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春名幹男『ロッキード疑獄: 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』角川書店、2020年; 佐藤優『国家の罠: 外務省のラスプーチンと呼ばれて』新潮文庫、2007年



 今回は二つの本を同時に取り上げることにしました。これら二つの本は、戦後日本という国が、少なくとも二度独自外交を試みながら、その試みが妨害されると同時に、日本という国が対米従属の深みに一層はまって行くことになる転機とも関連する二つの出来事に関する本です。


 春名幹男『ロッキード疑獄』は2020年11月のvideonews.comの番組で紹介されていました。出版されたのはこの年の10月でした。とても読み応えのある本で、当時購入して一気に通読しました。春名幹男さんは共同通信の元記者で、ロッキード事件が発覚して以来、この事件のことを追い続けていたジャーナリストです。


 以前から囁かれていたことですが、田中角栄がロッキード事件に連座させられたのは、アメリカの権力の中枢に田中角栄を憎んでいた人物がおり、その人物の策略によって事件に巻き込まれたのではないか。そのような憶測がこれまでしばしば語られてきました。春名さんは、その憶測が事実であった可能性があること、そして田中角栄を憎んでいた人物が、ニクソン大統領の補佐官を務め、フォード政権の国務長官であり、最近亡くなったヘンリー・キッシンジャーであったことを本書で示そうとされました。この本の中ではキッシンジャーがどのような方法で田中角栄を追い落とした可能性があったかを明らかにしています。


 事件の発端は1976年のアメリカ上院外交委員会多国籍企業小委員会(チャーチ委員会)で、ロッキード社のコーチャン元副社長らが、旅客機トライスターと対潜哨戒機P3Cの売り込みのために、日本の政界・財界に多額の工作資金(賄賂)を提供したと証言したことが発端でした。しかもコーチャン氏が証言した日本の政治家の中には田中角栄元首相の名前も入っていたのでした。当時キッシンジャーは国務長官であったので、上院外交委員会の諸手続きに関与できる立場におりました。春名幹男さんは、この問題について、アメリカに存在する公文書などの資料を丹念に調査し、田中の名前がチャーチ委員会に出ることを可能にする上でヘンリー・キッシンジャーが役割を果たしたことを裏付ける資料を発見し、それについてこの本の中で報告しています。ロッキード事件は、キッシンジャーの意向によって発覚した事件ではありませんが、キッシンジャーはこの事件に便乗して、彼が好ましく思っていなかった田中角栄の影響力を低下させ、裁判闘争によって疲弊させ、病死に追い込むことに成功した可能性があったのでした。


 なぜキッシンジャーは田中角栄を蛇蝎の如く嫌ったのでしょうか。それは田中角栄が実現した日中国交正常化を許すことができなかったからのようです。田中角栄は、ニクソン訪中以前から、日中国交正常化の実現を自分の政策目標と定めて、外務省中国スクールの官僚と勉強会を重ねて準備し、日米安保条約を維持しながら日中国交正常化を実現することは可能であるとの判断に到達していたのでした。ですからニクソン訪中の直後、田中は時を置かずに行動することができました。ただ国交正常化のためには北京政府の主張する「一つの中国」を受け入れる必要があると外務官僚から進言を受け、田中はこれを受け入れることにしたのでした。


 この田中角栄の選択は、ニクソン大統領が訪中した際に交わされた「上海コミュニケ」と呼ばれる外交文書の内容より、中国寄りに踏み込んだものでした。「上海コミュニケ」は、キッシンジャーが米中関係改善のために苦心して作成した文書だとされますが、この文書でアメリカは「一つの中国」に関して、北京政府がこれを主張しているということに理解を示す、と表明しているだけの文書でした。つまりアメリカは、それまでの台湾海峡を巡る問題に関して、基本的な外交上の立場を全く変更せずに「上海コミュニケ」を中国と交わし、関係改善を実現したのでした。一方、日本は対中外交に関して明確に方針転換を行い、中国の主張を受け入れたために、1979年には日中平和友好条約の締結にまで漕ぎ着けます。それによって日本は西側諸国に先駆けて中国市場に進出する足がかりを得たわけです。


