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C. S. ルイス『ライオンと魔女』瀬田貞二訳、岩波少年文庫、1985年

  • 8月8日
  • 読了時間: 17分

更新日:8月13日


 2019年9月に取手キリスト教会のホームページをクリスチャンのウェブデザイナーの方に新調して頂いた時に、その方から一つ勧められたことがありました。それはホームページの中に定期的に更新するコーナーを設けることでした。それで「牧師の本棚」というブログを始めることにしました。初回はJ. R. R. トールキン『指輪物語』の第二部「二つの塔」でした。以来7年間にわたって毎月一冊をこのコーナーで紹介して来ました。厳密に言えば二つの本を同時に取り上げたこともあり、同じタイトルの分冊を二冊読んだこともあり、DVDやCDのコメントを書いたこともありました。ともかく7年間で合計76タイトルの本をこのコーナーのために精読しました。今回が最終回となります。というのも来年3月で取手キリスト教会での私の奉仕は終了し、4月から後任の先生に来て頂く運びとなったからです。7年間の区切りに合わせて今月で終了することにしました。


 最終回にはC. S. ルイス『ライオンと魔女』を選びました。第一回目がJ. R. R. トールキン『指輪物語』でしたから、ルイスの「ナルニア国物語」で締め括る訳です。何より自分の好きなクリスチャン作家C. S. ルイスの作品で最後を飾りたいと考えました。この本は小学3年生の頃に初めて読みました。当時我が家は川崎市の公団住宅百合ヶ丘団地に住んでいて、母は同じ団地に住むクリスチャンのママ友から、リンドグレーンの作品などと共に、この本を紹介されたようです。それで我が家の本棚に色彩豊かなハードカバーの「ナルニア国物語」シリーズが並ぶようになりました。恐らくこのシリーズで最も良く知られているのが『ライオンと魔女』ではないでしょうか。原題は ‘Lion, Witch and Wardrobe’ (「ライオンと魔女と衣装ダンス」) です。


 正直に言えば、私は「ナルニア国物語」の中で『ライオンと魔女』が一番好きなお話しだったというわけではありません。「ナルニア国物語」の各巻を小学生の頃に何度も読み返しましたが、一番良く読んだのは『カスピアン王子の角笛』で、次は『馬と少年』でした。この2冊の方が小学生の男子にとって面白く感じられたからです。以前紹介した『銀のいす』もそうですが、『ライオンと魔女』は全体的に暗く感じられました。アスランが魔女とその手下どもに苦しめられる場面のイラストに恐怖心を抱いたと言うこともあります。


 けれどもしばらく前に英国の神学者アリステア・マクグラスのC. S. ルイスに関する講演をYouTubeで聴いて、ルイスの宗教思想や信仰を理解する上で、「ナルニア国物語」シリーズの中では、やはり『ライオンと魔女』が最も重要であるということに気付かされました。以下はこの本の要約です。物語をご自身の読書で楽しみたい方はご注意ください。


 お話しの舞台は第二次大戦中のイングランドです。ロンドンから空襲を逃れて地方に避難していたピーター、スーザン、エドマンド、ルーシーの4人兄弟は、ある高齢の学者先生の屋敷に住まわせてもらうことになりました。この古いお屋敷の一つの部屋には古い衣装ダンス(Wardrobe)が置かれていました。ある時4人がこの屋敷でかくれんぼをしている最中、ルーシーはこの衣装ダンスの中に隠れます。ところが不思議なことに衣装ダンスの奥には仕切りがなく、ルーシーは暗闇の中をさらに進むことができたのでした。衣装ダンスの奥には雪に包まれた別世界が存在し、街灯が立っていました。その街灯の立つ場所でルーシーはタムナスさんというフォーン(半人半獣)と出会い、彼の家を訪問します。タムナスさんは、なぜナルニア国が年中雪に閉ざされてしまっているのか、その理由を説明してくれました。それは悪い魔女がこの国を支配しているからだというのです。しかも冬が続くのにクリスマスはいつまで経ってもやって来ません。そんな話しを聞きながら、ルーシーは、しばらくタムナスさんのお茶のもてなしを受け、それからもう一度街灯のあった場所に戻り、そこから人間の世界に帰りました。


