我が国の政治文化は「和をもって尊しとなす」と言う言葉に特徴づけられているようでありながら、裏に回って人を欺くのが権力闘争の常であって、表の温厚さとは裏腹に謀略が渦巻いているというのが現実であるような気がします。現在の日本国の起源である、大政奉還・王政復古の大号令という一連の出来事からしてそういう面がありました。最後の将軍徳川慶喜が大政奉還に踏み切ったのは公武合体派の路線に従って幕府が朝廷と協力しながら新たな政治体制を構築することを目指したからでした。慶喜は、大政奉還後も徳川幕府が最有力諸侯として影響力を維持できると踏んでいたのでしょう。ところが倒幕派の公家と薩長は、幕府の決断を逆手に取り、開戦覚悟で王政復古の大号令を発し、軍事力によって幕府を打倒して明治維新を実現したのでした。私は幕府が続いていた方が良かったとは思いませんが、日本国の起源となったこの一連の出来事が正当性のあるプロセスであったかについては疑わしい面もあるように思われます。それにもかかわらず、多くの人々は、背信と謀略をオブラートに包んだ教科書的説明で満足しいて、この国における正当/正統な政権移行はどうあるべきだったのか、については、深く考えようとしていないような気がします。
そういう日本の政治文化と比較して、『イリアス』の冒頭が、アキレウスとアガメムノンの舌戦から始まり、双方雄弁によって主張を展開するという出だしは、ギリシャ・ローマにその淵源を辿る西欧の政治文化を方向づけたような気がします。のっけから主人公たちの口論で始まるというのは穏やかではありませんが、そこに西欧的な権力闘争の一つの特徴が示されているのではないでしょうか。自分の見解を相手に向かって明確に主張することによって自らの正当性を主張しているからです。それはしばしば対立を生み出しますが、そもそも権力闘争は本来そのようなもので、自らの本心を明確に相手に伝えず、対立を裏取引や謀略によって解決するのか、表の論争で解決するのか、という違いに過ぎません。という訳で、今回は紀元前8世紀のホメロスの作とされるギリシャ最古の叙事詩『イリアス』を取り上げます。
先日東京大学で古代哲学・古典文献学を教える納富教授が『イリアス』について短い解説をされているYouTubeの番組を視聴しました。『イリアス』は、驚くべきことに、全編六脚韻(hexameter; 長・短・短・長・短・短)の詩文で書かれている叙事詩だそうです。作者は詩文の豊かな才能に恵まれた人物であったのでしょう。入手しやすい岩波文庫版には少し古い呉茂人訳と比較的新しい松平千秋訳の二つの『イリアス』が収められています。呉茂人訳は七五調の古文体で翻訳することによって叙事詩である『イリアス』の雰囲気を再現しようとしています。今回私は松平千秋訳で読みました。こちらは『イリアス』を現代人に分かりやすく伝えることを優先して散文で翻訳されていました。
『イリアス』を読み始めて、多くの読者は最初に戸惑うかもしれません。それはトロイア戦争の原因となった有名なエピソード、トロイアの王子パリスによるスパルタ王妃へレネ強奪の出来事から始まる訳ではないからです。代わりに第一歌は、既に述べたように、ミュケナイ王アガメムノンと武将アキレウスとの口論から始まります。対立の原因もまた女性問題でした。アガメムノンは祭司クリュセスの娘を奪ったため、クリュセスは身代金を携えて娘を返して欲しいと懇願するのですが、アガメムノンは拒否します。そこでクリュセスがアポロンに祈ると、アポロンは祈りに答え、彼の放つ矢によってアカイア軍の兵士たちに犠牲者を出します。耐えかねたアキレウスは集会を開かせ、アガメムノンが正妻を持つにもかかわらず、クリュソスの娘を奪い、自分のものとしていることを非難し、もし娘を返すなら、トロイア遠征軍に自分も含む全てのアカイア人は協力したであろうに、と語ります。しかしアガメムノンは要求を拒否した上、アキレウスを侮辱さえするのでした。