 けれどもこのような田中角栄や日本の動きについて、キッシンジャーは「ジャップが上前をはねやがった」と口汚く罵っていたのだそうです(275頁)。キッシンジャーは、日本がアメリカに先んじて中国市場に食い込む選択をしたことを怒っていたのでしょう。ただそのような経済的な理由以上に、キッシンジャーは、自分が苦心して作成した「上海コミュニケ」のような外交文書の国際関係上の、特に東アジアにおける安全保障体制にとっての重要性を、田中角栄が軽視しているように感じたのかもしれません。アメリカのギリギリの外交努力を踏み躙るような田中角栄の選択を、国際関係の専門家として容認できないものがあったのかもしれません。その一方で春名幹男は、キッシンジャーという人物が、人格に問題を抱えた人物であった可能性が高く、非常に悪辣でたちの悪い男であったことも本書によって示そうとしています。当時の田中角栄や日本政府は怒らせるべきではない相手を怒らせてしまったのかもしれません。


 現在の我々は、田中角栄が行った日中国交正常化という選択を、より客観的に評価すべき地点に立たされているように思います。日中国交正常化から既に50年以上が経過しますが、日米安保条約のもとで、日本がアメリカより先に中国との関係を改善し、中国に経済進出したことが果たして長期的に日本の国益にプラスであったのでしょうか。その後1990年代にクリントン政権は中国をWTOに加盟させ、アメリカ企業も中国市場に進出することができるようになりました。日本が対中貿易で優位を保てたのはせいぜい1990年代までのことでした。他方、対中貿易による利益を相殺するかのように、1980年代のアメリカはジャパン・バッシングなどによって、日本の経済力を弱める様々な施策をとるようになったように思われます。その背景には日本が中国と接近しようとしたことへの警戒感もあったのかもしれません。しかも近年の台湾海峡の緊迫した情勢の中で、結局日本政府は、日中平和友好条約よりは日米同盟を優先する発言をせざるを得なくなっています。50年ほど前に田中角栄が行った選択は、果たして賢明な選択であったのかどうか、我々は冷静に考える必要があるように思います。


 ただそういう国際政治上の問題はさておき、この本から改めて痛感させられることがあります。それはアメリカの権力者たちと付き合うことが、いかに大きなリスクを伴うことであるか、またいかに知識と経験と慎重さを必要とすることであるか、ということです。アメリカの政治家のにこやかな笑顔の裏に渦巻く複雑な感情や心理を理解することなしには、我々はアメリカ合衆国という巨大な力の前に、しばしば屈辱的な敗北を喫することになったり、努力して積み上げたものを簡単に収奪されてしまったり、見返りの少ない犠牲を払わされたりする失敗を、これからも繰り返すことになりかねません。政治に限らず、アメリカ人との関係の中で仕事をしなければならない人には春名幹男さんの本をお薦めしたいと思います。


 加えて春名さんがこの本を書いたもう一つの目的は、ロッキード事件の捜査が、実は事件の全貌解明には程遠い状態にあることを改めて示すことにありました。この問題は、検察による捜査が行われていた当初からすでにメディアによっても指摘されていましたが、東京地検特捜部の捜査は、ロッキード社のトライスターの売り込みに関連する贈収賄を解明しただけで、もう一つの疑惑、即ち巨額の防衛利権の絡んだP3C対潜哨戒機の採用・購入に係る贈収賄事件は、全く解明されずに終わってしまっています。本書はこの事実を改めてクローズアップしていました。


 対潜哨戒機が果たす軍事的な役割はアメリカが日本に対して求めるようになった防衛協力の中核を占めるようになったものです。海上自衛隊の対潜哨戒機が果たしている任務は、ロシアと中国の原子力潜水艦、特に潜水艦発射型核弾道ミサイルを搭載する潜水艦の行動を監視することにあります。アメリカは偵察衛星や対潜哨戒機などを駆使して、ロシアと中国の全ての核兵器搭載可能な潜水艦の行動を把握し追跡するように努めており、日本近海での行動の監視は海上自衛隊の対潜哨戒機が分担しているのだと思います。この対潜水艦哨戒活動は、全て日本の防衛費によって賄われています。けれどもその目的は日本の防衛ではなく、アメリカ本土が潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)によって核攻撃されにくくするため、あるいはアメリカの空母打撃群にとって脅威となる中露の攻撃型原子力潜水艦を監視するためのシステムに情報を提供することを目的としているのだと思います。日本は米軍基地のために思いやり予算を支出しているだけではなく、このような対潜水艦監視網の維持という面でもアメリカの安全保障に協力し、大きな犠牲を払ってきました。


