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木田元『反哲学史』講談社学術文庫、1991年;『現代の哲学』講談社学術文庫、1991年



 大学に入学した1985年に、一般教育科目で「哲学」を履修しました。講義を担当されていたのが、今回紹介する二冊の著者木田元教授でした。文学部棟の中で二番目に収容人数の多い大教室で講義は行われ、毎回座席はほぼ一杯になる人気のクラスでした。先生はいつも教室に自販機で購入した紙コップ入りの炭酸飲料を持ってきては飲み干すと、紙コップを灰皿代わりにしてタバコをふかしながら講義をされていました。ソクラテスから始めて、プラトン、アリストテレスについて話された後、教父哲学・中世哲学は飛ばして、デカルトからハイデッガーに至る近現代の哲学者を、全て講義ノートなしで紹介されていました。そのクラスの教科書に指定されていたのが、当時はNHK出版協会から刊行されていた『現代の哲学』です。


 今はどうか知りませんが、私が学んでいた1980年代後半の母校の教室は、大学紛争の影響からなのか、教室の机は全て床に頑丈なボルトで締め付けられており、取り外してバリケードを作れないように固定されていました。座面と背もたれが一体で、樹脂でできた椅子は、机の柱に接続されて横に突き出た金属製のアームで支えられていて、座席を離れるとアームの内側に仕組まれているバネの力で椅子が自然に机の下に収まるような構造になっていたのですが、このような仕組みのせいで非常に座り心地の悪い椅子でした。座っているとその座席は、アームの接続されている柱を中心にする形で、不安定に弧の字形にぐらつくので、いつもイライラしながら講義を聴かなければなりませんでした。


 そのイライラする座席に座りながらではありましたが、木田教授の講義を聞くことができたのは母校で得られた貴重な経験の一つでした。しばらく前に『反哲学史』を購入して読んだ所、これが母校の一般教育科目の講義に基づくものであることがわかりました。読みながら、かつて聴いた教授の講義される様子が記憶の中に蘇って来ました。


 木田教授は、大学教授としてはユニークな経歴の持ち主で、当初江田島の海軍兵学校に入学されたのですから、戦前の帝国海軍の将校になるはずだった方です。しかし敗戦の混乱の中で、一時郷里の山形県で闇屋をされたこともあったとのこと。そんな時期にドストエフスキーの小説を読んで哲学への関心を持たれ、東北大学文学部哲学科に入学し、そこでハイデッガー研究を志されたのでした。


 先生が講義の中で話しておられたことは、『反哲学史』の中でも書かれていますが、西洋哲学という知的な営みが如何に風変わりなものであるのかということでした。そしてニーチェやハイデッガーに倣って、プラトン以降の存在論や自然観を克服することが必要であり、西欧的な「造る」思想ではなく、むしろ『古事記』に出てくる「葦牙の萌ゆるが若く」と表現されているような、事物が「成る」自然観を取り戻すことが、西欧近代思想の行き詰まりを打破する鍵であると考えておられたようでした。


 木田教授は、西欧的なものを全て拒否する方であったのかと言えば、決してそうではなく、マルクス主義の影響も受けていた方のように思われます。講義の中でもマルクスの『経済学・哲学草稿』におけるマルクスの初期の哲学的洞察を高く評価されていました。少し飛躍になるかもしれませんが、思想的には、ちょうどスタジオ・ジブリの高畑勲や宮崎駿のような人々と近いものがあったように思います。木田教授の思想の核にあったのは、海軍兵学校時代に広島の原爆を目撃したことであったのではないでしょうか。広島が軍都であったとはいえ、無辜の市民の頭上で核兵器が使用されたため、一瞬にして数十万の生命が奪われただけではなく、撒き散らされた放射性物質の影響により、その後も数えきれない人々の人命と健康が奪われました。理由はどうあれ、そのような無差別殺戮を行なったアメリカ合衆国と言う国家と、その国の制度や精神に対する拒否感と反骨精神が、西欧思想を考える上で木田教授の出発点にあったのではないかと想像します。木田教授が関心を持っておられたのは、あくまでもヨーロッパの哲学思想であって、長い知的な伝統を持つヨーロッパ思想を摂取することによって、知的伝統の浅い、また西欧思想の亜流に過ぎないアメリカニズムに対峙しようとされていた面があったようにも思われます。