アキレウスは思わず鞘から剣を抜いて切り掛かりそうになりますが、女神アテネが割って入り、アキレウスは剣を鞘に収めます。それでも怒りが収まらず、アガメムノンへの批判を続けていると、ピュロスの国の雄弁家ネストルが立ち上がり、アガメムノンには娘を返すように勧め、アキレウスに対しては、アガメムノン程の王に対して自制するように促すのでした。結局双方自分の船に戻り、アガメムノンはネストルの勧告をいれて、クリュッセイスを父に返すことしました。しかしアガメムノンは、アキレウスの愛人ブリュセイスを奪って報復することも忘れません。アガメムノンによるクリュセイス強奪の問題が放置されていれば、へレネ強奪への復讐として始まったトロイア戦争におけるアカイア軍の大義が失われる所でしたが、アガメムノンが渋々返還したことによって、アカイア勢は辛うじて攻撃の正当性を保持することができたのでした。
第二歌では、ギリシャ・アカイア諸都市によるトロイア攻撃がどのように決定されたかが描かれます。ゼウスはアガメムノンに夢を送り、アカイア船団の出発を決断させます。夢にうなされたアガメムノンはトロイア攻略を兵士たちに促しますが、兵士たちは気乗りしません。しかしオデュッセウスの弁論によってアカイア軍の出帆は決断されます。その後、トロイア攻撃に参加したアカイア諸都市の指導者たちの名前とそれらの船団の規模などが列挙され、ギリシャ・アカイア軍の全容が紹介されます。迎え撃つトロイア軍の紹介で、第二歌は閉じられます。
第三歌は、ギリシャ軍の代表メネラオスとトロイア軍の代表アレキサンドロス(パリス)の決闘から始まります。その後、戦争の原因となったゼウスの美貌の娘へレネが登場し、トロイア最後の王プリアモスに、アカイア軍の勇将三人の名前と特徴を紹介します。一人は武勲と知略に長けたオデュッセウス、一人は巨漢のアイアス、そしてもう一人は総大将のアガメムノンでした。
第四歌の初めにはオリュンポスの神々の議論が展開されます。ゼウスは、自分のために供物を絶やさないトロイアの王プリアモスと住民に同情を示すのですが、アガメムノン率いるアカイア軍にはゼウスの妻ヘラとアテネが味方します。このゼウスの前の神々の会合では、最初にトロイアが誓約を破りアカイア軍に打撃を与えるというシナリオが定められ、女神アテネがこれを実現させるための使者として送られることになったのでした。アテネはトロイアの豪将アンテノルの子ラオドコスに乗り移って、弓の名手リュカオンの子パンダロスを唆し、アカイア軍の総大将アガメムノンの弟、スパルタ王メネラオスに弓矢を放たせるのでした。弓矢は見事に命中しますが、死に至らせることはありません。むしろメネラオスの流血を見て、アガメムノンはトロイア側が誓約を破ったとして、遂に戦端が開かれます。トロイア戦争の最初の激戦はこのように神々の計略によって始まったのでした。
第五歌では、特にアカイア軍の勇将デュオメデスの活躍が語られます。デュオメデスが優勢なトロイア軍の戦列を後退させるほど獅子奮迅の活躍を見せていると、トロイア軍リュカオンの子パンダロスの放った矢がデュオメデスの肩を射抜きますが、致命傷には至りません。負傷したデュオメデスは、女神パラス・アテネに、パンダロスが槍の届く範囲にやってくるようにと祈ります。アテネはそれを叶えるのでした。やがてパンダロスはデュオメデスに近づき、とどめを刺そうとしますが、パンダロスの槍はデュオメデスの盾を貫いただけに終わります。デュオメデスが反撃して槍を投げると、槍はパンダロスに命中し、リュカオンの子を一瞬にして絶命させました。パンダロスの亡骸をアカイア勢に奪われまいとして身構えたアエネアスに対して、デュオメデスは大きな石を投げつけて、アエネアスの大腿骨に命中させて骨折させるのですが、アエネアスの母、女神アフロディーテが介入し、腕を伸ばして襞のある衣でアエネアスを守るのでした。