 こうしたシステムの構築の必要性が認識されるようになって、1970年代にアメリカは日本に対潜哨戒機の購入を働きかけるようになったのだと思います。そしてより高度な任務を遂行するために、それまで海上自衛隊が使用していたP2Jの後継機となる次期対潜哨戒機として、国産機ではなくロッキード社のP3Cが採用されることになりました。日本政府によるこの決定がなされるためにロッキード社から投入された工作資金の金額は民間旅客機トライスターの工作資金の金額を遥かに凌ぐものであった可能性があるとされます。それは即ちP3Cの採用による利益が、トライスターに比べて遥かに大きかったからなのでしょう。そしてこのP3Cの採用を進める上で重要な役割を果たしたのが右翼のフィクサー児玉誉士夫でした。彼はCIAの協力者でもありました。そして児玉の先には岸信介や中曽根康弘などの政治家へも巨額の資金が流れたのではないかと推測されています。春名幹男さんは、この本の取材の過程で、アメリカの諜報関係者にもインタビューし、児玉をCIAの協力者、岸信介のことをCIAの同盟者であったとの評価を得ることに成功しています。


 P3Cルートの解明については、どういうわけか東京地検特捜部は及び腰で、ほとんど疑惑は解明されることなく捜査は終了してしまいました。このような検察による偏った捜査のやり方は著しく公平性を欠くのではないか。それが春名幹男さんの訴えている、もう一つの重要な論点です。ただそれは検察の捜査が公平ではなかったというよりは、日米安保条約に関連して日本国内で発生する防衛利権の実態というものが、国民には知らされない所で決定され、維持されてきたのであり、日本の検察は、この日米安保に関わる防衛利権の暗部に切り込む権力を持っていないということなのだと思います。それはこの国の現在の姿を如実に映し出す現象であったのでしょう。これまで日本の国防政策は、国民には実態が示されることのないままに、ずるずるとアメリカの東アジア安保戦略に組み込まれる形で決定されてきました。具体的には日本の自衛隊の兵器の購入と有事への対応の計画の立案は、日本政府独自の国防政策に基づくのではなく、アメリカから求められるままに進められて来た面が強いのだと思いますが、この歴史と現状について残念ながら我々はほとんど何も知ることができず、アメリカ政府と日本政府との間で秘密裏に決定されて来たことを、黙って受け入れるしかない立場に置かれ続けているということなのだと思います。以前『キメラ』という本を紹介した時にも書きましたが、日本とアメリカの関係は、かつての満州国と日本の関係のようになってしまっているのです。ですからこの本は、読者である日本国民に、日本の外交と安全保障はこれからもこのままで良いのか、という重い問いを突きつけていると思います。


 一冊目の『ロッキード疑獄』が主に対中独自外交路線の試みと挫折に関連するとすれば、二冊目の佐藤優『国家の罠』は、1990年代の日本独自の対ロシア外交の試みと挫折に関係があります。この本が暗示していることは、新自由主義に基づく構造改革を行ったとされる小泉政権が、恐らくはアメリカの諜報機関などとも関係を持ちながら、竹下派経世会による自民党支配を切り崩すことを目的とした政権であったということなのでしょう。小泉首相が郵政民営化などを行ったのは、郵政省の利権に関与していたのが主に旧竹下派であったからでした。郵政民営化は、主に地方の政治や経済に重要な役割を果たしてきた郵便局に関わる利権を潰し、アメリカの保険会社などが日本の生命保険などの市場により一層参入しやすくする地ならしをしたような面があると思います。その小泉政権の時期に、佐藤優さんに対する国策捜査が行われたということは偶然ではないのだと思いますし、小泉政権の特質を浮き彫りにする出来事の一つであったのだと思います。佐藤さん自身もこの本の中で書いていますが、小泉政権の成立は、後で振り返って、あの時が日本の転機であったと気付かされるような事件であったと思います。


