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ホメロス『イリアス』(下巻)松平千秋訳、岩波文庫、1992年


『イリアス』に似た国文学の古典を挙げるとすればやはり『平家物語』でしょうか。戦記であるという内容上の類似もさることながら、琵琶法師によって口伝で伝承されたとされることや、敗北した側がタイトルになっていることも似ています(イリアス/イリオスはトロイアの別名)。ただ読み終えた感想を一言で表現するなら、芭蕉が中尊寺の脇を流れる衣川の岸で詠んだとされる「夏草や、兵(つわもの)どもが夢の跡」の句が相応しいと思います。平家討伐に功績のあった源義経が、兄頼朝に朝廷との関係を疑われて平泉に逃れるも、追い詰められて武蔵坊弁慶と共に衣川のほとりで散った、その栄光の儚さを滲ませる一句です。この叙事詩には、それこそ数え切れない程の「つわもの」たちが登場するのですが、中でもトロイア軍の総大将ヘクトルの死は特に悲劇的な出来事として語られています。時代と地域は違えど、かつて芭蕉が得た感動に似た感慨を『イリアス』の読者も読み終えて感じることになるのではないでしょうか。


 前回は『イリアス』上巻の第十二歌までを読みました。ミュケナイ王アガメムノン率いるアカイア軍は、総大将アガメムノンとの反目によるアキレウスの参戦拒否もあって、優勢なトロイア軍に追い詰められて行きます。ついに船陣を防御していた濠と防壁も破られて、トロイア軍がアカイア軍の船陣に入り込む。上巻はそこまで物語りました。


『イリアス』下巻、第十三歌は、トロイア軍がアカイア船陣に迫る中、オリュンポス十二神の内、ゼウスに次ぐ力を持つとされるポセイダオン(ポセイドン)がアカイア軍に加勢する所から始まります。ポセイダオンが、まずアンドライモンの子トアスに乗り移って、クレーテ王イドメネウスを鼓舞します。イドメネウスは既に初老の戦士でありながら闘志をみなぎらせる豪勇でした。アカイア船陣におけるトロイア軍の攻勢は、クレーテ勢を率いるイドメネウスと彼の従者メリネオスが左翼に展開し、彼らが活躍したことによって食い止められたのでした。


 第十四歌は、劣勢の続くアカイア軍の指揮官たちの議論から始まります。アガメムノンは改めて撤退を提案しますが、オデュッセウスは即座に反対し、ディオメデスも徹底抗戦を主張します。一方、アカイア軍の会議の最中、オリュンポスではゼウスの妻ヘレが策略を講じます。トロイア軍優勢の最大の理由はゼウスがトロイアに味方していたからでした。そこでヘレはゼウスを色仕掛けでイデの山に誘い、「眠りの神」の協力を得て、ゼウスがしばらくの間トロイア戦争について忘れるように仕向けます。その隙にポセイダオンはアカイア軍の兵士たちの士気を昂め、負傷していたはずのオデュッセウス、アガメムノンらは武具を身につけ、再び戦闘に復帰します。そして巨漢アイアスの投げた石によってトロイアの総大将ヘクトルは負傷し、一時戦線離脱を余儀なくされます。こうしてアカイア軍は神々の助けによって戦局を好転させるのでした。


 しかし第十五歌で、ゼウスは目を覚し、妻ヘレの策略に気づきます。ゼウスはトロイア軍が劣勢に陥っているのを見て、ポセイダオンにアカイア軍から手を引くように命じます。ポセイダオンは、アカイア軍を滅ぼすことだけは受け入れられないと条件をつけつつ、渋々これを受け入れます。さらにゼウスは、トロイア軍の総大将、プリアモスの子ヘクトルの元にアポローンを送ります。アポローンは、負傷したヘクトルに力を吹き込み、それによって回復したヘクトルは戦闘に復帰します。ゼウスのテコ入れによってトロイア軍は今一度勢力を挽回するのでした。


