであると見做すようなことであり、到底受け入れられないと考えるのでしょう。キリスト教信仰において伝統的な信仰や神学を守りつつ旧約聖書を読むという立場は、当然のことながら、一つの信仰上・神学上の立場として敬意を払われなければなりません。ただイエス・キリストは、単に一世紀のユダヤ教の慣例に従って、五書をモーセによると語っていたに過ぎなかったのかもしれません。また正典である聖書に歴史学的分析を行うことも、必ずしも不敬虔な行為と断定することはできないと思います。ちょうどイエス・キリストが、神の御子であると同時に人間でもあられたと私たちが信じるのと同じように、聖書もまた、神の言葉であると同時に人間によって執筆・編集された書物でもあると受け入れることは、歴史的キリスト教信仰に立つ近代人の聖書解釈の一つの立場として尊重されるべきものだと思います。ですから人間によって執筆・編集された聖書テキストの形成過程を歴史学的に分析し、聖書のテキストに資料批判の方法を適用すること自体には問題はないと思いますし、それによって聖書テキストの意味の理解や解釈が広げられ、深められるのであれば、そのような分析や研究は積極的になされるべきだと私は考えています。
五書資料説に対して閉鎖的である必要はないと考えるようになった一つの理由は、2005年から数年間、英国ダラム大学の神学・宗教学部で学ぶ機会が与えられたからです。ダラム大学で2年目のことでしたが、同大学を会場に「律法(トーラー)の授与」をテーマとする研究会が開催されました。この研究会の基調講演で、ハーバード大学のユダヤ教学者であったジェームズ・クーグルの講演を聞きました。講演の中でクーグルは、現在にまで至るユダヤ教的律法遵守の伝統の起源について説明されていたのですが、彼はその起源が士師記に反映されている古代イスラエルの部族連合国家の時代に遡るとの立場を受け入れていました。部族連合の統合のために、十戒のような法規範が古代イスラエル社会で受け入れられるようになったのではないかと推測する立場です。これは五書資料説を全面的に肯定する見解という訳ではありませんが、少なくともクーグルは伝統的な見解、すなわち十戒がシナイ山でモーセに与えられたとか、五書の大半がモーセによって書かれたという見解は受け入れておられなかったことがわかります。
クーグルがこの講演の中で話しておられたことで一つ印象に残っていることがありました。それはモーセ五書によれば、モーセの時代以後、古代イスラエル社会には、高度に制度化され、祭司階級を中心に実践された宗教、またその宗教的慣習に基づく共同体が存在していたかのように描かれているけれども、例えば紀元前10世紀のダビデ王の生きた時代に、そのような律法に基づく制度化された宗教が存在していたとは考えにくい面があるということです。
確かに旧約聖書の歴史書を読むならば、クーグルの指摘には一定の妥当性が認められることは否定できません。モーセ五書以降に書かれた文書にも、もちろんモーセ五書に記されている律法への言及や、五書の律法の法規範の内容に基づいて執筆されたと推測できる箇所は決して少なくはありません。けれども、新約聖書時代のユダヤ教の世界に見られるような厳密で精緻な律法の解釈に基づく体系的な宗教が、ダビデ王の時代などに果たして存在していたのかと問われると、明確に答えることは難しいように思われます。もしモーセ五書が、既にダビデ王の時代に、後代と同じような形で存在していたとすれば、どうしてダビデ王の時代の人々の律法に関わる振る舞い方と、後代のユダヤ教の人々の律法に対する姿勢との間に落差があったかのような印象を受けるのでしょうか。モーセ五書の内容が、ダビデ王の時代にもある程度知られていた可能性は否定できないとしても、現在のモーセ五書と全く同じ聖典が宗教的な実践のための権威ある文書として既に尊重されていたのかどうかについて、今のところ学問的に立証することは誰にもできません。そうであれば現在私たちが知っているのと同じモーセ五書が、ダビデ王の時代にも全く同じ形で存在していたとは考え難いという立場をとることも、研究者や神学者の立場としては当然あり得るのだろうと思います。
