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ヴェルギリウス『アエネイス』第一巻から第六巻(Vergil, The Aeneid, rev. edn., tr. David West [London: Penguin, 2003], pp. 3-140)



 2023年の秋に東京都美術館で「永遠の都ローマ展」という美術展が開催されていました。これはヴァティカンにあるカピトリーノ美術館の所蔵品の一部を日本で公開したものでしたが、その展示の冒頭にはロムルスとレムスが狼から母乳を受ける場面をモティーフにした有名な彫刻が配置されていました。世界史の教科書には必ず掲載されるブロンズ像ですから、実物を見ることができたことに感動を覚えました。ロムルスのローマ建国神話は『アエネイス』に由来し、軍神マルスの子供とされるこの二人の祖父に当たるのがアエネースです。という訳で、今回はヴェルギリウスの『アエネイス』の前半(第一巻から第六巻)を紹介します。この叙事詩にはまだ入手しやすい邦訳がないようだったので、ペンギン版の英訳を読むことにしました。


 この叙事詩の作者であるヴェルギリウスは、ダンテ・アリギエーリの『神曲』において、ダンテを地獄と煉獄への旅へと導いた人物でした。ダンテはこのラテン詩人を尊敬していたのでしょう。ダンテにとってイタリア語の母胎である古典ラテン語の詩を鑑賞する事はそれほど難しいことではなかったものと思われますし、『アエネイス』の詩文の美しさを十分に理解していたのだと思います。この叙事詩の真価に触れるには恐らくラテン語で読めるようにならなければならないのでしょう。


『アエネイス』は、『オデュッセイア』同様に『イリアス』のスピン・オフとして書かれた叙事詩です。トロイアの滅亡の際、この都市を脱出したアエネースというトロイアの王子が主人公だからです。彼らは七隻からなる船団でLatiumを目指し、その地でトロイア王国の再興を目指したとされます(pp. 8-9)。トロイア陥落を招いた有名なトロイの木馬のエピソードは『アエネイス』によって知られるようになった逸話のようです。


 これはローマの建国神話の叙事詩です。日本人にとっての『古事記』『日本書紀』に該当するような作品といえるかもしれません。ちょうど『古事記』『日本書紀』が、天皇家の祖先を神々にまで遡らせたように、『アエネイス』は、これが書かれた当時の初期帝政の立役者アウグストゥス(オクタヴィアヌス)の属するカエサル家の祖先とされるロムルスがマルス(アレース)とイリアの子供とされ、さらにイリアの祖父がこの叙事詩の主人公アエネースであったとされます。アエネースは美の女神ヴィーナスとアンキセスの子供であり、さらに二人はジュピター(ゼウス)とディオネの子供たちであるとされています。ですからこの叙事詩はカエサル家の祖先を神々に遡らせることにより、カエサル家の家長アウグストゥスの神聖性と支配の正当性を顕彰することを目的とした極めて政治的な叙事詩であった訳です。建国神話の形を採りながら、その内容は紀元前一世紀のローマの政治状況を色濃く反映した作品です。


 第一巻は、トロイアを脱出したアエネイスの船と彼の船団が、地中海を航海・漂流して、北アフリカのリビアの海岸に到着する場面から始まります。アエネースの最初の滞在場所が北アフリカのリビアであったということにも、紀元前一世紀のローマの歴史的状況の影響を認めることができるのでしょう。この時期のローマにとって、紀元前3世紀から2世紀にかけて三度にわたって戦われたポエニ戦争はまだ比較的記憶に新しい重要な出来事であったのでしょう。リビアの海岸に到着したアエネースたちに向かって、ジュピターは予言の言葉を語ります。それによればアエネースの息子アスカニウスはイタリア半島のLaviniumという港に拠点を設けるようになり、やがてLatiumを支配するようになる。さらにその300年後には、アエネースの血を引く祭司の娘イラが軍神マルスと結ばれて双子を誕生させ、その内の一人ロムルスが都市ローマを建設するというものでした(p. 10)。つまりこの北アフリカの地は彼らの目的地ではないという訳です。続いて女神ヴィーナスも現れて、アエネースらが到着したリビアのカルタゴとその支配者である女王ディドについて説明します。ディドはフェニキア都市ツロの王女でしたが、兄のピグマリオンがディドの結婚相手を殺してしまいます。ディドの夫の亡霊に促され、兄の魔の手を避けるためにディドはフェニキアを離れ、カルタゴに移住することになったのでした。彼女は、アエネースの一行を歓待し、宴席を設け、ぶどう酒を振る舞います。そしてアエネースに、ギリシャ人の策略がどのようなものであったのか、トロイアの悲劇的な最後がどのようなものであったのか、さらにアエネースの一行がどのようにトロイアを脱出したのかと質問します(p. 24)