 ルーシーが兄弟たちの所に戻ると、不思議なことに、人間の世界では全く時間が経過していませんでした。ルーシーは何時間もナルニア国で過ごしたにもかかわらず、兄弟たちはまだかくれんぼを続けていて、ルーシーが隠れたのはつい今し方のことであったかのように振る舞っていたのでした。ルーシーは、タンスの奥に見つけた別世界のことを兄弟たちに説明するのですが信じてもらえません。それで衣装ダンスの扉を開いて奥に別世界への入り口があることを兄弟たちに示そうとしたのですが、どういうわけか今回は衣装ダンスがただの衣装ダンスのままで、奥の板が開かれることはなかったのでした。次男のエドマンドが「頭が変になったのではないか」と馬鹿にしたので、ルーシーは泣いてしまいます。


 ところが数日後、そのエドマンドがルーシーの次に衣装ダンスからナルニア国に入ることになりました。しかしナルニアでエドマンドが最初に出会ったのは悪い魔女でした。そしてエドマンドは、ナルニアという世界について魔女からもう一つ別の説明を受けます。魔女は自分こそナルニアの真の王であると語り、もしエドマンドが他の3人の兄弟たちを自分の所に連れてきたら、エドマンドを自分の後継者にしてやるという嘘の約束をするのでした。実は魔女はエドマンドも含めて4人を殺そうと考えていたのです。魔女はエドマンドにターキッシュ・デライトと言うお菓子(翻訳ではプリン)を与え、他の3人の兄弟も連れてくるように促してからエドマンドと別れます。ところがこの時偶然、ルーシーとナルニア国で鉢合わせになりました。彼女は再びタムナスさんを訪問していたのでした。二人は街灯のある場所から衣装ダンスを通って元の世界に戻ってくるのですが、意地悪なエドマンドはルーシーと一緒にナルニア国にいたにもかかわらず、ピーターとスーザンにはナルニア国がルーシーの作り話であると嘘をつくのでした。エドマンドの心は既に魔女の影響を受け始めていたかのようでした。


 ルーシーが荒唐無稽な話しをし始めたことについて、ピーターとスーザンは、お世話になっていた学者先生に相談します。すると学者先生は、普段エドマンドとルーシーのどちらの言うことが信頼できるのかと質問します。ピーターとスーザンは迷わずルーシーだと答えました。それを聞いて学者先生は、この家には不思議なことがたくさんあると語り、人の理解を超えたことが起きたとしても不思議ではないと話します。つまりルーシーの話しが荒唐無稽だからと言って、偽りであると断定はできないのではないかと示唆するのでした。


 四人が疎開していたこの屋敷は歴史的な建物で、学者先生の世話をしていたマクレディ夫人という女性がしばしば見学に来た人々のためにお屋敷を案内していました。マクレディ夫人は子供嫌いで、見物客の案内中に子供たちに邪魔されるのが大嫌いでした。そのような気難しい婦人に配慮して、4人は見物客がやってきた時には迷惑をかけないようにいつも注意していました。ところがある時たまたま見物客がすぐ近くに迫っているということがありました。マクレディ夫人を不機嫌にさせることを恐れた4人はあの衣装ダンスの中に一緒に隠れます。そこから4人はナルニア国の世界に移ることになり、そこでの彼らの冒険が始まるのでした。


 ナルニア国の世界で、四人はまずルーシーの知り合いのタムナスさんの家に行きます。ところが家のあった洞穴は魔女の手下の秘密警察によって破壊されていました。ナルニアにおける魔女の支配は、ヒトラーのナチス・ドイツやスターリン時代のソ連を連想させます。タムナスさんがルーシーを受け入れてしまったことは密告者によって魔女に伝わり、スパイ行為と断定されてしまったのでした。それで義侠心の強いピーター、スーザン、ルーシーは、タムナスさんを助けるためにナルニア国に留まることにします。ただ助けるにしても4人は非常にお腹が空いていました。すると幸いなことに人間の言葉を話すビーバーが4人を食事に招いてくれました。ビーバー夫妻はマスのフライに茹でたじゃがいも料理を振る舞ってくれた上に、ビーバー夫人はデザートにマーマレードのお菓子も出してくれました(冬しかない世界でどうやって柑橘類が育つのか不可解ではありますが)。ビーバーのご主人からは、ナルニアの本当の王であるアスランが、ナルニアに再び来ようとしていることを教えられました。さらにナルニアのお城のケア・パラベルには四つの王座があって、四人の人間の王と女王たちが治める時代が来るという伝承が伝えられているとのこと。ビーバーは、その伝承のこともあって4人の人間の兄弟たちを匿おうとしてくれたのでした。


