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ダンテ・アリギエーリ『神曲』(地獄篇・煉獄篇)平川祐弘訳、河出文庫、2008-09年


 1996-98年にアメリカの神学校に留学した時のことでしたが、教会史専攻の修士課程の科目で「中世のキリスト教」というクラスを受講しました。このクラスのあるセッションでダンテの『神曲』が取り上げられたことがありました。受講していた学生は15名前後だったかと思います。先生が「『神曲』を読んだことがある人は?」と尋ねると、ほとんどの受講生が手を挙げていました。読んでいなかったのは私の他に若干数名でした。アメリカでは人文系の大学卒業生であれば、当然のようにダンテの『神曲』を読むものなのかと感心しながら、自分の読書の乏しさを痛感させられたものです。そんなことがあったものですから、日本に戻ってから、ぜひ『神曲』を読破したいと思っていました。だいぶ前に岩波文庫の山川丙三郎訳『神曲』の地獄篇と煉獄篇の途中まで読んだのですが、文語体の翻訳が難解でついて行くことができず、途中で挫折してしまいました。それで今回は読み易い平川祐弘訳で再挑戦したというわけです。


 ダンテはフィレンツェの政争に敗れて、二度と故郷の土を踏むことができず、流竄の果てにラヴェンナで59年の生涯を閉じた人物で、恐らく反骨心からこの『神曲』を書いたのでしょう。「人生の道の半ばで正道を踏み外した私が、目を覚ました時は暗い森の中にいた」という有名な書き出しは、彼が権力闘争に敗れ、不遇をかこつ身に追いやられた時のことを表現している訳ですが、敵に対する憎しみや闘争心という負のエネルギーを昇華させて、西欧文学史上の最高傑作と称賛される詩文の大作を書きました。内容は明らかに叙事詩のようであるのにComedia(喜劇)との題を付けたのは一体なぜなのか。(現在はDivina Commedia [神聖なる喜劇] と呼ばれますが、著者のダンテは単にCommediaと名付けたとのこと[地獄篇497頁])その答えは有名な書き出しのすぐ後の言葉に示されているのでしょう。「その苦しさにもう死なんばかりであった。しかしそこでめぐりあった幸せを語るためには、そこで目撃した二、三の事をまず話そうと思う」つまりダンテは、不遇の時期に、あるいはその後に経験した幸せについて語ろうとしているようです。挫折の経験が、最後には彼の幸福に繋がったと綴っているのです。西欧の劇作の伝統において喜劇とは本来、一見破綻に向かっていると思われた展開が、大団円で丸く収まるハッピーエンドのドラマのことです。ダンテが『神曲』を書く動機となった失意の先に、彼は人生の幸福を見出すことができたと感じていたのでしょう。だからこれを喜劇と呼んだと思います。


 日本人でダンテの『神曲』は好きではない、という人は少なくないと思います。翻訳者の平川祐弘氏も「地獄篇」の後に「ダンテは良心的な詩人か」という文章を収録していて、ダンテの人間性に疑問を呈するようなことを書いておられます。それは例えば、ダンテが教会の基準に従ってギリシャ・ローマの有名な哲学者たちさえも異教徒であるという理由で地獄のリンボ(辺獄)に登場させるというような箇所が多くの日本人の反発を招くからなのでしょう。哲学者たちは地獄の他の場所にいる人々よりも穏やかで平和な状態にあるとされているとはいえ、キリスト教徒以外には受け入れ難いと感じられる箇所だと思います(地獄篇、第四歌)。哲学史上の賢者たちや他宗教の教祖のような多くの人々から尊敬されている偉人を、キリスト教徒ではないという理由だけで地獄に落とすという感覚は、いかにもキリスト教の排他性・独善性を示す証拠だと思われかねません。ただこの書物は、中世ローマ・カトリック教徒であった一人のフィレンツェ人が考えていた地獄・煉獄のイメージということであって、これを純粋にキリスト教神学の著作として受け入れられるかは難しい面があるように思います。『神曲』はラテン語ではなく、中世イタリア語トスカナ方言で書かれたことが示すように、通俗的な読者を想定した砕けた作品として読む方がふさわしいのではないでしょうか。


 ダンテが一番復讐心を燃やしていたのは、自分を陥れた「権謀術策を事とした亡者たち」だったのではないでしょうか。恐らく第八の谷の第八の濠は、彼らが落とされた場所として描かれているのだと思います(第二十六歌)。最後の第九の谷の最悪の罪人がいる場所は、イエス・キリストを裏切ったイスカリオテのユダとカエサルを暗殺したブルータスとカッシアスがいる場所です。その直前に、彼の政敵と思われるフィレンツェの人々を配置したのは、やはり彼らに対して、ダンテがそれ程憎しみを抱いていたからなのでしょう。しかし作品の上で政敵に復讐するという行為は、むしろ彼の人生の悲哀を漂わせるものでもあるような気がします。


 地獄巡りの後、ヴェルギリウスとダンテは煉獄に移ります。煉獄は飽く迄もカトリック教会の教えであってプロテスタント信仰に煉獄はありません。カトリックの信仰によれば、普通のキリスト教信徒が行かなければならない死後の世界です。地上の生活で犯した罪は、できる限り地上の生活の間に償罪をするべきであると教えられているのですが、聖人でもない限り、完全に罪の償いを終えて死後天国に直行できる人は少ないとされます。そのため普通の信徒は煉獄の火で浄化された上でなければ、天国に入ることができないとされていました。