 1990年代の橋本政権、小渕政権、森政権においては、国家の目標として2000年までに日露平和条約を締結するという目標が掲げられていたのだそうです。しかし、そのような目標は残念ながら果たされず失敗に終わりました。その失敗が明らかになった後、対ロシア独自外交に批判的であった外務省内の勢力は、田中真紀子元外相と鈴木宗男議員の争いに乗じて、鈴木議員や佐藤さんを排除したようなのです。そのような国策捜査を誰が指示したのかは明らかではありませんが、恐らく直接的には小泉首相自身であったのではないかと思います。そのことを暗示する箇所が本書441頁に書かれています。東京地検特捜部の担当の西村さんという方が、佐藤さんに対して、どのような取り調べを行ったのかは非常に詳しく記録されていますが、取り調べの終幕は大変あっけなかったと佐藤さんは述懐しています。それは佐藤さんに関連する事件を徹底的に追求すれば森喜朗元総理にも疑惑が及びかねないことが捜査過程で明らかになると、その直後に佐藤さんに対する取り調べが全て終了することになったという風に書かれているからです。森元首相は言うまでもなく、小泉首相と同じ清和会に属し、小泉首相とも近い関係にあった人物です。ただ国策捜査を推進した力は小泉首相自身というよりは、小泉首相の背後にさらに一定の勢力が存在していたと考える方が事実に近いのかもしれません。


 佐藤さんがこの本を書き残した目的についてこう書いています。「しかし困難な外交交渉を遂行するために、日本国家が天狗(佐藤さんのような異色の才能)の力を必要とする状況はこれからも生じるであろう。そして、天狗の善意が再び国策捜査によって報いられることもあろう。これについては『運が悪かった』と言って諦めるしかない。それでも誰かが国益のために天狗の機能を果たさなくてはならないのである。少なくとも私はそう考えている。過去の天狗が自らの失敗について記録を残しておけば、未来の天狗はそれを参考にして、少なくとも同じ轍は踏まないであろう。これが私が回想録を執筆するに至った主な動機である。」(507-08頁)


 私はこの佐藤さんの考えに共感を覚えます。と同時に、私はこうも思います。この本の意義とは、佐藤さんと同じ失敗を繰り返さないようにするため、というだけではなく、むしろ佐藤さんと同じような「天狗」が、この本を読む人々の中から出てくることが期待される点にあるのではないでしょうか。別の箇所で、佐藤さんは、外務省の中枢にあって、自分を追放することに加担した人々は、「外務省という水槽を守りたい人々」であると表現していました。外務省の官僚たちが、外務省の中で旨味のあるポストにありつき、退職後も恵まれた天下り先を確保することを最優先に考える人々ばかりになってしまったら、この日本という国は、ますます国際的な地位を低下させ、政治的にも経済的にも活力を失って行くことでしょう。しかしこの回想録を読んで刺激を受けた人が、佐藤さんと同じように日本の真の国益のために汗を流そうと努力する時に、そういう人々を快く思わない人々は、これからも登場し続けると思います。そして佐藤さんのような、天狗のような人々は、これからも事なかれ主義で良いと思う人々、世界という大海に漕ぎ出すことなど考えずに、水槽の中でぬくぬくと生活することを考える人々から、異端視され、攻撃を受けることでしょう。だから佐藤さんと同じ轍を踏んでしまう人はこれからも出てくるとは思います。それはある程度仕方がないことです。けれども、そういう日本の若者たちが確実に増えていくことが、この国にもう一度活力を生み出す突破口になりうるのではないかと思うのです。