 ところが夕食を食べている間に、エドマンドはビーバーの家をこっそり抜け出して、ターキッシュ・デライト欲しさに魔女の住む城に向かってしまいます。他の3人はエドマンドを探そうと提案しますが、ビーバーのご主人は拒否します。ご主人は、エドマンドが以前ナルニア国に来たことがあり、その時に魔女と出会って、魔女から食べ物をご馳走になっていたことを見抜いていたのです。だからエドマンドは魔女のところに行ったのであり、エドマンドを探しに魔女の城に行けば、他の3人も捕らえられて石像にされてしまうと警告します。そしてタムナスさんやエドマンドを救うことができるのは、アスランだけだと諭すのでした。それで3人はビーバーのご主人の言葉に従うことにしました。


 それからビーバー夫妻と3人は食料を持ってこの家を出発し、ビーバーの緊急避難場所に移動することにしました。エドマンドの話を聞きつけた魔女の手下の秘密警察がビーバー夫妻の家にやってくる危険があったからです。この辺りのお話しも、何かナチス・ドイツの魔の手からユダヤ人たちを匿おうとした欧州大陸の善良な人々のエピソードを彷彿とさせるものがあります。ビーバーの避難場所に到着すると、ビーバーのご主人は喜びの声をあげました。なぜならそこにサンタクロースがやってきたからです。魔女がナルニアを支配するようになってから、一年中冬が続いておりながら一向にクリスマスはやってこなかったのですが、とうとうクリスマスのシンボルであるサンタクロースがナルニア国にもやってきたのです。魔女の支配が揺らぎ始めている証拠でした。このサンタクロースは、ピーターには剣と盾を、スーザンには弓と矢筒と角笛を、そしてルーシーには小さな薬の瓶と短剣をプレゼントしてくれました。


 アスランの到来によって、ナルニアの冬の時代が終わるという設定には、ルイスのアングリカンの信仰の影響が認められると思います。プロテスタント教会、特に敬虔派・福音派のプロテスタント教会においては、救いは全てイエス・キリストの十字架の死と復活の御業に集約されており、十字架の贖いを信じる個人にのみ救いはもたらされると考える傾向にあります。単にイエス・キリストが到来されたことによって世界に変化が生じるというような考え方はしないのです。けれどもルイスの『ライオンと魔女』の物語をキリスト教の救済の歴史に当てはめるならば、イエス・キリストの誕生以前の世界が冬の時代であったのに対して、イエス・キリストの到来によって冬の時代が終わりを告げるようになった面があるということになります。


 一方、兄弟三人から離れてしまったエドマンドは魔女のお城にやってくるのですが、一緒に兄弟を連れてこなかったために魔女は不機嫌になり、お目当てのターキッシュデライトはもらえず、ただ硬いパンを与えられただけでした。魔女はナルニアに伝わる不思議な伝承、つまり四人の人間がナルニアの王と女王になるという予言を知っていたので、自分の支配が脅かされないようにするために、エドマンドと他の3人の兄弟を捕まえて殺してしまおうと考えていたのでした。それでエドマンドがビーバーの家から来たことを密告すると、魔女は手下のオオカミにビーバーの家に向かわせます。そして下臣の小人には馬に引かせる雪上のソリを準備させ、エドマンドを連れて石舞台という場所に向かいます。ところがその途中、春の訪れはますます明瞭となり、雪も溶け始めたため、魔女は途中からソリを諦めて徒歩で石舞台に向かうことになりました。


 他方、ビーバー夫妻に連れられた3人は、先に石舞台に到着していました。彼らはそこでライオンのアスランと初めて出会います。アスランは遠くに聳えるケア・パラベルのお城をピーターに見せると、ピーターと他の3人がやがてこのお城の王になると予告します。ところがその時、魔女の手下のオオカミで秘密警察のモーグリムが襲って来たのですが、ピーターはサンタクロースから与えられた剣で見事モーグリムを仕留め初めての戦功をあげました。それでアスランはピーターを騎士に任じます。