 第十六歌では、アカイア軍の劣勢を憂えたパトロクロスの活躍が描かれます。パトロクロスは、依然戦闘を拒否し続けるアキレウスに、アカイア軍の危機的状況を伝え、せめてアキレウス配下のミュルミドネス勢を自分の指揮下に参戦させて欲しいと願います。このパトロクロスとの会話の中でもアキレウスはアガメムノンに対する敵意を隠しません。「何者にせよ権勢に勝るのを良いことに、自分と対等である者からものを奪い、その手柄の褒賞まで取り上げるようなことがあると、むしゃくしゃしてどうにも腹の虫が収まらぬ」(117頁)。アガメムノンは格上の王とは言えアキレウスも一国の主でした。それにもかかわらずアガメムノンは権勢に任せてアキレウスの愛人を奪ったのでした。そのことをアキレウスは根に持っていたのでした。それでもアキレウスは、パトロクロスの要請を受け入れ、彼がミュルミドネス勢を率いて戦闘に参加することを許します。彼らを戦闘に送り出す前に、アキレウスは二つの願いを大神ゼウスに祈ります。一つはミュルミドネス軍の参戦によってアカイアの船陣からトロイア軍を追い払うことができるように、もう一つはパトロクロスを無事に凱旋させるように。ゼウスは最初の祈りは叶えますが、もう一つの祈りは拒否します。パトロクロスは、トロイア軍の勇士たちを次々と倒したあと、リュキエ勢を率いるサルぺドンを仕留めますが、敗走を始めたトロイア勢とリュキエ勢をパトロクロスは深追いし、これが仇となります。パトロクロスは、アポローンの味方するプリアモスの子ヘクトルの槍を受けて戦場に倒れるのでした。ヘクトルは息を引き取ろうとするパトロクロスの前で勝ち誇りますが、絶命寸前にパトロクロスは、ヘクトルがアキレウスの手にかかって死ぬと予告をします。


 第十七歌では、パトロクロスの遺体を巡って、トロイア軍とアカイア軍が争います。ヘクトルはパトロクロスが身につけていたアキレウスの武具を奪い取ることに成功します。しかしパトロクロスの遺体を奪取するには至りませんでした。


 第十八歌で、パトロクロスの戦死と彼の使っていた自分の武具がヘクトルに奪われたことを知って、アキレウスは、母テティスにヘクトルに対する復讐を誓い、いよいよ自ら出陣することを決意します。アキレウスは、自分が戦闘に参加すれば戦死する運命であるとの予言を受けていたのですが、親友の戦死はアキレウスをして運命を賭してでも戦闘に参加することを選ばせたのでした。アカイア軍とトロイア軍は、パトロクロスの遺体の争奪を繰り広げますが、アキレウスの参戦に力を得て、矢弾の飛び交う中、パトロクロスの友人たちは遺体を担架に乗せて、後方に運ぶことができました。その夜、トロイア軍のプリュダマスは、ペレウスの子、俊足のアキレウスの参戦による戦況の悪化を見越して、総大将ヘクトルに、退却してトロイア城を守ることを進言します。しかしヘクトルは愚かにも聞き入れません。これが運命の別れ道となります。一方、アカイア軍側では、アキレウスがパトロクロスの遺体に向かって、ヘクトルの首と武具をここに持ってくるまで葬儀は行わないと宣言するのでした。その頃、オリュンポスでは、アキレウスの母、女神テティスが、息子アキレウスの武具がヘクトルに奪われたことを案じて、足の不自由な神ヘパイストスに、新たに武具を作るように依頼します。ヘパイストスはこれに応じ、アキレウスのために意匠を凝らした美しい武具を製作するのでした。


 第十九歌で、ヘパイストスの作った武具を受け取ったアキレウスは、アガメムノンに対する怒りを収めて、戦闘に参加することを公言します。これに呼応してアガメムノンは、アキレウスへの仕打ちに対する償いの品々を贈り、奪った愛人ブリセイスを戻すことを約束します。これによって両者は和解するのでした。戦地であるにも関わらず、この時アガメムノンがアキレウスに贈った償いの品々は驚く程高価なものばかりではありましたが、アキレウスに定められた運命を考えると、却って贈り物の儚さがむしろ際立ちます。いよいよアキレウスは彼の馬クサントスに乗って出陣しますが、この時、女神ヘレがクサントスの口を通して、アキレウスの死が迫っていることを告げます。しかしアキレウスは既にこの戦場が自分の死に場所となることを心得ていました。だから自分が死ぬまでに一人でも多くのトロイア兵を道連れにすると答えるのでした。


 第二十歌で、オリュンポスでは神々の会合が開かれ、アキレウスの参戦の故に、ゼウスは、全ての神々にトロイア戦争への介入を許します。そのようにして両軍の拮抗する状態を維持しようとするのですが、ゼウスの意図にも関わらず、アキレウスの一騎当千の活躍でトロイア軍の勇士は次々と倒されて行きました。プリアモスの子ヘクトルは、心に恐れを抱きながらも破竹の勢いで進むアキレウスを食い止めるべく立ち向かいます。このアキレウスとヘクトルの戦いは同時にアキレウスを助けるアテネとヘクトルに加勢するアポローンの戦いでもありました。ただアポローンはこの時ヘクトルを匿って、アキレウスの攻撃はかわします。この時既にアポローンは、ヘクトルには太刀打ちできないことを見通しているかのようでした。それでアキレウスは他のトロイアの戦士たちを次々と血祭りに上げて行き、彼の通った後は血の海となって行きました。


