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中村哲『中村哲 思索と行動』(下)、ペシャワール会、2024年

  • ign117antjust165ma
  • 10月8日
  • 読了時間: 16分

更新日:10月9日

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 今回は、昨年11月のこのコーナーで紹介した『中村哲 思索と行動』の下巻を紹介します。『中村哲 思索と行動』は、1984年から2019年までパキスタンとアフガニスタンの医療支援などに派遣された中村哲医師を支えた民間援助団体ペシャワール会の会報に、中村医師が寄稿した文章を中心に収録した上・下二巻の本です。内容の多くは事業報告ですから統計的な数字などが多く、読むのに骨の折れる本ではあります。しかし端々に、この方の優れた現状認識や知恵に満ちた言葉が散りばめられていて、じっくり読む価値のある本です。


 上巻は、中村医師が1984年からパキスタンとアフガニスタンのらい病患者の治療のために、パキスタンのペシャワールに派遣されてからほぼ17年間の活動が記録されていました。当初中村医師は現地パキスタンの病院や他の海外医療支援団体と協力していましたが、やがてペシャワール会独自の病院を建設し、日本からの支援のみでパキスタンとアフガニスタンへの医療支援を行う道を選ばれるようになります。そのような選択をされるようになった詳しい事情はわかりませんが、上巻の内容から推測する限り、現地のパキスタンの病院を拠点にしながら、パキスタン人とアフガニスタン人双方への医療支援を公平に行うことが困難であると判断されたからではないかと思われます。国籍の違う人々に対しても平等に医療を施すという精神を貫徹させることが難しかったからなのでしょう。一方、外国の医療支援団体との協力が困難なものなって行ったのは、恐らくペシャワール会以外の外国のNGO団体や援助機関は政治的な状況などに左右されやすく、ペシャワール会が目指す長期継続的な医療支援事業のパートナーとしてはふさわしくないと判断されたのではないかと思われます。つまり中村医師は、人種民族的差別を廃して全ての人に平等な医療支援を行うことを目指し、かつこれを実効性のあるものとするために長期間忍耐強く支援を継続するという方針を貫かれたのではないでしょうか。そのような強い信念に基づいて、ペシャワール会は1998年にペシャワール医療サービス(PMS)病院を現地に建設することに漕ぎ着け、日本人の常勤職員と共にパキスタン人・アフガニスタン人の職員をも雇用して、向こう30年間の医療支援基地の設立を実現させたのでした。


 ところがこの病院が完成して間も無く、アフガニスタンを干魃が襲います。そのためアフガニスタンでは、もはや医療支援どころではなく、まず人々に生き延びてもらうために飲料水を提供したり、井戸掘りを支援したりする活動を優先せざるをえなくなりました。途上国の井戸掘り事業を支援している「風の学校」というNGO団体の協力を得ることになります。ただPMSと「風の学校」が協力しながらアフガニスタンの人々の水を確保する努力を続けている時期に、アフガニスタンではタリバーン政権が成立したのでした。タリバーン政権は、バーミヤンの石仏の破壊などで世界に悪名を轟かせてしまいますが、中村医師は、むしろタリバーン政権のもとでアフガニスタンの治安が改善されている事実を指摘し、海外メディアが伝えないアフガニスタンの実情を報告しています。そしてタリバーン政権の成立によって多くの海外支援団体がアフガニスタンから撤退してしまう中で、ペシャワール会はなおもとどまって、困難にもかかわらず支援活動を継続しました。タリバーン政権も、ペシャワール会のこれまでの活動実績を信頼していたからでしょう、そのような継続的な活動を認めてくれたのでした。


