
今回は小学生時代に読んだ一冊を紹介します。先日朝日新聞土曜版Beの特集記事「今こそ読みたい」のコーナーで、児童文学についての読者のランキングが発表されていました。それによると、子供向け小説で今こそ読みたい作品の第一位はサン=テグジュペリ『星の王子様』(763票)、第二位はミヒャエル・エンデ『モモ』(485票)、第三位はJ. K. ローリング『ハリー・ポッター』(459票)という結果でした。ついでに言うと第四位は『魔女の宅急便』、第五位は『長くつ下のピッピ』となっていました。以前このコーナーで紹介したC. S. ルイスの『ナルニア国物語』は第九位にランクインしています。
『星の王子様』や『モモ』が一位と二位であるのは、つまり児童文学であっても、多くの読者は哲学的なメッセージを含む作品を評価する傾向にあるということのようです。『星の王子様』について言えば「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目には見えないんだよ」という有名なセリフに、多くの人々が魅了されて来たからではないでしょうか。そんな一般の傾向からすると、私が子供のころに好きだった作品に共通する特徴は、単にストーリーが面白いということであったように思います。小学生の高学年の頃に好んで読んだのは、アレキサンドル・デュマの『三銃士』のシリーズとか、ポプラ社から出されていた子供向けのアルセーヌ・ルパンのシリーズなどでした。哲学より、娯楽的な冒険活劇を児童小説にしたような、そういう作品を好んでいた訳です。
こういう嗜好からすると、朝日新聞のランキングの一位から五位にランクインしている著者の中では、アストリッド・リンドグレーンの本が一番好きでした。リンドグレーンはスウェーデンの児童文学者で、日本では主に『長くつ下のピッピ』シリーズの作者として知られていますが、ピッピはどちらかというと女の子向きだと思います。私が良く読んだのは『名探偵カッレくん』のシリーズでした。こちらの方が男の子向きに書かれていたからです。リンドグレーンがすごいと思うのは、女性である彼女が、男の子の興味をかきたてるようなお話を幾つも創作されていたことです。この作家は、それだけ子供時代の記憶をよく覚えているか、あるいは子供のことを良く観察していた作家ではないかと思います。そして今回紹介したいのは、名探偵カッレくんシリーズの第三巻『名探偵カッレとスパイ団』です。
ちなみに写真に写した本は、私が多分小学校4年生頃に購入したもので、読まなくなってからは、しばらく年下のいとこに預けていたのですが、その後我が家に戻って来たものです。裏表紙には、(今も汚い字ばかり書いていますが)子供の頃に書いた汚い字で「富田」と名前が書いてあります。なんでわざわざ汚い字で名前を書いたのか、その動機は思い出せないのですが、それでも子供時代の記憶と結びついたこの本は、今でも捨てがたい児童書の一冊となっています。
お話の主人公カッレ・ブルムクヴィストは食料品店の息子で、どこにでもいるような男の子でしたが、頭脳明晰な少年でした。このカッレには、アンデスという男友達とエーヴァロッタという女友達がいました。(エーヴァロッタという少女は、あるいは著者リンドグレーンの分身なのかもしれません。つまりリンドグレーン自身も、小さい頃、むしろ男の子と混ざって遊ぶのが好きだったのではないでしょうか)この三人は、中世イングランド史に出て来るバラ戦争になぞらえて「白バラ軍」を構成し、シックステン、ユンテ、ベンカという三人の男の子たちによる「赤バラ軍」との間で、長い間「バラ戦争」ごっこを続けていました。