モーセ五書がいつ誰によって執筆され、どのような形で伝承され編集されたのか、ということについて、ダラム大学の旧約学者ウォルター・モーブリーが、その著作の中で、学問的には「わからないとしか言えない」と書いておられました。モーブリー自身は、旧約学主流派の五書資料説を受け入れていた訳ではないのですが、歴史学的・聖書学的にはモーセ五書がいつ誰によって書かれ、どのように伝承されたのか、という問いに関して、旧約学者の間で疑問の余地のなく一致されている答えというものは、残念ながら現時点では確立されていないのだということを認めているのだと思います。そして私もモーセ五書の成立がいつどのようなものであったのかは、学問的には「わからないとしか言えない」と考えています。
勿論、五書資料説は依然としてあくまでも仮説に過ぎません。なぜなら上記の四つの資料の存在を明確に裏付ける聖書外の証拠と言える文書は未だに発見されていないからです。五書資料説は、旧約聖書の生成過程をある程度説明していると思われる面もありますが、五書資料説に基づく説明は、研究者の意見として聞く価値はあっても、それをあたかも定説のように受け入れる必要はないと思います。現代の我々が、五書のかなりの部分はモーセによって書かれたと想定して読み続けるということも、その史実性を厳密に問うことは難しい面があることも否定はできませんが、依然として有効な解釈方法の一つであると個人的には思います。そういう意味で、私は鈴木佳秀先生とは旧約聖書の読み方が異なっています。
それでも、鈴木先生が採用されているような異なるアプローチによって書かれた旧約聖書についての本書から、教えられることは決して少なくありません。
例えば最初の女性とされるエバに関して、この本は興味深い解釈を提案しています。創世記2章によれば、神は最初に男性アダムを創造したが、しばらくの間、アダムは一人でエデンの園で生活をしていたとされます。そして神は、アダムのパートナーとして最初の女性エバを創造するのですが、エバはアダムの肋骨から造られたと説明されています。現代人からすれば荒唐無稽な説明のように思われる面はあります。ただ創世記の著者がこのような説明を行った理由はある程度理解することができると思います。伝統的に説明されて来たように、男性の肋骨から作られたという説明には、女性がどちらかと言えば男性よりも安全や安心を求める傾向があることを暗示する面はあると思います。同時に古代人にとって、女性は神秘的な存在と受け止められることが多かったことでしょう。なぜなら人間の命は女性の胎内から誕生するからです。女性の体には生命を生み出す不思議な力が宿っていると考えられても不思議ではありません。古代社会における母性の神格化や女神崇拝などは、このような古代人の素朴な女性観と関連していた面もあったことでしょう。しかし創世記の著者は、読者が異教的な女性観を持ってしまうことがないように、エバの誕生に関してこのような説明をした可能性もあると思います(74頁)。
また本書を読みながら、私は創世記4章でセツという名前がエバによって名付けられたということに気付かされました(101頁)。神の命令に叛いて堕落し、エデンの園を追放されたアダムとエバは、神の約束を信じて子供が与えられることを願いました。というのは創世記3:15で、神はエバの子孫が蛇の頭を打ち砕く、つまり人を堕落させた蛇に対する復讐を予告されていたからです。これは人を罪に陥れる誘惑者・悪魔の存在をこの世界から排除する救いの御業を、将来エバの子孫が成し遂げることを予言したものであり、キリスト教徒は伝統的にイエス・キリストの十字架による救いの御業を指し示す最初の予言だと解釈して来ました。そのような予言的な約束が与えられていたので、アダムとエバは子が与えられることを願い、カインとアベルという二人の兄弟が誕生します。カインは畑を耕す者となり、アベルは家畜を飼う者となったとされます。二人が神に献げ物を献げた時、神はアベルの献げ物には目をとめたが、カインの献げ物には目をとめませんでした。それで怒ったカインは、何とアベルを殺してしまったとされています。しかもカインの子孫からはレメクという暴力的な人物が誕生します。創世記によれば彼は一夫多妻制を最初に導入した人物として描かれています(4:17-24)。しかしその後、アダムとエバにもう一人男子が誕生しました。