 場面は再び魔女とエドマンドに移ります。手下のオオカミからモーグリムがピーターに殺されたとの知らせを受けると、魔女は自分の手下の悪者たちを集めてアスランに対抗しようとします。ところがその間に、アスランから遣わされた救援隊がエドマンドを救い出して石舞台に連れ戻すことに成功しました。4人の兄弟たちは再会を喜び和解します。


 そこに魔女の手下の小人がアスランへの伝令としてやって来ました。続いて白い魔女もアスランの前に登場します。魔女はアスランに4人の人間たちは自分のものだと主張します。もちろん魔女は4人を自分のものにしてから処刑するつもりだったのでしょう。するとアスランは魔女と二人だけで話しをします。しばらくの話し合いの後、二人は合意に達するのですが、この合意に魔女は喜びます。


 この合意のあと、アスランは石舞台を魔女に明渡し、自身と仲間はベルナの渡り場という場所に移動します。アスランはピーターに戦いの準備を命じますが、その夜、自分は一人で石舞台に赴きます。そこには魔女とその手下どもがおりました。アスランは彼らのなすがままになり、縛り付けにされ、最後に魔女が刃物でアスランを殺してしまいます。アスランの死骸を見て、スーザンとルーシーは嘆き悲しみますが、翌朝なんとアスランは復活するのでした。アスランの説明によれば、魔女は古い魔法に従って石舞台でアスランを殺したのですが、実は魔女の知らない、さらにより古い魔法があって、そのより古い魔法は、石舞台でアスランを殺すことによって、その効力が発生し、魔女の目論見は破綻することになったというのでした。


 生き返ったアスランは、スーザンとルーシーを背中に乗せて、魔女の城の城壁を飛び越え、城内に入り、そこに立っていた全ての石像を生き返らせます。石像の中にはタムナスさんもおりました。生き返った動物たちなどと共に、他のナルニアのアスラン側の動物やセントールたちも加勢して、アスランとその仲間たちは魔女の手下どもを攻撃します。最後にはアスランが魔女に襲いかかり、魔女にとどめを刺すのでした。


 ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシーの四人は、古い予言の通りに4人の王となり、ナルニアに平和な時代が訪れます。しかしある時、4人は白鹿狩りのために街灯のある所にやってくるのでした。かつて人間の世界からナルニアの世界に入った時の最初の場所です。4人はその場所でナルニアの世界から本来の自分達の世界に戻ることを選択します。もとの世界に戻ると、ちょうどナルニアの世界に入った時と全く同じタイミングで彼らは衣装ダンスから外に出ることになったのでした。幸いマクレディ夫人と見物客たちは衣装ダンスの部屋に来ることはありませんでした。この冒険の後、4人は学者先生に、衣装ダンスの中の4着の外套をナルニア国に置き忘れてきてしまったと告白します。けれども学者先生は4人にそれらの外套を取りに戻ることはしないようにと忠告したのでした。以上が『ライオンと魔女』の要約です。


 この『ライオンと魔女』で、アスランが魔女のいる石舞台に行く場面は、言うまでもなくイエス・キリストの十字架の死をモティーフにしています。おそらくプロテスタントの読者はほとんどが、『ライオンと魔女』におけるキリスト教的内容に関しては、このアスランの石舞台での死によって暗示されるキリスト教的贖罪論に関心を集中させているのではないでしょうか。この場面がイエス・キリストの十字架を暗示していることは小学生の頃に読んだ時にも理解できました。でもプロテスタントの読者は案外見過ごしているかもしれない事ですが、アスランが魔女やその手下たちのもとに行き、なぶりものにされるというストーリーは、イエス・キリストの十字架の死が、人間に関する権利を主張する悪魔に対して支払われた身代金(あるいは悪魔を誘い出す餌)であったと解釈する古代教会の贖罪論に近い形で示されています。プロテスタント神学が継承しているのは、中世のスコラ神学者アンセルムスの贖罪論ですが、アンセルムスが神ご自身の中で完結した代償的贖罪論を主張していたのとは明らかに異なる仕方(A. E. McGrath, Historical Theology, 2nd edn. [Chichester: Wiley-Blackwell, 2013], 104-06参照)で、ルイスは物語を創作しています。ここにもルイスの信仰のアングリカン的特徴が示されているように思われます。英国国教会は、一方でカトリック教会の神学と対話し、他方ではプロテスタント諸教派の神学と議論する中で、本来のキリスト教信仰を確立するための基礎として古代教父(古代のキリスト教神学者)たちの著作に関心を向けてきた面があるからです。