 しかし2001年には9.11の同時多発テロが発生し、その後米英軍などによるアフガン戦争が引き起こされてしまいます。タリバーン政権は崩壊しますが、中村医師は、これによって1992年の社会主義政権崩壊当時と同じ無秩序が再びアフガンに現出してしまったと嘆いておられました(26頁)。アメリカはタリバーン政権を倒して自分の手で新しい政権を作ろうとしたわけですが、そのような政治的選択がいかに無謀な選択であったかを、この本を読むと痛感させられます。当時のアメリカは、アフガニスタン国内からアルカイーダの拠点を一掃する努力をするだけでよかったのではないでしょうか。しかしその後アメリカとNATOは20年間もアフガニスタンで意味のない戦争を続けることになってしまいました。


 下巻は、そのような困難な状況のもとで、干魃によって引き起こされた砂漠化を食い止めるために、中村医師が灌漑用水路建設事業に取り組まれた時期のことが記されています。アフガニスタンではそれまで利用されていた水源が枯渇し、干魃が発生している理由は、冬場の降雪量の低下とともに、これまで貯水槽の役割を果たしていた高山の雪が温暖化によって急速に減少しているからなのだそうです。2003年4月のニュースレターで、中村医師は、クナール川の水源から砂漠化した地域のために灌漑用水路を引く以外に、アフガニスタンの一部の地域の砂漠化を防ぐ方法はないと判断し、大規模な用水路掘削事業に取り掛かる決断をされたことを伝えています。それは依然としてパキスタンに残る180万人のアフガニスタン難民のうち、10万人程度でも故郷に帰還することができるようにすることを目的としていました(50頁)。このマルワリード用水路の起工式が2003年7月に行われます(54頁)。ペシャワール会がこのような大規模な利水事業に取り組む決断をされたのは、単に医療を提供しているだけでは病気は根絶できず、病気の原因である栄養不足を解消する必要があるという中村医師の危機感からであったようです。


 2004年7月に書かれた2003年度の事業報告を読むと、米国によって擁立されたカルザイ政権による国家再建というものが全くの絵空事に過ぎず、少なくともアフガン東部のほとんどの住民たちは占領軍としての米軍の存在を快くは思っていなかったことが書かれています。それは米軍による民間人に対する無差別の虐殺行為が日常的に起きていただけではなく、捕虜に対する虐待や枯葉剤の散布など、反道徳的・非人道的な行為も繰り返されていたからであるとのことでした。ところが、そのような米国によるアフガニスタン支配に、日本は巨額の資金を提供して支援を続けていました。さらにはアフガニスタンへの自衛隊派遣のニュースが伝えられたため、アフガニスタンでも反日感情が高まり、中村医師たちのペシャワール会医療サービス(PMS)の自動車から日章旗を消さなければならなくなったとのことです(85頁)。戦後、平和主義に立って行われた日本の海外援助の実績が、当時の小泉政権の時代の急速な米国への傾斜によって毀損されるようになったということだと思います。


 2005年4月のニュースレターによれば、それまでPMSが僻地で維持してきた2つの診療所が、アフガン政府の独断的な決定のために維持できなくなり、その施設を政府に譲渡することにした、と言う報告がなされています。PMSの診療所は、診療時間を限定せず、いつでも患者を受け入れる形で運営してきたそうなのですが、政府の決定によってそうした運営体制を維持することができなくなってしまったのだそうです。米軍がやってきたおかげで、治安は却って悪くなり、都市部の教育を受けている人々には拝金主義が蔓延し、PMS病院に勤務していた人々の中にも、高給を求めて去って行く人々が少なくなかったようです。このようにアメリカのような先進国の経済政策の常識を、全く異なる状況にある途上国にも無理矢理押し付けるような政策や決定にも、当時の政権と、その背後で指示を与えていたと思われる米国政府のチグハグさが示されていたのでしょう。しかしそのような中で、建設が進行しているマルワリード用水路の完成した地域に、パキスタンの公用語であるウルドゥ語を話すアフガニスタン人たちが戻ってきていることを中村医師は喜びを持って報告しています。この用水路の目的を果たしつつあることを実感されていたのでしょう(96-99頁)。