エバはその子供にセツという名前をつけます。名前をつけるという行為は、旧約聖書においては重要なこととされます。その人物の人格や性格を方向づける意味を持つと考えられていたからです。セツという名前は、この子供が神から与えられた子であるというエバの信仰に基づいてつけられた名前でした。セツと同じ語根の動詞に「与える」という意味があるからです。さらにセツに男子が生まれ、エノシュと名付けられます。エノシュは男性の人を意味するヘブライ語の普通名詞でもあります。ヘブライ語で男性を意味する単語は他にもイーシュ、アダムなどがありますが、エノシュという名詞は、特に弱さを抱えた人間を表現する場合に用いられるそうです。そしてセツとその子孫から、神に祈ることが始められたのでした。つまり弱さを自覚しつつ、神に信頼して生きる人々が、セツの子孫を通して生じるようになった。創世記はそのように記述しているのです。そして最初の女性エバはそのことに関与していました。ということは、創世記の著者は、女性であるエバも、男性のアダムと同様に、主体的な信仰者として生きる存在として描いていると解釈することができます。そのような解釈に導かれる上で『旧約聖書の女性たち』はヒントを与えてくれました。
名前をつけるという行為に女性が関与したという記述は、創世記21章のイサクの誕生記事にも認められます。イサクはヘブライ語でイツハークですが、これは「笑う」を意味するツァーハクという動詞に由来する単語です。アブラハムの一人息子がなぜ「笑い」と関連する名前になったのかは創世記18章と21章にその逸話が書かれています。創世記12章によれば、神は、メソポタミア北部のハランという町にいたアブラハムに、ある時直接メッセージを送られ、ご自身が示す場所に移住すれば、彼とその子孫を祝福するという不思議な約束を与えられました。この約束を信じてパレスチナに移住するところからアブラハムの物語は始まります。族長であり資産家でもあったアブラハムには、相続人となる嫡出子がまだ与えられていませんでした。それにも関わらず、神はアブラハムの子孫への祝福も約束されていました。それでアブラハムは、正妻のサラを通して男子が与えられることを願っていましたが、なかなか与えられませんでした。それでサラは、自分の所有する女奴隷のハガルという女性を通してアブラハムによる子供が与えられることを願い、その結果イシュマエルという子供が与えられます。ところが、この子は、神がアブラハムの子孫として想定していた子供ではありませんでした。その頃、神の御使い三人がアブラハムのもとを訪れます。そのうちの一人はこう予告しました。来年の今頃、サラを通して男の子が与えられている。その話を聞いたサラは、高齢の自分にはあり得ないことと考え、冗談だろうと思って笑うのですが、神の御使いは、神のメッセージを信じないサラを叱責するかのように「あなたは笑った」と指摘します。サラは罰が悪くなり、笑ったことを否定しました。ところが驚くべきことに、この御使いの予告通りにサラは男の子を出産するのです(創世記21:1-6)。この時、名前をつけたのはアブラハムでしたが、「イサク」という名前を付けることを願ったのは、おそらくサラの方だったのでしょう。あえて不信仰であった自分の記憶を想起させるような名前を子供につけるというのは、日本人の感覚からすると不思議なことですが、これは旧新約聖書が全体として教えている「悔い改め」の姿勢を暗示する名前だと言えます。サラは自分の息子の名前を呼ぶたびに、神の御使いのメッセージを信じることができなかった不信仰な自分のことを繰り返し思い起こし、謙遜さを深めることになったかもしれません。世間体や体面を重んじる東アジア文化圏の人々には理解困難なことかもしれませんが、聖書はそのように「自虐的」ともとられかねない姿勢や言動が、むしろ神の前に謙った人の姿を示す面があると教えているのだと思います。サラがイサクの名前をつけることに関与していたことに気づかされたのも本書を通してでした(117-18頁)。