 このように『ライオンと魔女』にはキリスト教神学に関連する内容が色々と盛り込まれています。しかしながら、『ライオンと魔女』において、ルイスが最も伝えたかったキリスト教的使信は、キリスト教的贖罪論に関わる部分というよりは、むしろこの物語全体のストーリー構成それ自体に込められている事柄の方だったのではないでしょうか。『ライオンと魔女』の、特に出だしのストーリーが、キリスト教信仰の意義や目的を紹介するものとなっていて、ルイスは、この物語の構成が示そうとしている事柄を読者に一番読み取って欲しかったはずです。アリステア・マクグラスの講演から教えられたことはこの点でした。


 つまりルイスは、ナルニア国に最初に入ったルーシーと、次に入ったエドマンドが、このナルニアという世界についてそれぞれ別の説明を聴くというストーリーを創作したのでした。そのような筋書きによって、ルイスは、ナルニア国という架空の世界を理解するために、二つの説明があることを示します。一つはフォーンのタムナスさんの説明によって理解する方法と、もう一つは悪い魔女の話によって理解する方法です。そしてルーシーのようにタムナスさんの話を受け入れてナルニア国で歩んだ結果の方が、エドマンドのように魔女の言葉を受け入れて歩むよりも、幸せな結末を迎えることができるということを示そうとしているのです。これをキリスト教信仰に当てはめるなら、ルイスの信じるキリスト教による世界についての説明(世界観)を受け入れて生きることの方が、それとは別の、例えば無神論のような世界についての説明を信じて生きるよりも幸せであるとルイスは訴えたいのでしょう。そしてこの点が『ライオンと魔女』のキリスト教的内容の中で最も重要な点だと思います。


 キリスト教信仰とは何か、ということについては、いくつかの答え方が可能かもしれません。保守的なプロテスタント教会の中でなされてきた、もっとも代表的な説明は、新約聖書ヨハネによる福音書3章16節で要約されている使信、即ち「神はそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が一人も滅びることなく、永遠の命を受けるためである」という言葉に基づくものかもしれません。つまりイエス・キリストの十字架によって示された神の愛を信じ受け入れるなら、その人の罪は赦され、永遠の命が与えられるという教えです。そしてこの教えがキリスト教信仰の中心であり、福音のメッセージの核心であるという説明です。


 しかしC. S. ルイスはこのような使信を通して信仰を持つようになったわけではありませんでした。もちろん信仰者となったC. S. ルイスはヨハネによる福音書3章16節の教えをも受け入れるようになったはずです。けれども彼自身は、むしろキリスト教的な世界観を受け入れることによってキリスト教信仰に回帰した人物だったのではないでしょうか。以前紹介したルイスの自伝『喜びのおとずれ』によれば、彼は10代の頃にキリスト教信仰を離れて無神論者となっていました。しかしオックスフォード大学モードリン学寮の英文学フェローとなった時期に、ルイスはクリスチャンの同僚と出会って求道するようになります、そして同じ英文学専攻でカトリック教徒であったJ. R. R. トールキンから「キリスト教は真理の神話(true myth)だ」と教えられました。このトールキンの言葉が、キリスト教を受け入れる一つのきっかけとなりました。つまりこの世界は唯一の神によって創造され、人間は神によって創造された存在でありながら、神に叛いて罪を犯したために本来の栄光を失い、イエス・キリストの救いを必要とする存在となった。このような世界と人間についての説明です。この「大きな物語」は歴史的検証の領域を超えた神話的な説明ではあります。けれどもトールキンの言葉によってルイスはこの物語に真理が示されていると信じたのだと思います。そしてキリスト教が私たち人間について、あるいはこの世界について教えている宗教的・哲学的説明を受け入れて生きることが、人を幸福にすることができると信じるようになったのではないでしょうか。


 最終回はこの辺りで終わりにします。取手キリスト教会のホームページ上での「牧師の本棚」は以上で終了しますが、今後も毎月一冊本を読み、ネット上で紹介することはどこかで続けたいと願っています。

 


 
 
 

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