 そのような反哲学の思想に大学生時代は私も共鳴していました。また大学を卒業して2年後に神学校に入りましたが、最初に神学を学んだ日本の神学校も、西洋哲学という知的な営みには否定的な立場に立つ神学校でしたから、しばらくは木田教授から受けた教えについて、それを問い直すということはありませんでした。


 けれども紆余曲折あって、私は殉教者ユスティノスという初期キリスト教の哲学教師であった人物について学ぶようになりました。中期プラトン主義の哲学者に数えられ、キリスト教徒になる以前にプラトン主義者の教師から哲学のトレーニングを受けていたとされる人です。それだけではありませんが、ユスティノスを学ぶようになったこともきっかけとなって、以前の西洋哲学に対する否定的な立場は変化するようになりました。プラトン哲学というものは、ニーチェが嫌悪した程に、人間やその社会にとって有害なものなのだったのか、と問われれば、今は必ずしもそうではないと考えるようになっています。


 もちろん私はプラトンのイデア論のような存在論をそのまま受け入れるわけではありません。けれども、例えばプラトンが『国家』で示した「洞窟の比喩」は、現代の私たちにとっても知的な営みの意義を理解する上で、助けになる重要な比喩だと思います。現代の高等教育の存在意義も洞窟の比喩によって説明されているのではないでしょうか。


 最近YouTubeで慶應大学の小熊英二教授が、日本の雇用慣行に関して統計をもとに分析されたお話を聞きました。その中で小熊教授は、日本の雇用慣行はこの30年ほどの間、基本的にはそれ程大きく変化していないこと、ただ全体としては自営業者が減少し、その分非正規雇用が増大していること、そして正社員の比率はこの30年間ほとんど変化していないことを示されました。つまり非正規雇用が増えているということは、必ずしも日本社会全体の雇用慣行の変化を示すものではないことを統計によって明らかにされた訳です。その事実を示された後で、小熊教授は次のようなことを付け加えておられました。通説を実証的研究によって批判・検証する学問的営みは、より良い人間社会を造るために必要である。確かにそうだと思います。


 プラトンが「洞窟の比喩」で示唆していたことの中には、そのような学問的営為も含まれるはずです。人が生まれながらに育った文化的環境の中で、或いは伝統と周囲の環境の中で当然のこととして受け入れられてきた知識や世界観・人間観を、批判することなく受容しつづける限り、その文化的環境の外に存在する可能性のある事実や法則や理念や価値に目が開かれることはありません。そういう閉鎖的な世界の中で一生涯幸せに生きることができればそれで良いではないかと思われる方もおられるかもしれません。でもそのような閉鎖的な社会の中で、伝統的に存続してきた悪弊を変え、より良い新しい社会を創造する力は、非プラトン的あるいは反哲学的思想からはあまり生まれて来ないような気がします。そんな訳で、現在の私は、木田教授の講義に感謝しつつも、プラトン哲学には、全面的ではないにせよ、一定の意味を認めることが必要だと考えるようになりました。


 もう一冊の『現代の哲学』は、『反哲学史』の続編にあたるとも言える書物で19世紀後半から20世紀前半の西洋哲学史と言っても良い本です。但しこれが書かれたのは『反哲学史』より随分前で、最初NHK教育テレビの教養講座として放送された内容が本にまとめられ出版されていました。クラスの教科書であったので一応購入したのですが、当時の私にはレヴェルが高すぎてほとんど読まずにおりました。