デュオメデスは、アフロディーテの衣を槍で切り裂き、柔肌を傷つけ、女神の不死の血を流してしまいます。傷に苦しみながらもアフロディーテは愛する我が子アエネアスを救い出し、戦場を離れてオリュンポスに帰還するのでした。デュオメデスの活躍によって形成はアカイア軍有利かと思われましたが、これを見たアポローンは、軍神アレースにトロイア側に加勢するよう促します。するとトロイア軍も勢いを回復し、アカイア軍の武将ヘラクレスの子トレポレモスを討ち取ることに成功するのでした。アレースの加勢によってアカイア軍が劣勢となるのを見て、女神ヘレは、女神アテネを送って軍神アレースの力を抑制させます。アテネはデュオメデスの脇に控えて、アレースがデュオメデスに放った槍を逸らせると共に、デュオメデスの槍を導いてアレースに傷を負わせ、手負いのアレースはオリュンポスのゼウスの元に帰らざるを得なくなるのでした。このように『イリアス』における戦闘は、戦士たちの物語であると同時に、戦士たちがどのように神々によって力を得て戦功を上げられたのか、あるいは戦場で命が守られたのかを描く物語だと言えます。敵味方双方の背後にオリュンポスの神々が分かれて戦っており、人間界の大戦争であると同時に、オリュンポスの神々の戦争でもあったのでした(156-57頁)。
第六歌では、戦闘の最中、トロイア王プリアモスの子、勇将ヘクトルが、一時前線を離れてトロイア城内に戻り、母と面会します。ヘクトルは、アカイア軍のデュオメデスに女神アテネが味方していることがアカイア軍優勢の理由であると気づき、トロイア城内にあるアテネの社で供物と祈りを捧げることを母や女性たちに進言するのでした。しかしトロイア側が祈ってもアテネは聞き入れません。一方、ヘクトルは、この戦争勃発の原因を作った張本人である弟のパリス(アレキサンドロス)に向かって戦闘に参加するよう呼びかけます。居合わせたへレネは、ヘクトルに座って休むように勧めますが、ヘクトルは断ってから、再び前線に赴く前に、妻アンドロマケに会うのでした。アンドロマケはヘクトルに危険な戦いの場に身を置かないで欲しいと願いますが、ヘクトルは妻の願いには応じません。このように第六歌は不安の中で戦闘を見守っているトロイアの女性たちの姿が描かれます。それによってトロイア戦争は、男たちだけのドラマではなく、背後の女性たちのドラマでもあることが示されています。
第七歌で、ヘクトルとアレキサンドロスがトロイア軍の戦線に復帰すると、トロイア軍は勢いを回復します。すると神々の世界では、トロイアに味方するアポロンとアカイアに味方するアテネとが協議し、戦争を停戦に導くために両軍の代表による決闘が行われることになります。トロイア軍からはヘクトル、アカイア軍からはサモトラケの巨漢アイアスが籤で選ばれて戦うのですが、決着はつかず、日も暮れたため、決闘は中止となり、両雄は武具を交換して陣地に戻りました。その夜、両陣営では集会が開かれます。アカイア軍では老ネストルが、既に多くの戦死者を出しているのだから停戦して退却してはどうかと提案します。一方トロイア軍の集会ではアンテノルが発言し、パリスが強奪したヘレネをアトレウスのメネラオスに返してはどうか、という正論を展開します。しかしパリスは、妻以外の財宝はメネラオスに引き渡すが、妻ヘレネを返すつもりはないと断言するのでした。トロイア王プリアモスもパリスの言葉をアカイア軍に明朝伝えることにすると述べます。アカイア軍は撤退になびきかけたにもかかわらず、パリスの意志を聞かされて結局戦闘を継続することになりました。ここまでが『イリアス』の物語るトロイア戦争の第一日でした。