 2005年6月の事業報告でも、当時のカルザイ政権の内実が報告されていました。カルザイ政権は国内の点と線を支配するのみで、その支配は脆弱なままでした。アルカイーダ掃討作戦は戦争開始から5年目になっても継続されており、米軍はさらに増強されていました。テロとの戦いと言う空虚な大義が掲げられる中で、戦争で亡くなる人々の多くが一般のアフガニスタン国民であり、彼らの命は先進国でのペットが死ぬことよりも軽く扱われていると中村医師は嘆きます。そしてアフガニスタンの食糧自給率は60%にまで低下する一方、世界の麻薬生産の70%がアフガニスタンに集中してしまうという恐ろしい統計も紹介されています。無論、タリバーン政権によるアルカイーダの拠点の受け入れは許し難いものではありましたし、そのようなテロの拠点を排除するという限りにおいて米軍によるアフガニスタン戦争には一定の正当性を認めざるを得ない面はあったと思います。それにもかかわらず、米軍によってあまりにも不釣り合いな一般人の犠牲が引き起こされ、増え続けていた実態を知ると、アメリカのやっていたことと、かつてソ連軍が1980年代にアフガニスタンで行っていたこととの間には、あまり違いはないという中村医師の意見も確かにその通りだと思わざるを得ません。そして2005年6月の時点で、中村医師は「遠からず来る米軍の撤退による混乱」(102頁)が生じることに言及していました。これは2021年にバイデン政権下で現実のものとなってしまったわけです。


 2006年6月のニュースレターでは、用水路建設が米軍ヘリコプターの威嚇の中で行われていた様子が描写されていました。


「作業地の上空を盛んに米軍のヘリコプターが過ぎてゆく。時には威嚇するように頭上を旋回して射撃音が聞こえる。けたたましくも忙しいことだ。我々は地上をうごめくアリのように、ひたすら水路を掘り続ける。彼らは殺すために空を飛び、我々は生きるために地面を掘る。彼らはいかめしい重装備、我々は埃だらけのシャツ一枚だ。彼らは暗く、我々は楽天的である。彼らは死を恐れ、我々は与えられた生に感謝する。彼らは臆病で我々は自若としている。同じヒトでありながら、この断絶は何であろう。」(115頁)


この文章から、軍事力と最新鋭の武器によって他国を支配しようとする発想とは、正反対の営みをPMSの活動は目指していたことが良くわかります。それと共に、アフガニスタンのような途上国に、現代の最新鋭兵器で乗り込み、地上の人々を威嚇しながら飛行する軍用ヘリコプターを操縦している人々は、自らの力を誇示しているのかもしれませんが、しかしそのようなパフォーマンスが地上で必死に生きている人々にどのように映るのか、ということへの想像力や感受性は失われてしまっているように感じられます。


 2007年4月のニュースレターでは、マルワリード用水路の第一期工事の終了と13キロメートルの用水路の完成の報告がなされていました。途中、15メートルにも及ぶ水路決壊というトラブルにも見舞われ、完成に漕ぎ着けるまでの一年は苦難の連続でしたが、多くの方々の献身的な労働によって、一期工事は完了し、約15㎢の土地の灌漑に成功しました。アフガニスタンの人々の命を守るための努力が成果をあげることができたのでした(131-36頁)。


 そのように用水路による灌漑事業において目覚ましい成果を上げる一方で、パキスタンのペシャワールに1998年に建設されたPMS基地病院は、2007年10月のニュースレターによれば、パキスタン政府の圧力によって休止に追い込まれ、PMSの医療センターを全てアフガニスタンに移動せざるを得ない状況に至ったのでした。向こう30年間のパキスタン北西部における医療活動の拠点として建設したものが、20年足らずで休止することになってしまったのでした。2009年までの暫定的な運営は認められたものの2008年上半期の報告を見ると、その活動の規模を著しく縮小せざるを得なくなっていることがわかります。その後はパキスタンの政情不安とアフガニスタン各地の無政府状態のために、アフガニスタン・パキスタン国境のカイバル峠の往来が困難となり、ペシャワールに建設したPMS基地病院の運営は事実上放置され、休止してしまう結果となりました。最終的には2009年にこの病院は地元の団体に譲渡されることになったそうです(202頁)。