 最後に、この二つの書物から考えさせられたいくつかのことに触れて終わります。


 まずこの二冊の読者は、日本の司法制度について冷厳な事実を知らされます。第一に、この日本という国で行われる刑事事件の捜査は、検察によって著しく公平性を欠く形で、行われてしまう可能性があるということです。つまり児玉誉士夫や岸信介や中曽根康弘のように、アメリカのエージェントと近いとされる人物は日本の検察の追及を免れる可能性が高いということです。日本の検察にはこうした人々を法廷に引き出す力は恐らく現在も持っていないのでしょう。これは明らかに法の下の平等の原則に反しますが、現状ではどうすることもできない現実だと思います。第二に、この国で行われる裁判には、事実が何であったのか、ということとは無関係に、その時期の政治権力の意志によって政治犯に仕立て上げられた人がいた場合、その人が全く違法行為を行っていなかったとしても有罪とされてしまうことがあるということです。佐藤優さんの場合は、控訴審において、かつてのロシアチームの上司の一人であった東郷和彦氏に証言台に立って頂くことができ、佐藤さんが罪に問われている行為は全て当時の外務省が組織として行った行為であって、佐藤さん何ら違法行為ではなかったと証言してくださったのでした。しかし佐藤さんが罪に問われた事案に関して、外務省内に保存されているはずの決済文書は全て破棄されてしまっていたのだそうです。ですから控訴審の裁判官は、東郷氏の証言に耳を傾けることをせず、粛々と国策捜査の目的を遂行すべく、佐藤さんを有罪としたのだそうです。この国の政治権力は、ロシアや中国とまでは言えなくとも、それと類似した専制的・恣意的な権力の行使が可能である。我々は残念ながらそういう強力な国家権力の支配のもとに置かれた国民であるということを認識する必要があると思います。


 また、この二つの本に共通する陰のテーマは、戦後日本が抱えてきた都市と地方の格差是正という重要な政策課題が、対米従属を強める中でなおざりにされ、放置されて行ったということにあるように思います。田中角栄が目指したのは、その成否はともあれ、都市と地方がバランスよく発展する国家でした。そのために日本独自の経済システムを可能な限り温存し、外国金融資本の影響をできるだけ排除することが優先されていたのでした。田中派から分かれた経世会の経済政策も基本的にはそのような方向性のものであったことでしょう。しかし佐藤優が指摘している小泉政権による日本の新自由主義経済への路線転換も、またその後の安倍政権の目指していた路線も、生産性の低い地方に投資するのではなく、都市に投資を集中させ、経済効率を良くし、投資に対する利益を極大化しようという発想であったように思います。これは1990年代に日本の金融市場を海外の金融資本に解放したことと関係があるのでしょう。小泉以後の政権は、日本国民にとっての長期的な利益などは無視して、海外の金融資本が日本に投資した場合、利益をできるだけ回収しやすい国に、つまりは外国資本が儲けやすい国に作り変えたのだと思います。こういう政策を続けて行けば地方の人口減少はさらに急速に進みますし、外国資本による日本からの収奪がさらに強化されることでしょう。


 さらにこの二つの本を読んで、日本がいつまで対米従属路線を続けるべきなのか、この路線とは異なる自主独立の道はどのように実現可能なのかを考えさせられるように思います。アメリカという国も巨額の政府債務を抱えており、現在のような巨大な軍事力による覇権や世界金融における覇権を今後どの程度維持できるかはわかりません。ウクライナ戦争後に行った対露経済制裁があまり効果を産んでいないことからもわかるように、ドルを基軸通貨とする世界経済におけるアメリカの覇権も、遠からず終焉の時を迎えるのかもしれません。他方、今後もアメリカという国は、日本に対して、アメリカの安全保障政策に協力するために巨額な予算をさらに多く使うことを要求してくることになるでしょう。主にアメリカの安全保障に役立つアメリカの兵器を買わされ、有事の際にはアメリカの指揮下に戦わされる自衛隊を我々は維持させられるのです。日本という国は、本当にそういう国であり続けて良いのでしょうか。アメリカに助けてもらわなければ国土を防衛することができないような、あるいはアメリカの安全保障政策のために日本の主権を放棄して基地を置き続けてもらうような、そういう国であり続けて良いのだろうかと考えさせられます。


 日本が自主独立の道へ踏み出すことは容易ではありませんが、しかしそのために最初にできることは若い人材を育てることではないかと思います。アメリカ人と友情を築き、アメリカ人と率直に議論をすることのできる日本人がさらに多く必要です。対米自立の道は、アメリカに敵対的な路線によってではなく、アメリカとの関係の中で追求されるべきものだと思われるからです。同時に、より多くの日本人が、アメリカ以外の世界の人々と友情を結ぶ努力をすることが必要です。佐藤さんがロシア人と結んだような友情を、諸外国の人々と結ぶ努力をする若い日本人が多く輩出されるようになって欲しいと思います。この国が平和と繁栄を維持するためには、何よりも日本の利益のために働く優れた人材を生み出す努力をする以外に道はないように思います。

 

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