第八歌からは、トロイア戦争の第二日目が始まります。ゼウスは、オリュンポスの神々に向かって、トロイア戦争を戦う両軍のいずれにも、神々が加担してはならないと命じます。ところがゼウス自身はトロイア側に加担するのを辞めず、アカイア軍で奮戦を続けていたディオメデスの戦車の前に雷を落とすのでした。これによってアカイア軍は劣勢に立たされ、プリアモスの子ヘクトルは、アカイアの船団にもう一歩で火を放って焼き払うところまで追い詰めます。その時アガメムノンがアカイア軍戦士らを奮起させつつゼウスに向かって憐れみを乞う祈りを捧げると、今度はゼウスがアガメムノンの願いを聞き入れて、致命的な打撃を受けずに済むようにされたのでした。それでも第二日目の戦闘は、トロイア優勢のうちに幕を降ろします。
第九歌では、窮地に陥ったアカイア軍の総大将アガメムノンが再び全軍撤退を提案した所、勇将デュオメデスが反対します。デュオメデスの発言の冒頭は以下の通りです。「アトレウスの御子(アガメムノン)よ、私はまずあなたの思慮を欠いた発言に反論するつもりだが、これは王よ、集会の場では当然のしきたりであるから、どうかご立腹なさらぬように」(266頁)。つまりデュオメデスは、ギリシャの集会における弁論の慣習に従って、上下関係に配慮しつつも、理性的に自分の反対意見を展開するのです。このように集会における自由な弁論は、すでに紀元前8世紀のギリシャにおいて、あるいはそれ以前からの伝統であったことがわかります。デュオメデスの弁論に続いてネストルが、アガメムノンにアキレウスとの和解を諫言します。アガメムノンは、これを受け入れ、オデュッセウスらを遣わして、対立していたアキレウスに和解と協力を求めるのでした。しかしアキレウスは首を縦に振りません。アガメムノンから和解のための贈り物など受け取る気持ちはさらさらなく、しかも彼の母テティスはアキレウスがトロイアで戦い続ければ戦死すると予言していたのでした。結局、オデュッセウスの仲介は失敗に終わり、アキレウスはアガメムノンからの贈り物を拒否してしまいます。
第十歌では、アガメムノンが心労から不眠に悩まされる中、夜、アカイア軍の諸将と協議の上、トロイア軍内にスパイを送ることにします。そのためにデュオメデスとオデュッセウスが敵陣に向かって進んでいくと、一方のヘクトルも、アカイアの船陣に部下のドロンをスパイとして送り、敵状を探らせようとします。しかしドロンは到達する前に、デュオメデスとオデュッセウスに捕まり、尋問の後にデュオメデスに惨殺されてしまいます。ドロンの尋問によってトロイア軍の内情を知ったデュオメデスとオデュッセウスは、夜陰に乗じてトロイア陣中に入り、援軍として駆けつけていたトレケス人の戦士12人と彼らの王レソスの寝込みを襲って討ち取るのでした。トロイア戦争二日目は、このように幕を下ろします。
第十一歌は、三日目の戦闘を叙述し、特にアガメムノンの活躍を描きます。彼は次々とトロイア軍の武将や戦士たちを討ち取って行きますが、アンテノルの総領の息子、勇士コオンの槍によって腕を負傷します。アガメムノンは反撃してコオンの首を討ち取りますが、負傷した傷の痛みから戦列を離れざるを得なくなりました。豪勇ディオメデスも足に弓矢を受けて傷つき、智将オデュッセウスも脇腹を槍に刺され、次々と前線から後退させられて行きます。アカイア軍の劣勢と負傷者が次々と運ばれてくる様を見て、これまで無関心を決め込んでいたアキレウスも、さすがに良心が咎めたのか、彼はメノイティノスの息子、パトロクロスを遣わして、老ネストルから状況を探ろうとします。パトロクロスに対して、ネストルは、今やディオメデスもオデュッセウスも傷ついて戦列を離れているのに、アキレウスが高みの見物を決め込んでいることに憤りながら、若かりし頃の武勇伝を語り、自分にかつての力があればと慨嘆します。そのようにしてネストルは、伝令のパトロクロスを通していまだに戦闘から離れているアキレウスの心を動かそうとするのでした。