 第二巻で、アエネイアスはこれらの問いに答えるのでした。以下はアエネース自身の言葉によるトロイア滅亡の顛末です。難攻不落と思われたトロイアの落城の時はあっけなく訪れました。それはギリシャ人が敗北を認め、母国への安全な帰還を願って神に献げられたとされる巨大な木馬を、トロイア側が城内に引き入れてしまったために起きたのでした。ネプチューン(ポセイドン)の祭司ラオコーンは、これがギリシャ軍の策略であると警告するのですが、トロイアの羊飼いたちが捕まえた一人のギリシャ人の男が弁舌巧みにギリシャ軍の退却があたかも事実であるかのように語り、木馬の製作が純粋に宗教的な理由によるものであると説いたため、トロイアの王プリアモスは警戒心を解いてしまい、木馬を場内に入れてしまうのでした。木馬の中に潜んでいたギリシャ軍の精鋭は、夜トロイアの城門を内側から開放し、一旦は退却していたかに見せかけていたギリシャ軍本隊を城内に招き入れることに成功します。ギリシャ軍はトロイア全体に火を放っただけではなく、おりからの強風の中で周囲の穀物畑にも火を放ちます。火炎による蕩尽の徹底さは、何か東京大空襲を行った米空軍の残虐さを想起させるものがありました。トロイア城内で焼失を免れたものはギリシャ軍によって略奪されてしまいます(p. 39)。アエネースはトロイア王プリアモスの最期についても語ります。ギリシャ軍が迫る中で、プリアモスは、死を覚悟の上で、鎧を身につけて武装し、祭壇のそばに立ったのでした。しかしそこにピルスによって負傷した瀕死の息子ポリテウスがやって来ます。息子の死を目の当たりにしたプリアモスにピルスは情け容赦なくとどめを刺したのでした。


 一方、その夜、眠っていたアエネースに夢の中で戦死したはずのヘクトルが現れ、起きてトロイアを脱出するように促します。ギリシャ軍の殺戮と火災によるトロイアの最期を見届けようとしているアエネースに、彼の母親ヴィーナス(アフロディーテ)も幻のうちに現れて脱出を命じるのでした。彼の父アンキセースもとうとうトロイアを放棄する覚悟を決めて、息子と共にトロイアからの離脱することを受け入れます。火災が迫る中でアエネースは脱出用の船へと急ぎますが、その最中に妻クレウサとはぐれてしまいます(p. 46)。アエネースは戻って妻を探そうとしますが、妻が幻のうちに現れ、この別離が神慮であると語り、アエネースに改めてトロイア脱出を促したのでした。


 第三巻もアエネースによる語りが続きます。壊滅したトロイアを後に出航したアエネースと彼の船団の船旅が綴られます。船上でアエネースは神々に、彼らとその子孫が定住することのできる場所へと導いてくださるように祈ります。彼らはまずエーゲ海に浮かぶデロス島に立ち寄り、島の神殿でアポロンの託宣を求めたのでした。するとアポロンはアエネースの太古の母の地を目指せとの託宣を与えます。父のアンキセースは、これがクレテ島を指していると解釈し、クレテ島にも立ち寄ります。さらにヘクトルの元妻であったアンドロマケが住む地方にも立ち寄ります。ここにはトロイを模した都市がすでに建設されてはいたのですが、しかしこの島も、アエネースがトロイアを再建する場所としてはふさわしいものではありませんでした。この流浪の最中シチリア島で父のアンキセースは亡くなります。そして最後に辿り着いたのが北アフリカのリビアの地、フェニキア人の植民都市であったカルタゴでした。


 第四巻では、カルタゴの女王ディドとアエネースとの恋愛が綴られる章です。第二巻・第三巻で、アエネースがトロイア脱出から地中海放浪の旅を物語るのを聞いて、女王ディドは、アエネースの勇気と壮健さに魅了されてしまいます。ディドは、アエネースと共に狩に出かけ、恋愛を成就させ、アエネースが終生の定住の地としてカルタゴを選ぶことを切望するのですが、既にジュピターの託宣によりアエネースにカルタゴは彼の都市建設のための場所ではないと告げられていたため、アエネースはディドの期待を裏切る選択をしてしまい、程なくしてカルタゴから出発することになったのでした。悲嘆に暮れたディドは、悲しみと怒りの中から呪いを込めた祈りの言葉を発します。「我々が(アエネースと)敵対し続けますように。海岸が海岸に対して、海が海に対して、剣が剣に対して。二つの国の間に、彼らの子孫との間に戦争があるように。」(p. 87)つまりディドの好意を振り払ってアエネースがカルタゴを離れたことが、ポエニ戦争の遠因となったかのようにヴィルギリウスは描いている訳です。