 2008年のニュースレターでは、PMSの農業支援のワーカーとして派遣されていた伊藤和也さんの追悼文も掲載されていました。アフガニスタンの復興のために献身的に働いていた31歳の日本人の若者が凶弾に倒れたけれども、中村医師は彼の生き方によってアフガニスタンの貧しい人々に光を灯す働きをされたと振り返っておられました(167頁)。


 2010年7月に出された2009年の事業報告の中で、中村哲医師は、国際社会の秩序が転換期を迎えていることを洞察する文章を書いておられました。


「欧米軍は道義の上ですでに破れ去った。列強のアジア分割から百数十年、暴力的支配の後始末もまたむき出しの暴力によって血塗られている。暴力が暴力に倒されるのは、歴史の鉄則である。この状態が長く続くとは思えない。はっきりしているのは、我々は何かの破局—自明としてきた国際秩序、価値観、経済活動等、全てが問い直される時代のただ中を生きているということだ。」(210頁)


中村医師がこのように書いているのは、アフガニスタン・パキスタンにおける米軍無人機の爆撃により多くの民間人が殺害されるという戦争犯罪が継続されていたからです。またそれに伴うアフガニスタン人・パキスタン人たちのアメリカに対する憎悪の蓄積と共に、2008年に発生したリーマン・ショックなども踏まえてのことでもあったのでしょう。2010年7月に書かれた2009年度の事業報告ということからもわかるように、この無人機による民間人の殺傷が続いていたのは、残念なことに2009年10月にノーベル平和賞を受賞したはずのオバマ大統領の時代でした。


 2011年10月のニュースレターに書かれた文章の中には、一箇所共感させられる箇所がありました。マルワリード用水路の維持管理と二期工事のなされている時期に書かれた次のような文面です。


「みなさんが目にする何でもない田畑も山林も、長い長い年月をかけ、日本人の先祖たちが築いた血と汗の成果であることに気づきます。それを経済発展の名の下に、いとも簡単に反故にし、荒れるに任せては、バチ当たりというものです。」(255頁)


昨年来の国内の米不足を解消するために、最近日本政府は米の増産に転じる決定を下したとされます。けれどもこれまで政府が進めてきた減反政策によって、どれほど多くの貴重な水田が破壊されてきたか、この国の指導者たちはその責任を果たして自覚しているのでしょうか。また水田という貴重な社会的資本が、仮に毎年生み出すことのできる生産物の価値が金額の上で小さなものに見えたとしても、長期的にいかに重要な資産であるかということを、果たしてどれほどの日本人が認識しているだろうかと思います。そういう貴重な資産を、後継者不在で維持できなくなるならまだしも、お金目当ての公共事業などの利権の絡みや、メガソーラー事業などで破壊することがどれほど愚かしいことかを、この中村医師の言葉は訴えているように思います。


 このような下巻の内容を読みながら、宮崎駿のアニメ映画『風の谷のナウシカ』で描かれていた世界が、今や現実のものとなりつつあるとも感じました。この宮崎アニメについて改めて説明する必要はないかとは思いますが、腐海が広がり、人間の居住できる地域が狭められつつある中で、海からの風のおかげで腐海の拡大による埋没を免れている中で慎ましい伝統的な生活を守ろうとする風の谷の人々のような生き方が、依然として技術文明の力に頼ろうとするトルメキアの人々によって脅かされる。『風の谷のナウシカ』ではそういう空想上の世界が描かれていました。温暖化による干魃のためにこれまでの伝統的な生活を維持することが困難になっている農民たちの住む小国アフガニスタンと、「テロとの戦い」という実態とはかけ離れた大義名分を掲げてこの国を侵略し、自国でコントロールできる政権を樹立しようとして20年間も無意味な戦争を続けてしまったアメリカという大国の対比は、ちょうど風の谷とトルメキアの対比に当てはまるような気がします。