夏休みごとに行われていた「ばら戦争」ごっこも、このシリーズ第三巻では、すでに三年目を迎えます。白バラと赤バラの両軍は、ただの石ころを「聖像」に見立てて、夏休みの間、争奪戦を繰り広げているのですが、そんなある日、そこにラスムスという年下の少年が登場します。ラスムスは、お父さんと一緒に、エークルンドさんという人の家に、一時的に住んでいたのでした。このお父さんは大学教授で、弾丸を貫通させない軽金属を発明した人物でした。ところがこの発明をしたために、ラスムスとお父さんはスパイ団に狙われてしまうのでした。夏休みのある夜、赤バラ軍からの挑戦状を受け取った白バラ軍のアンデス、カッレ、エーヴァロッタの三人は、家族が寝静まった頃にこっそりと家を抜け出し、近くの城跡で赤バラ軍との戦争ごっこを展開します。ひとしきり真夜中のごっこ遊びをした後で、三人は家の近所に戻ってくるのですが、そこで不可解な光景を目撃します。深夜にエークルンドさんの家の前に自動車が停まり、三名の見知らぬ男たちが家に侵入するのです。そしてラスムス少年とお父さんの大学教授を誘拐し、自動車で連れ去ろうとしたのでした。
こういうスリリングなお話が展開される「名探偵カッレくん」シリーズに、小学生だった私はすっかりはまってしまいました。当時私は小学3年の時に転校した横浜の小学校で、あまり友達を作ることができず、クラスの中ではどちらかというと浮いた存在となっていて、一人で本を読むことが多くなっていました。自分もカッレくんたちのように「バラ戦争」ごっこのようなものをやってみたいと願っていたのかもしれません。せめて空想の世界だけでも、そのような欲求が満たされる機会が与えられたのでした。
今回この本を読み返して、小学生の自分がなぜこの本に惹きつけられたのか、その理由が分かったような気がします。この本には、子供が、特に男の子がワクワクするような要素が凝縮されているからです。夏休みの夜に、近所のお城を舞台に、半ば徹夜で友達と戦争ごっこをして遊ぶというのは、考えただけでもスリル満点です。白バラ軍のメンバーが本物の誘拐団・スパイ団の企てを妨害し、彼らの犯罪を未然に防ぐというのも(現実には真似しない方がよいことではありますが)子供には応えられない展開です。子供は小さい時から、自分たちが社会的に価値あること、大人たちから見て評価できることを成し遂げたという野心を、多かれ少なかれ持っているからです。カッレくんが、誘拐団を追跡するために無免許でバイクに乗るというのも、メカ好きの男の子なら喜びそうな場面です。また囚われの身となっていたエーヴァロッタとラスムスを救出する過程で、カッレくんたちは、森でキャンプをするのでした。大自然の中で、自分たちで火をおこし、もってきた食料を調理して腹を満たすというくだりも、子供なら皆がやってみたくなるような話です。カッレくんが桟橋の下を泳ぎながら、スパイ団の送り込んだ水上機のフロートに、ナイフで穴をあけて、飛行機を海に沈めてしまい、スパイ団の企図をくじく場面には拍手喝采を送りたくなりました。リンドグレーンは、白バラ軍と誘拐団・スパイ団との戦いという縦糸に、このような子供にとって魅力的な要素を横糸として織り合わせることで、この冒険談を一層魅力的なものに仕上げているのだと思います。
そしてこの本では、今から50年程前であれば、どこの国でも当たり前であった子供の日常が描かれています。そのことも、リンドグレーンの児童文学が世界で読まれて来た理由ではないでしょうか。だから読み返しながら、こういう風にも思います。かつてテレビや漫画の悪影響が懸念されていた時代に育った者から見ても、現代の小学生たちを取り巻く環境はさらに不安を感じさせるものがあります。コンピューター・ゲームやスマート・フォンで遊ぶことに慣れ、ヴァーチャルな世界にどっぷりとつかってしまって、自然の中で生身の人間を相手に息を切らして駆け回りながらごっこ遊びをして過ごすような、私たちの子供時代には普通にあった体験が、今の子供たちには乏しくなっているように思います。子供の遊びを通して、人間の行動の予測困難さや、人の心の機微といったものを、小さい頃から失敗を通して経験することで、私たちは大人になってからの人間関係における成熟さを身に着けて行くような気がします。機械の生み出す仮想現実の世界で過ごすことの多い世代の方々が、どうやったら現実の人間の世界で生きる力を養うことができるのか。これは現代の我々に課せられている課題だと思います。古臭いと思われるかもしれませんが、名探偵カッレくんシリーズのような児童書が読み継がれて、昔の子供たちの日常が、少しでも現代の子供たちに共有されるようになってほしいなどと考えたり…。うーん、こんなことを書いているところを見ると、随分年寄りになってしまったのかなー。