旧約聖書の歴史書サムエル記第一の冒頭には、サラと同じように不妊に悩んだ旧約聖書の女性の一人として、預言者サムエルの母ハンナが登場します。アブラハムの妻サラと共に、古代イスラエルの信仰の歴史の中で重要な役割を果たした女性です。恐らくハンナは夫エルカナの正妻でしたが、ハンナに子供が与えられなかったために、エルカナはやむをえずペニンナという女性も妻に迎えたのかもしれません。エルカナは恐らく裕福な人物であり、その財産の相続人を必要としていたのでしょう。第一サムエル1章によれば、エルカナの家族は、毎年神の幕屋のあるシロに赴き、そこで神を礼拝し、犠牲を捧げた後、宴席を設けるのが慣例でした。しかしこの宴席はハンナにとって辛い思いをさせられる時でもありました。その場所では、エルカナの家族が一同に会し、ペニンナの息子・娘たちの存在を否が応でも認識させられる機会であったからです。しかもペニンナは、ハンナの感情を逆撫でするような仕打ちさえしていたようでした。ところがハンナは、そのような辛い経験をしていても、自分に辛く当たるペニンナに否定的な感情を向けることはせず、むしろ神の幕屋に言って、そこで神に祈ることによって感情を注ぎ出していたました(第一サムエル1:9-11)。そのことにハンナという女性の信仰者としての尊敬すべき姿が示されているのでした。このハンナの信仰の素晴らしさも、私は本書を通して教えられました(227頁)。
これらは本書から教えられた事柄の数例にすぎません。当然のことながら、私は『旧約聖書の女性たち』で鈴木先生がなさっている主張の全てに賛同する訳ではありません。それでも本書の著者が単に五書資料説に立っているというだけの理由で、この本を遠ざけてしまうのはあまり賢明ではないように思われます。聖書観や解釈上の立場が違う著者からも学べることはあるのです。その一つの理由は、仮に立場は違っても、鈴木先生が、どのようにすれば現代の日本人により良く旧約聖書の使信を伝えることができるのかという課題に取り組むという共通の目標を持ちつつ、この書物を書いておられたからであると思います。
とはいえ五書資料説を生み出した思想の一つであるとも言える宗教進化論に関して言えば、これは旧約聖書の宗教やキリスト教信仰とは本来相容れない考え方であることも否定できません。五書資料説における宗教進化論的考え方の影響は、祭司典を最も後代に成立した資料であると推定している点などに認められると思います。
キリスト教信仰は、旧約聖書と新約聖書の宗教が、人類史の中で、ある特定の地域や民族から、複雑な過程を経て、自然発生的に形成された宗教であるとの立場をとるわけではありません。旧約聖書の神は、アブラハムという人物に語りかけ、彼の人生に新しい使命を与え、この人物の信仰による応答を用いながら、人類史におけるご自分の救いのご計画を歴史の中で進めて来られた方である。それが旧約聖書の教えようとする神とその救いです。旧約聖書の神は、ご自身が良しと考えられる方法で、ご自身を人間に啓示される神であり、人間の歴史に関与されてきた方です。もしそうであれば、この神は、原初以来人間が伝承発展させてきた既存の諸宗教とは異質な信仰の伝統を、人類の歴史の中に誕生させることがおできになる方だということになります。しかしながら宗教進化論は、このような神の存在や神の歴史への介入を前提としてはいないように思われます。ですから旧約聖書の宗教の発展を、単純に宗教進化論的に説明しようとするならば、このような旧約聖書本来の神観を無視した自家撞着に陥りかねないのではないでしょうか。聖書の神を信じない人々には受け入れられやすいかもしれませんが、しかし旧約聖書が本来伝えようとしている使信をかなり無視する形でなければ、宗教進化論の前提に立って旧約聖書の宗教を説明することは難しいと思います。
そしてキリスト教信仰も、人類の歴史に関与される聖書の神の存在を信じます。そのような神の存在を最も明確に指し示す出来事がイエス・キリストの誕生とその地上の生涯や御業に認められます。「神の言葉(ロゴス)」とも称される神の御子イエス・キリストというお方の歴史上の存在自体が、救いのための神の啓示です。この方が、創造主なる神のもとから、私たちの生きる人間の世界に遣わされ、救いについての真理を教えられた事実もまた、旧約聖書とともに、聖書の神が人類の歴史に関与される方であることの重要な刻印と言えるのではないでしょうか。




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