 第二十一歌では、トロイアのそばに流れるクサントス河での戦いが描かれます。敗走して渡河しようとするトロイア兵たちにアキレウスは襲い掛かり、次々と仕留め、河を血に染めます。その殺戮の凄まじさは河の神を憤らせ、アキレウスに「凶悪な行為は平地でやれ」と命じる程でした。河の神の怒りによって引き起こされた奔流にアキレウスは苦しめられますが、そこにアテネとポセイダオンが現れて、次いでヘレと火の神ヘパイストスが現れて、アキレウスを救います。こうしてアキレウスの奮戦によって、トロイア軍兵士の多くは城内に退却を余儀なくされるのでした。


 第二十二歌では、ついにヘクトルとアキレウスが対決します。トロイア兵の大半が城内に退却する中、ヘクトルは城外に留まって戦闘を続けていました。父母はヘクトルの身を案じて退くよう促すのですが翻意には至りません。ヘクトルは、ここで自分が巨漢アキレウスを討ち取るか、あるいはアキレウスに殺されるか、そのどちらかで良いと考えていたのでした。ところが、いざアキレウスが近づいて来るとヘクトルは恐怖に襲われ、城壁の周囲を逃げ回ることになってしまいます。四周逃げ回った後で、父神ゼウスの持つ運命の秤によってヘクトルを冥王の館へと定められ、ヘクトルを守っていたアポロンも彼を離れてしまいます。ヘクトルは意を決してアキレウスに立ち向かいますが、ヘクトルの放った最後の槍が外れると、手元には剣のみとなり、彼は自らの死が近いことを悟るのでした。アキレウスはヘクトルの武具の隙間に槍を突き刺して仕留めます。しかし息を引き取る前に、ちょうどパトロクロスがヘクトルの運命を予告したのと同じように、ヘクトルもアキレウスの運命を予告します。やがてアポロンの味方する弟パリスによって、アキレウスは最期を迎えるとの予言でした。ヘクトルの死がトロイア城内に伝えられると、妻をはじめトロイアの女たちは悲嘆に暮れます。


 第二十三歌で、仇討ちを果たしたアキレウスは約束通りパトロクロスの葬儀を執り行います。その夜、配下のミュルミドネス勢とともにアキレウスは食事を摂りますが、戦闘の疲れのために睡魔が彼を襲います。そこにパトロクロスの亡霊が現れ、冥府に着くことができるように速やかに火葬して欲しいと訴えます。また遺骨はアキレウスの隣に埋葬して欲しいとも求めます。それでアキレウスは、夜明け前にパトロクロスの火葬を行うことにしました。火葬の後には、故人を偲びつつアカイア軍の戦士たちによる葬送競技が実施されたのでした。


 第二十四歌は、ヘクトルの遺体の返還を物語ります。ヘクトルの遺体はアキレウスによって無残に扱われていたのですが、オリュンポスの神々がこれを憐れみ、遂にゼウスがアキレウスの母テティスを呼び寄せて、ヘクトルの遺体をトロイア側に引き渡すべくアキレウスを説得するように命じます。テティスはすぐにアキレウスのもとに舞い降り、アキレウスを説得すると、彼は母の言葉を受け入れ、遺体の引き渡しを認めます。一方ゼウスは、ヘクトルの父プリアモスの元にイリスという神を遣わします。イリスは、プリアモスに、アキレウスの所に身代となる贈り物を一人でもって行くように勧め、プリアモスもこれに従います。もう一人の神ヘルメイアスの導きによって、プリアモスはアキレウスの船に辿り着き、準備した高価な品々を持ち込みます。突然のプリアモスの訪問にアキレウスは驚きますが、敵陣に単身乗り込み、自分に膝にすがって遺体の引き渡しを願う老王の情にほだされたこともあり、アキレウスはヘクトルの遺体の引き渡しに同意します。トロイアへの帰りの道も、ヘルメイアスの導きによって、プリアモスはアカイア軍の門衛に気づかれることなく、遺体をトロイア城内に連れ戻すことができました。そこでヘクトルの葬儀が行われるのでした。このようにして二十四の歌からなる『イリアス』の物語は結末を迎えます。始まりが唐突であったのと同様に、結びも余韻を残した形になっています。ニーチェによって「永劫回帰」と称されたギリシャ的な歴史観を体現しているのかもしれません。