 第五巻では、アエネースの船団はシチリア島に戻り、そこでトロイア出身のアケステースと出会います。ここで一年前に亡くなっていた父アンキセースの葬儀と死者を追悼する競技が行割れることになります。アエネースはボート競争の勝者には月桂樹の葉で作った冠を贈りました。またこのような競技の開催者として、プライドの高い競技者たちと巧みに接することで、アエネースは優れたリーダーシップを発揮します。このように『アエネイス』は、前半を読むだけでも、戦争、恋愛、スポーツなどが盛り込まれた多彩な叙事詩として書かれていることがわかります。しかもそのような多彩なドラマが、地中海各地を巡る航海記の中に盛り込まれる形になっているのです。古代人の読者にとって、この叙事詩は優れたエンターテイメントと感じられたのでしょう。


 第六巻では、アエネースとその一行は、ついにイタリア半島のナポリ付近に上陸します。そこで祭司で預言者でもあるシビルという女性に出会い、アエネースは地下の世界に行かせて欲しいと願います。彼は父アンキセースとの再会を欲していたのでした。シビルはその願いに応じてアエネースを地下の世界に導きます。そこでアエネースは父と再会することができるのでした。この「地下の世界」に関する部分は、あるいはのちにダンテ『神曲』の地獄篇に影響を与えることになったのかもしれません。


『アエネイアス』を読むと、地中海世界における古代ギリシャ文化の影響の大きさを改めて痛感させられます。ヴェルギリウスがこの叙事詩を書いたのはアウグストゥス帝の時代でした。内乱に終止符を打ち、初期の帝政を確立したこの皇帝の支配を称賛するためにこの叙事詩は書かれたのでしょう。そのようなローマ帝国の興隆期に、都市ローマの起源を物語るために、ヴェルギリウスはトロイア戦争にまで遡り、ホーメロスの叙事詩に、ローマ建国神話を結びつけている訳です。この詩が書かれてから、ほぼ一世紀後には、五賢帝の一人であるハドリアヌス帝が登場しますが、彼は現在のスペイン出身の人物でありながら、ローマ皇帝で最初に髭を生やした皇帝として知られています。トラヤヌス帝までのローマ皇帝の彫像で、顎髭をたくわえている人物は一人もいませんでした。なぜハドリアヌスがローマの伝統を破ることになったのかと言えば、彼がそれだけギリシャ文化に憧れ、ギリシャ文化の影響を受けていたからでした。2世紀は古代ローマ帝国の最盛期と目される時代ですが、この時代のローマ帝国のエリートたちにとっても、古代ギリシャは模倣すべき高度な文化を擁すると理解されていたのでした。以前は、コンスタンティヌス帝が、なぜ第二ローマにビザンティウム(コンスタンティノープル)を選んだのか不思議でしたが、ダーダネルス海峡を挟んで、滅亡したトロイアの対岸に位置する場所に、第二の帝都を築くということは、後期ローマ帝国の皇帝にとってさえも当然のことと思われたのかもしれません。古代ギリシャの遺産はローマ人にとってそれほど輝かしいものであったのでしょう。


 古代ギリシャの栄光は古代地中海世界にとどまりません。中世イスラム世界は、アリストテレスなどの著作をアラビア語に翻訳して摂取したことによって、同時代の西欧よりも進んだ文明を構築することができました。西欧中世は12世紀以後、スペインで伝承されていたアラビア語訳のアリストテレスの著作を、さらにラテン語に重訳することによって、それまで西欧では知られていなかったアリストテレスの著作を読むことができるようになり、スコラ学の発展に繋がりました。さらにビザンティン帝国の滅亡によってギリシャからもたらされたギリシャ語の古典文献の流入が、ルネッサンス期の学芸の発達をさらに進めています。こうしてみると、古代ギリシャ人たちが生み出した学術書や文学作品が、他の文化圏に対していかに大きな影響を及ぼして来たかは明らかです。


 古代ギリシャは、日本人にとっては遠い世界の文明ですし、西洋文明の基底をなすとはいえ、日本の伝統文化とはほとんど接点を持ちませんから、古代ギリシャの学芸に関心を向けるという人は、決して多くはないとは思います。しかし西欧・東欧の文化のみならず、ユダヤ教やイスラム文明の歴史を理解するためにも、古代ギリシャの遺産から学ぶことは有益だと思います。そうであれば日本人は、古代ギリシャの文化的遺産にもっと関心を向ける必要があるように思います。などと書いているうちに、ローマの建国神話の紹介のはずが、古代ギリシャのすすめになってしまいました。



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