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山本章子『日米地位協定: 在日米軍と「同盟」の70年』中公新書、2019年


 8月には広島・長崎の原爆の日と終戦記念日があるため、第二次世界大戦における日本の敗戦と、この戦争による被害と加害の歴史に向き合うことになります。今年は、2月に始まったウクライナ戦争が現在も続いており、平和の尊さや核兵器の非人道性を訴えることが、例年以上に切実であると感じられます。


 ただ同時に、8月は戦後日本の歩みを振り返る時でもあるように思います。なぜなら1945年8月を境にして、日本はそれ以前とは大きく異なる歩みを始めたからです。最近、戦後日本の歩みが果たしてこれでよかったのか、という疑問を感じることがあります。他の選択肢があったのかどうかはよくわかりませんが、軽武装と経済優先の政策を進めた結果、日本は国家主権のある部分を自ら放棄し、対米追従の道を際限なく進まなければならなくなってしまっているように思われるからです。


 戦後日本の日米関係を考える上で最も重要なのは「日米安保条約」であると思われるかもしれませんが、実は安保条約よりも、これとセットに結ばれた「日米行政協定」、そしてこれを引き継いで60年の安保改定の際に結ばれた「日米地位協定」の歴史を学ぶことが、戦後の日米関係の本質を理解する上で重要であることを、今回紹介する本を通して教えられました。


「日米安保条約」は、表向きは二つの主権国家の間で結ばれた対等な同盟関係であるかのように装っているのですが(8頁)、「日米安保条約」の本質は、「日米行政協定」と、それを引き継ぐ「日米地位協定」に、あるいは日米合同委員会とそこで交わされる「合意議事録」と呼ばれる合意文書の中に示されていて、それは一言で言えば、1952年に終わったはずの米軍による日本の占領を、日米安保体制下においても実質的に継続すること、言い換えると、敗戦後の占領軍に与えられていた特権を、日米安全保障条約における在日米軍が維持するための仕組みであると言うことです。


 そう言う不都合な真実を、日米安保条約締結当時の保守政権も、その後の歴代の自民党政権も、国民に知らせず、隠した状態でこれまで対米関係を維持してきました。この事実は、最初の日米安保条約締結の際、1952年に締結された日米行政協定を巡る交渉を記した箇所で明らかにされています。在日米軍の特権、つまり占領時代に米軍に与えられていた特権が、日米安保体制のもとでも継続されているという事実を、日米行政協定において明記してしまうことを、野党に攻撃の材料を与えることになるからでしょう、当時の政権は嫌いました。それでこれを隠蔽するために、日本の政府は米軍の特権を、日米行政協定には明記せず、代わりに日米合同委員会という秘密の会合で、米軍特権を保障する形をとるようになったのです(10頁)。そして、そのような裏取引を求めたのは、アメリカ側ではなく、日本の政府の側だったのでした。少しきつい言い方をすれば、日本政府は、占領終結後も、実質的に占領時に米軍に与えられた既得権益が維持されているのに、あたかもそうではないかのように国民の前で振る舞って、日本という国が、対米関係において対等であるかのように見せながら、日本国民の自尊心を傷つけないように、主権国家の地位が回復されたかのように見える戦後日本という虚像を糊塗し続けて来たのでした。


 その虚像を糊塗し続けた責任は与党自民党だけにあったわけではありません。野党も、日米安保改定の際に、安保条約の条文ばかりに注目し、それと同時に締結される日米地位協定の重要さに気づいていなかったようなのです。当時は、唯一民社党だけが、日米地位協定の問題に取り組もうとしていました(65頁)。同時に、国民に真実を伝える使命を負っているはずの主要メディアも、そう言う不都合な真実を十分に報道することをせず、政治家たちの意向を忖度して、現状維持を続けてきたと言うこともできます。なぜなら「合意議事録」の存在は、2009年から2012年までの民主党政権の時に明らかにされたのですが、この「合意議事録」が、地位協定において日本側に認められているはずの権利さえも剥奪する内容を保持しているという重大な事実を、その後も主要メディアはあまり報じて来なかったからです。


 政府はこれまで日米地位協定は、NATO諸国の地位協定とほぼ同じであると説明してきました。けれども「合意議事録」のようなものが存在することによって、実質的にはNATO諸国よりも主権を放棄させられている度合いは大きいことになります。またNATO諸国の地位協定との違いは、日米地位協定では、有事と平時の区別がない点に認められるのだそうです(79頁)。