 その後、私はキリスト教神学を学ぶようになり、特にキリスト教史・教会史を専門とするようになりました。キリスト教会の組織神学や歴史神学を学ぶには、当然のことながら西洋哲学史の素養が必要とされます。『反哲学史』の中に出て来たカント、ヘーゲル、キュルケゴールなどの著作は、キリスト教神学・聖書学の研究史においてはフリードリッヒ・シュライエルマッハー、フェルディナンド・クリスチャン・バウル、アルブレヒト・リッチェル、そしてカール・バルトなどを理解する上で避けて通ることのできない重要な意味を持っています。また『現代の哲学』で扱われている哲学者の中では、おそらくフッサールやハイデッガーの思想も、20世紀のキリスト教神学者や聖書学者に影響を与えてきたように思われます。特に20世紀の新約聖書学に刻印を残したルドルフ・ブルトマンは、言うまでもなくマールブルグ大学でハイデッガーの同僚であり、ハイデッガーの思想の影響を受けつつ、様々な独創的な研究を展開していまいした。新約聖書に共通する神学を新約正典諸文書の中に見出そうとしていた従来の新約神学と訣別して、新約諸文書それぞれが独自の神学的世界を有しており、初期キリスト教には異なる複数の神学的流れが存在していたとの前提で書かれた彼の『新約聖書神学』は、現象学的方法を新約聖書学に適用したものだとも言えるかもしれません。またニーチェの影響を受けたミシェル・フーコーの著作は、20世紀後半の神学者たちを理解するために必要だと思います。


 ところが保守的なプロテスタント教会の一部では19世紀から20世紀の神学者、つまりシュライエルマッハーと彼以降の神学者たちは、ほとんど全て正統信仰からの逸脱者としてのみ扱われるようなことがあります。彼らにとって、極端な言い方をすれば、正統的プロテスタント神学は18世紀までに完結しているのであって、21世紀のキリスト教会も、18世紀までの正統的神学(あるいは19世紀までの北米の正統的神学)を維持すれば良いとされているかのようです。


 しかし12月に紹介したアリステア・マクグラスの『歴史のイエス、信仰のキリスト』は、著者自身は歴史的正統信仰に立ちながらも、シュライエルマッハーからモルトマンに至るドイツの神学者たちの著作を、同時代の哲学思想の潮流に照らしながら読み解き、その上で批判的に検証するという手続きを踏んでいました。遠回りのやり方ではあるのですが、19世紀以降のキリスト教神学を理解するためには、19世紀以降の西洋哲学思想を学ぶ必要があるということを改めて認識させられます。そしてマクグラス自身は、19-20世紀の哲学思想の影響を受けた神学者たちの主張からも学ぶべき要素が含まれているとの立場に立っているのではないでしょうか。そうであるとすれば、19-20世紀の哲学史は、21世紀にプロテスタント神学を学ぼうとする者にとっても、決して無意味ではないと思います。


 もう一つ『現代の哲学』を読むべきだと考えるようになった理由を付け加えるなら、最近、姜尚中『マックス・ウェーバーと近代』(岩波現代文庫、2003年)を読んで、ウェーバーの研究や思想に同時代の哲学者フッサールの影響があったことを知りました。私は第一次世界大戦の敗戦を経験したドイツ人であったマックス・ウェーバーが直面した課題と、現代の日本人が直面している課題には共通点があるように感じます。19世紀末に、すでに欧州人は近代社会形成プロジェクトの行き詰まりを認識していたのでしょう。それでもウェーバーは、ドイツにおける近代社会の形成という目標を現実的な形で実現することを諦めてはいなかったのではないでしょうか。ですからウェーバーの考えていた事柄の中には、近代の黄昏の時代に生きておりながら、なお前近代的価値や思想の色濃く残るこの国の我々日本人に共鳴するものがあるように思われました。それでウェーバーやフッサールの著作を読まなければと感じるようになった訳です。そんなことがあったものですから、かつて大学時代には読まずに済ませていた『現代の哲学』をもう一度紐解くことにしたのでした。