 2014年10月のニュースレターで、中村医師は、アフガン東部における旱魃のメカニズムを詳しく解説しています。それとともに人口の大半が農民であった国が干魃のために砂漠化が進み、食糧自給率が半分にまで低下してしまったことによる危機的な状況を繰り返し訴えておられました。当時の親米政権は巨額な海外からの経済援助を頼りに外貨によって経済を回転させていたのですが、それは社会の実態から乖離した経済政策でした。海外から入ってくる外貨によって一時的に裕福になることに目が眩み、教育を受けている階層は地道な仕事を離れて高給を求めたり、海外での生活を求めたりする。そのようなモラルの低下は目に余るものがあったようです。一方本来農業国であったはずのアフガニスタンは外貨によって海外から食糧を購入して経済が成り立つ状態になってしまっていたのでした。もし海外からの援助が無くなって仕舞えば、アフガニスタン国民の大半は深刻な飢餓に直面するとの見通しを書いておられます。あるいは現在の第二次タリバーン政権において、その懸念は顕在化しているのかもしれません。そのような飢餓を食い止めるささやかな努力として、PMSはアフガニスタン東部で灌漑事業を続けているのだと訴えられます。


 アフガニスタンにおける事業報告の形をとるニュースレターを書きながら、中村医師は心の中では日本を始めとする先進工業国の人々に対して、ライススタイルや価値観の根本的な転換を目指す必要があると訴えておられたのではないかと感じました。アフガニスタンで起きていることは地球温暖化の結果です。地球温暖化とは、つまり先進工業国や新興工業国などが、少しでも国内総生産を増大させるために大量生産・大量消費を許容し、高い貨幣価値を生む生産を偏って追求し、そのために安価に買い叩いた膨大な量の化石燃料を燃やし続けてきたことの結果です。ところがその温暖化の深刻な影響は、巨大な経済的利益を得ている国々にではなく、農業のみによって生計を立て伝統的な生活を維持してきた世界の貧しい周縁地域の人々に真っ先に及んでいるのだということです。そのような温暖化の影響を少しでも食い止めるために、中村医師やPMSは、それまでは必要無かった事業、しかし温暖化による砂漠化によって必要が生じてしまっている用水路建設や灌漑事業に取り組まざるを得なくなっているということでしょう。


 けれどもそのような海外援助の努力と共に、もっと重要なことは、先進工業国・新興工業国の人々一人一人が二酸化炭素を排出しない生活をもっと真剣に追求するということなのだと思わされました。そして国内総生産に反映される生産を増大させる努力を追い求める代わりに、農業を大切にし、農地や山林を保護し、可能な限り自国の農業によって自国民を支える生き方へと個人も社会も国家も方針転換をする必要があるのだと思います。


 しかし現在の私たちの生活を維持したまま、あるいは更なる豊かさを求める一方で、貧しい国々からやってくる外国の方々を、この国から排除しようとしてナショナリズムを煽るような言動を拡散させる人々が最近増えているようにも思います。無論日本国民の支払う税金が外国人によって不正に利用されたり、外国系企業の利益のために日本の自然が破壊されたりすることは許しがたいことではあります。しかし同時に、中村医師の『思索と行動』は、21世紀により良い世界を創るために、共生の理念を実践しなければならないことを強く訴えているように感じます。気候変動による危機的状況が拡大を見せる現代において、豊かな国に住む者たちは、温暖化による砂漠化などの被害を受けて困窮している途上国の人々を現地で支援するか、あるいはそのような人々の一部を国内に受け入れるか、そのどちらかを選ぶように促されているのではないかとさえ思います。そういう日本人の意識変革を広げて行くためにも、この本が一人でも多くの方々に読まれることを願わされます。


 
 
 

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