 確かにNATO諸国も、日本と同じように、米軍に対して主権を譲歩させられている事柄があり、それは主に軍事司法なのだそうです。アメリカ政府は、米軍兵士が公務中に起こした刑事事件については米国の軍事司法の管轄に属すものとし、同盟国の裁判管轄権を制限させています。日本ではこの問題が、1957年に起きた「ジラード事件」によって顕在化しました。群馬県相馬が原演習場で、米陸軍ウィリアム・ジラード三等特技兵が、薬莢を集めていた日本人女性を虐殺した事件です。その犯罪の残虐性のゆえに、当初米軍はジラードに対する日本の司法による裁判を認めるのですが、アメリカの国内世論はジラードが米軍の財産を守るために銃撃したと誤解し、米国議会は当時のアイゼンハワー政権に圧力をかけます。そのためアメリカ政府は日本側にできるだけ刑を軽くするように働きかけ、結局、懲役3年、執行猶予4年という判決となってしまい、ジラードは判決後、すぐにアメリカに帰国してしまったのでした(31-33頁)。日米地位協定の中で、この裁判管轄権の問題が、最も不公正で差別的と感じられる部分ではないでしょうか。1995年9月に沖縄で起きた少女暴行事件の際に、犯人は明らかに公務中ではなかったにもかかわらず、当初米軍側が日本側の捜査に非協力的であったために、沖縄県民の怒りを招き、地位協定改定を要求する県民運動にまで発展することになりました(161-62頁)。6月のこのコーナーで紹介した「ア・フュー・グッド・メン」という映画で描かれていた米軍の軍事司法は、あくまでも理想であって、現実には、特に駐留米軍においては、アメリカの軍事司法は米兵の特権を擁護する役割を果たしてしまっている面があるのだと思わされます。


 ではNATO諸国で、このような米兵の犯罪は、どのように取り扱われてきたのでしょうか。この本の中で紹介されている事例は一つだけでした。1998年2年に、低空飛行していた米海兵隊機が、ドロミテ渓谷スキー場のゴンドラのワイヤーを切断したために、イタリア人3人を含む30名もの民間人が死亡する惨事を引き起こした事件です。当時在イタリアの米海兵隊はボスニアでの平和維持活動に参加しており、この事件を起こした航空機もその訓練中であったということで公務中とみなされ、アメリカ軍事司法の裁きを受けるのですが、加害者は全員無罪となってしまいます。当然イタリアをはじめ、被害者の母国であったヨーロッパ諸国は反発しましたが、当時のクリントン政権は、総額40億ドルの賠償金を支払うことで問題の沈静化を図ったのでした(154-55頁)。NATO諸国も不公正な米軍の軍事司法には苦しめられてきたのだと思います。


 米軍基地所在地が被っている被害は、米兵の犯罪にとどまりません。例えば米軍による有害物質の基地内での投棄の問題があります。1995年に沖縄で返還された米軍基地の跡地から、カドミウム、水銀、PCB、鉛、ヒ素などの有害物質が不当に投棄されていたことが明らかになりました。汚染された土壌の処理費用を米軍に請求したところ、地位協定を理由に拒否され、結局日本政府が全て負担することになりました(178頁)。細かい規定に関して言えば、米軍関係者の私有車両の自動車税は、日本人の5分の1なのだそうです(177頁)。このような不公正が許されるのは、日本が国防を米軍に依存しているからに他なりません。彼らは、日本を守ってやっているのだから自分たちに特権が与えられるのは当然だと考えているのでしょう。


 こういう地位協定の不平等性を最も日常的に経験させられるのが、米軍基地の集中する沖縄県民であることは言うまでもありません。1995年に沖縄で少女暴行事件が起きた際に、県民の多くが、地位協定の改定を求めたのは当然のことです。それにもかかわらず、当時の村山内閣がアメリカ政府に対して地位協定改定を求めた形跡はないそうです。政府、特に外務省は、そのような提案をすることに及び腰です。その理由は、米軍に日本から出て行かれると困ると感じているからなのだそうです(165-66頁)。


 もし日本国民が、日米安保条約を維持しつつ、より公正な地位協定を実現させたいのであるとすれば、その方法はあるのでしょうか。この本を読んでから、多分二つあるのではないかと感じました。第一の方法は、日本国憲法を改正して、NATO諸国と同じ集団的自衛権を行使し、アメリカが攻撃されたら日本もアメリカの自衛戦争に協力するという方法です。そのような関係にあるドイツは、東西統一の後、米軍基地の敷地内においてもドイツの法律が適用されるように、地位協定の改定をアメリカと粘り強く交渉してきたそうです(148-47頁)。第二の方法は、日本の刑事司法制度を改善し、アメリカ国民から見ても、日本の司法制度が、基本的人権を尊重しており、また法の支配を厳格に実践していることが明らかとなるようにすることです。この二つのいずれかを、あるいは両方を実現できなければ、日本人から見て、不公正・不平等と思われる地位協定を受け入れ続けなければならない状況は、これからも続いてしまうように思われます。日米地位協定の改定というのは、それ位ハードルが高い目標なのだと思わされました。

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