 煉獄篇でダンテは、ヴェルギリウスに導かれつつ煉獄の山の「環道」を登りながら頂点を目指します。芳賀徹氏が「ダンテとともに峻険を登る」という文章を煉獄篇の解説としておられるように、煉獄篇はまさに登山です。そもそも『神曲』を読むこと自体、登頂困難な山を目指すような作業です。『神曲』を読んで驚嘆させられるのは、三巻の書物の中に膨大な数の固有名詞が散りばめられていることです。それら歴史上の人物を、地獄・煉獄・天国のそれぞれふさわしい場所に登場させていることから、ダンテが『神曲』に登場させている人物一人一人について豊富な知識を有していたことが示されているのでしょう(所々に事実誤認も認められはするようですが)。古典文学や聖書・キリスト教史の素養とともに古代・中世イタリアの歴史を知らなければ、この作品の偉大さは十分には鑑賞できないのかもしれません。もっと『神曲』を味わえるようになりたいとは思いつつも、到達し得ない頂きを見上げるような気分になります。


 しかし煉獄篇が登山に喩えられる理由は、本篇においてダンテ自身の人生における浄めの体験が想像力豊かに表現されており、それがまさに山登りで経験する労苦と歓喜に似ているからなのでしょう。あるいはダンテが若い頃から親しんでいた古典的作品の知識を結集し、一つの大作を建造物のように組み上げていく過程で、ダンテ自身が「癒し」を経験したのかもしれません。以下に引用する煉獄篇第十五歌の言葉は、挫けそうになる自分を叱咤激励して生きようとするダンテの逞しさを感じます。「『どうした』と私がおまえに訊いたのは、魂が肉体から離れると見えなくなるような目でものを見る人と同じ動機から訊いたのではない。おまえの脚に力をつけようとして言ったまでだ。」(煉獄篇135頁)第十五歌は、聖母マリアや殉教者ステパノの姿を通して、導師であるヴェルギリウスからダンテが柔和を教えられる場面です。直前の第十四歌には、「嫉妬と羨望の罪」に対する処罰が描写され、すぐ後の第十六歌では「怒りの罪」からの浄めの歌が謳われており、その間に挟まれるように「柔和」が教えられるというのは意味深長です。煉獄篇の物語は、ダンテ自身が苦渋の中で体得するようになった資質がどのように獲得されて行ったのかを物語っているのかもしれません。


 第十七歌で「怠惰の罪」から解放されるために、ヴェルギリウスはダンテに「愛」を説きます。人を怠惰に陥れる感情の根底には、嫉妬や怒りがあるからなのかもしれません。それは逆に言えば愛が欠如している心の状態ということになると思います。第十八歌でダンテは、ヴェルギリウスに愛とは何かと問いかけます。するとヴェルギリウスは「理性の範囲内でわかることは私にも説明ができる。だがそれから先は信仰の事柄だからベアトリーチェを待つがいい」と答えるのでした(煉獄篇249頁)。理性と信仰を二段階のように考える中世ローマ・カトリックの信仰の特徴を示す応答だと思います。ともあれ、ダンテが『神曲』における地獄・煉獄・天国の旅を通して、学ぶことになるのは、信仰に基づく愛だということが示唆されているわけです。


 ところが信仰による愛こそが到達困難な頂きであるとヴェルギリウスは示唆しているようでありながら、ダンテの煉獄篇の最後は、信仰による愛への到達というよりは、性愛の喜びを表現しているように感じられる面がないわけではありません。第二十七歌でダンテはヴェルギリウスから告げられます。この煉獄の炎の中を通り過ぎると、その先でヴェアトリーチェに再会することができる。ヴェアトリーチェは、ダンテの慕っていた初恋の女性でありながら、若くして亡くなった女性です。それでダンテが覚悟を決めて炎の中を過ぎると、その先に登場するのは、ヤコブの妻となったラバンの娘レアでした。続く第二十八歌では、今度は地上の楽園でマテルダ夫人という美しい女性と出会います。さらに第二十九歌には、信仰と希望と愛を象徴する三人の天女が登場します。そしてとうとう第三十歌においてヴェアトリーチェが現れる。「信仰に基づく愛」を目指す登山でありながら、その頂上ではヴェアトリーチェとの再会によって表現されるということに幾分戸惑いました。というか、これは何か『神曲』という作品が、ダンテの博識と豊かな教養によって組み上げられておりながら、その土台にあるものは案外俗っぽい想像力であるようにさえ感じられます。ダンテがこの詩の題を単にCommedia(喜劇)としたのもむべなるかな、というところでしょうか。


 そんな訳で「中世のキリスト教」の受講以来、積み残されていたかのような宿題の三分の二、つまり地獄篇と煉獄篇の通読をした後で、感想はと問われれば「拍子抜けした」というのが正直なところなのです。でもまだ天国篇が残っています。そちらを読む前にあまり性急に結論を出すべきではないのかもしれません。

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