第十二歌が『イリアス』上巻の最後の歌です。優勢なトロイア軍は、アカイア軍が船団の近くに防御のために掘られた濠や築かれた防壁に迫ります。そして勇猛果敢なヘクトルの活躍によって、遂にトロイア軍はその防壁の一部を破って、アカイア船団の控える陣屋に突入するのでした。アキレウスが参戦を拒否したために、アカイア軍がトロイア軍の攻勢に押され続ける形で、上巻は幕を閉じるわけです。
『イリアス』の全体のテーマは冒頭に明示されていて、それは人間の行動がオリュンポスの神々の働きと結びついていることを描くというものでした。ですから『イリアス』は宗教的な叙事詩です。ならば聖書のドラマと似ていると思われるかもしれません。確かにギリシャの宗教と聖書の宗教との接点もない訳ではありません。例えば第六歌の中で、前線を離れて王宮に戻ったトロイアの勇士ヘクトルは、母が神々に献酒するために差し出そうとした酒を拒んでこう言います。「血に塗れた体で黒雲のゼウスにお祈りするわけにゆきません」(195頁)。黒雲のゼウスとは、ゼウスが黒雲に宿るという信仰なのでしょうか。同じように旧約聖書でも、雲は神の栄光の臨在の印でした。また古代イスラエルの王ダビデは神の神殿建設の願いを持っていましたが、神はそれを拒否しました。その理由はダビデが数々の戦争に勝利したとはいえ、多くの血を流した王でもあったからだとされていました(歴代誌上22:8)。この聖書の穢れに対する意識は、第六歌の勇士ヘクトルの言葉に通じる面があると思います。
ただ『イーリアス』における神と人間の関係を、聖書における神と人間の関係と比較した場合、決定的に違うと思われる点もあります。それは多神教の神々の世界には人間の世界同様に分裂があるということです。(よく多神教は多くの神々が共存する寛容な宗教であるかのように言われることがありますが、少なくともギリシャの多神教に関しては当てはまりません。)また神々の人間に対する力は絶対的ではなく、ゼウスの力でさえも相対的なものに過ぎません。
そのような神と人間の関係の違いは、旧約聖書サムエル記のダビデ王のストーリーと比べれば明瞭です。ベツレヘムの羊飼いであったダビデが、ペリシテ人との戦闘に参加していた兄たちを訪問した際、敵軍の巨漢の戦士ゴリアテがイスラエルの神を侮辱する言葉を発するのを聞き、怒りに燃えて自らゴリアテとの決闘相手に志願する所からドラマは始まります。決闘に勝利したダビデは、サウル王に取り立てられたもものの、やがて王の妬みを買って命を狙われ逃亡生活に追い込まれます。しかしサウル王の戦死後、ダビデはイスラエルの王に即位するのでした。彼の治世に古代イスラエル王国は、シリア・パレスチナのほぼ全域を支配下に収める黄金時代を迎えます。しかしウリヤの妻バテ・シェバとの姦淫の罪の後、息子アブシャロムの謀反に遭うなど、後半生はかつての栄光を失って行きました。それでもサムエル記下22章にはダビデの人生を総括する詩篇18篇が挿入されています。この詩の中で作者ダビデが一貫して語っているのは、自分が敵に勝利し救いが与えられたのは、全て神の恵みのゆえであるということです。ダビデが神の力で勝利を得たと語っている詩篇18篇と、『イリアス』においてアテネやアレースやアポローンの助力によって戦功を挙げたトロイア戦争の英雄たちとは、似ているようでいて実は対照的です。なぜならトロイア戦争のドラマは、卓越した戦士たちの能力と恰も指揮官のように振る舞う神々の采配とが渾然一体となって織り成されているからです。彼らは「神々の力によって」戦っていると認めながら、しかし皆、尊大で横柄で狭量な人々でした。それに対してダビデは、牧童から国王の地位に上り詰めた有能な人物でありながら、それが総て神の助けによるもので、全く自分の力ではないことを詩篇18篇で告白します。そこに旧約聖書の信仰とギリシャ人の宗教との対比を認めることができるのではないでしょうか。
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