 ところで『イリアス』の冒頭には、この叙事詩の主題が提示されていました。『イリアス』は、詩の女神ムーサに向かって「アキレウスの怒り」を歌えとの呼びかけで始まる叙事詩です。なぜ作者は「アキレウスの怒り」を歌えと呼びかけたのでしょう。それは「アキレウスの怒り」のゆえにヘクトルを含む数多くのトロイアの戦士が冥府に送られたからですが、しかしそれもまたゼウスの神慮であったとされるからです。つまりこの叙事詩は、人間の闘争の背後にあるゼウスを始めとする神々の働きを、詩の神ムーサによって物語らせる叙事詩だとされるわけです。ではオリュンポスの神々は、なぜトロイア戦争において戦士たちと共に戦ったのでしょう。それは戦士たちの中に、オリュンポスの神々の子供や孫などが数多く参戦していたからです。上巻においては女神アフロディーテが、息子であるアイネイアスを守るために自ら傷を負いながら、子の命を救ったエピソードが語られていました。下巻でも、第十三歌で、ポセイダオーンの孫アンピマコスが、プリアモスの子ヘクトルの槍に貫かれて戦死したために、祖父であるポセイダオーンが怒るという場面が出てきます(17-18頁)。このように『イリアス』の世界では、ギリシャ勢もトロイア勢も、その武将たちの多くが、オリュンポスの神々の子供か末裔であるとされています。


 このような世界観、すなわち支配階層の戦士の多くが、ギリシャ神話の神々の子孫であるという宗教は、古代社会における血縁関係に基づく社会秩序を強化する面があったのではないでしょうか。この叙事詩が書かれた時代においては、親族同士の血縁による絆が重視されていたこととも関係があるのでしょう。ただ神々の子孫とされる人々は、基本的には古代ギリシャ世界のエリートたちでした。それはちょうど記紀神話において大王・天皇(スメラミコト)が神々の子孫であったとされているのと類似していますし、血縁共同体を支える祖先崇拝と多神教的な世界観とが親和性を持つことを示しています。ですから多神教的世界観は、伝統的家族観や社会観、そして伝統的社会秩序を強化する傾向が強いのではないでしょうか。


 ギリシャ神話における神と人の血縁関係と、それ故の神人の境界の曖昧さは、比較的同時代の文書を含む旧約聖書の神と人との関係とは対照的です。旧約聖書の世界においては、人が神の子であったり、神の子孫であったりするという発想は、例外的な箇所を除いて、ほとんど認められません。


 ところが新約聖書になると神と人との関係に変化が生じます。イエス・キリストは神の子であり、またイエス・キリストを信じる者にも神の子の特権が与えられると教えられます。そこには明らかに旧約聖書と新約聖書の神学上の相違が認められます。この問題に関して、旧約聖書と新約聖書を共に受け入れようとするキリスト者は、普通次のように弁明するのではないでしょうか。即ち、旧約聖書が明示していなかった、三位一体の神の第二位格である御子イエス・キリストについて、また第三位格である聖霊について、新約聖書はより明瞭に人々に教えるようになったのであって、御子イエス・キリストの存在自体は永遠であり、またイエス・キリストの来臨以降に、聖霊の働きによって人が神の子とされるという信仰も示されたのである。


 しかしながら、キリスト教信仰に批判的な人々、あるいは宗教学的にキリスト教を分析しようとする人々は、ここにギリシャの宗教の影響が認められると主張することでしょう。イエスを神の御子と信じる信仰には、旧約聖書の信仰の伝統というよりは、ギリシャ的な神観の影響があったと推測されたとしてもそれは不思議ではありません。実際、キリスト教の母胎となった第二神殿期ユダヤ教とは、旧約聖書の古代イスラエルの宗教からは既に変質していた面があったわけですが、その変質を引き起こした最大の要因は、ヘレニズム文化の影響に他なりません。第二神殿期ユダヤ教とは、ギリシャの宗教や思想という外国の文化を前にして、ユダヤ人がどのようにして自己の信仰のアイデンティティーを確立しようとしたか、その葛藤の中で形成された宗教ですし、その中から誕生したキリスト教は、どちらかと言えば、ヘレニズム文化の影響を受けていたユダヤ人の間に最初に浸透した可能性が高いからです。


 とは言うものの、仮に新約聖書の宗教にギリシャ的な宗教の影響が認められる面があったとしても、ギリシャ神話的な神人の交流と、新約聖書の御子イエス・キリストの受肉との類似はあくまでも表面的な類似に過ぎないと思います。古代の多神教的な世界にキリスト教が広まって行った時、キリスト教徒たちは、しばしば「無神論者」と誤解されました。初期のキリスト者の信じていた神も旧約的な超越的な神であったからなのでしょう。さらにキリスト教においては、イエス・キリストを信じる者全員が、直接父なる神と結びつくことができ、神の子とされると信じます。このような信仰は、長期的には、むしろ血縁関係や既存の社会秩序を相対化する力を持つことになったのではないでしょうか。そして神の前に独立した個人として歩むというキリスト教的信仰が、旧約聖書の族長アブラハムの信仰に由来する面を持ちながら、全てのキリスト教徒個人に適合する信仰となっていく上で、新約聖書の神の御子の受肉という信仰、また信仰者個人に聖霊が内在されるという信仰が果たした役割は大きかったように思われます。


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