 この本は20世紀後半以後の、より最新の現代西洋哲学に関心のある方には、内容が古いと感じられることでしょう。1970年代以降に日本で紹介されるようになったポスト構造主義、ポスト・モダンの哲学者たち、フランス現代思想家たちについての記述などは、ごく簡略なものに過ぎません。それらを学びたい方はこの本を読んでから、さらに別の本を探す必要があります。けれどもニーチェ以降の西洋現代哲学の出発点に位置するフッサールやハイデッガー、そしてその影響を受けたサルトルやメルロ=ポンティの思想を理解することは、著者自身が指摘しているように(231頁)、その後の西洋哲学の歩みを理解する上で重要な意味があると思います。


 19世紀末から20世紀初頭に西欧近代思想の行き詰まりが自覚されるようになった要因の中には自然科学の領域における革新がありました。19世紀まで西欧人の理性への素朴な信頼を支えていたのは、自然科学的・数量的データが、客観的な事実を忠実に反映しているという素朴な信頼に基づくものでした。しかし現代の量子力学や相対性理論などが明らかにしたことは、実験に基づく自然科学的データやそこから導かれる法則というものでさえも、データを測定する人や機器によって規定・影響される面があり、すでに実験データを得るために人が機器を使用して自然現象のデータを切り取って数量化する時点で、我々は現実に存在するピュアな自然現象というものから切り離されたデータを手にしているに過ぎないことになります。つまり自然界の存在は、そこに存在しているありのままの実体としては、人間は半永久的に科学的に認識することはできないわけです。そして自然科学自体が、存在に関して決して客観的な知識を人間に提供できるわけではない以上、自然科学以外の分野においても、全ての知識や法則は相対的なものであることを受け入れなければならないことになります(28-30頁)。


 客観的世界を客観的に認識することが人間の理性には可能であるとする素朴な理性主義が疑わしいものであることが明らかになったために、人間の直接的体験を出発点とする現象学の方法、「現象学的還元」と呼ばれるアプローチが提唱されるようになったのでした。そしてフッサールが提案した「現象学的還元」を継承して、モーリス・メルロ=ポンティが語っていた言葉が『現代の哲学』には引用されています。

 

「我々はもはや、知覚とは端初における科学だとは言わないで、逆に古典的科学とは、おのれの起源を忘れて自らを完結したものだと思い込んでいる知覚だと言おう。従って最初の哲学的行為とは、客観的世界の手前にある生きられた世界にまで立ち戻ることだ、ということになるだろう。それというのも、この生きられる世界においてこそ、我々は客観的世界の権利もその諸限界も了解することができるであろうからだ。また、最初の哲学的行為は事物にはその具体的表情を、有機体には世界に対処するその固有の仕方を、主観性にはその歴史的内属を返すことだ、ということになるだろう。」(52-53頁)

 

ここで「古典的科学」と呼ばれているのは、デカルトに始まる近代合理主義哲学やガリレオの天文学やニュートン物理学などを指しているのでしょう。それらの背後には有神論を前提とする世界観・人間観がありました。客観的な世界に内在する客観的法則を人間が知覚することができると考えられていたのは、この世界が創造主なる神によって創造され、人間には神に創造された世界を知的に認識する神的理性が与えられているという信仰が受け入れられていたからでした。けれどもフッサール以降の現象学の流れは、このような有神論的前提を捨てて、客観的世界の認識について語る以前に、我々が生きている世界における現象を純粋に記述することから始め、そのような純粋記述的に得られた知識に基づいて、客観的世界というものの権利や限界を評価するという手順を踏む必要があるということなのでしょう。


 ですからデカルトに始まる近代哲学が、神の存在を前提にしながら、「考える自己」を出発点にした哲学の再構築を目指したとすれば、ニーチェ以後の現代哲学は、神の存在を抜きに、「考える自己」のみを起点にして自己について、また世界について知ろうとする試みであるように思います。それはつまり超越的な存在から与えられる知識や能力というものを、全く存在しないものと想定して生きることが、人間にとっては本来の姿であり、そのような想定においてしか人は生きるべきではない、あるいは生きられないとの前提・信念に基づいていると思います。その点が『現代の哲学』を読むキリスト教徒にとって、同書で語られていることに、必ずしも全て同意することができる訳ではない点だと言うことになります。キリスト教信仰は、人間が本当に幸福に生きるためには、超越的な存在をも視野に入れて思索する必要があるとの立場に立つからです。また人の知的努力によっては知り得ない事柄を、神は人に啓示することができる、という前提・信仰にも立っています。


 ただそうは言っても、フッサールも、メルロ=ポンティも、西洋哲学の伝統を完全に放棄しているわけではないと思います。それは「生きられた世界」と「客観的世界」という区分を保持していることの中に認められるように思われます。人が仮に有神論を放棄したとしても、なぜ「客観的世界」というものを、完全に無視して思考することができないかと言えば、そもそも主観的存在である人間が、言語を用いて、同様に主観的である他者との間で、一定のコミュニケーションが可能であるという事実が、「客観的世界」というものの存在する可能性を示唆することになるからだと思われます。そしてそのような主観と客観という二元的な枠組みは、個人と他者という枠組みに適用できるだけではなく、一つの文化と別の文化という枠組みにおいても適用することができるように思われます。そうすると、一つの文化の中だけで完結する世界を超えて、より普遍的な文化、より普遍的な世界へと視野が広げられていく可能性が出てくることになるのではないでしょうか。ですから「現象学的還元」というアプローチさえも、プラトン以来の西洋哲学の伝統と完全に断絶している訳ではないと思います。


 最後に、先日、あるラジオ放送を聴いて知ったことを紹介します。それは戦前の日本陸軍の大陸侵略に関する話題でした。かつて関東軍が起こした満州事変は、政府の不拡大方針にもかかわらず、最終的に満州全域を関東軍が手中に収めることになってしまいました。その責任は当時の政府と軍部だけにあったのではありません。責任の一部は、当時の新聞が戦線拡大を煽りたてたことにあったと説明されていました。なぜ新聞が関東軍を支持してしまったのかと言えば、戦勝報道をすると新聞の販売部数が伸びたからなのだそうです。それはジャーナリズムが、国民に正確な事実を開示することによって権力を監視・抑制するという本来の役割を放棄して、目先の実用主義的利益を追求したために招いた無惨な結果でした。また国民が軍部を支持してしまった理由には、当時の政党内閣の腐敗と貧富の格差がありました。本当は全面的に信用してはいけないはずの軍部に国民が甘い期待を抱いてしまったことが、あの無意味な戦争に日本国民が引き摺り込まれた要因の一つでもあったわけです。それは政治家や軍の指導者たちが、本来自分たちに与えられている経世済民の職務を放棄して、彼らにとっての目先の実用主義的利益に食いついた結果であったわけですし、また戦前の軍隊という機構それ自体を顧みても、内政や外交と連動した健全な国防政策を追求するような仕組みなど存在せず、統合的な政策決定プロセスなどそっちのけで、軍事力の行使が軍部の都合だけで決定できてしまったという大日本帝国の統治機構の歪な構造的欠陥に突き当たります。いやそれは構造的欠陥という制度上の問題というよりは、不法行為が罷り通る組織文化を軍部が温存していたという道徳的腐敗の問題であったと言うべきです。そういう彼らの独断と暴走を許した原因は色々あるでしょう。でも原因の一つは、戦前の政治家にも軍部にもそして報道機関にも国民にも、事柄の本来の意味や本質や目的を明らかにし、その本来の意味や本質や目的に即して考え行動するという哲学的思考力や行動力や勇気が一様に欠けていた点にあったのではないかと思います。当時の彼らの姿は、ソクラテス(とプラトン)が対決したソフィストたちの姿に良く似ています。


 そういう訳で、私は日本人であってもソクラテス以降の西洋哲学史を学ぶことには意味があると考えています。こうした問題意識に目覚めるきっかけを与えてくださった木田教授の講義には今も深く感謝しています。


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