石田勇治『過去の克服: ヒトラー後のドイツ』白水社、2014年


 この本の中にも登場しますが、1970年代に旧西ドイツの首相であったヘルムート・シュミット氏は、かつて日本の新聞のインタビューに答えて、日本人に助言を下さったことがありました。シュミット首相は、日本が近隣諸国に友人を持つべきだと話しておられました。私は、この元首相の助言は、現在の日本にもそのまま通用すると思います。


 この半世紀の間、日本は東アジアの近隣諸国との関係を改善することにおいて、前進したとは言い難い面があることを意識させられます。関係改善が進まなかったのは、日本側だけの責任ではないでしょう。日本人の側からは、一定の努力が継続的になされてきたけれども、それ以上に阻害する出来事や要因があり続けたということかもしれません。さらに近年は反日感情の根深さを見せつけられる出来事や、領土問題での挑発的な姿勢など、相対的に国力が低下している日本に対して、周辺諸国はこれまで以上に厳しい態度を向けるようにさえなっています。そういう時期に「近隣諸国に友人を」などと言っても、あるいは絵空事に聞こえるかもしれません。状況は厳しいと感じますが、それでも半世紀前に受けた外国の政治家からの助言は、今も傾聴する必要があるように思います。


 古い話ですが、1986年、第三次中曽根内閣の文部大臣であった藤尾正行氏の発言が問題となり、首相に罷免されるという出来事がありました。「日韓併合は、伊藤博文が当時の朝鮮の指導者と膝詰め談判でまとめた合意に基づく」というような趣旨の発言をしたために、韓国政府などから批判されたのでした。この発言について、当時現代朝鮮史の研究者で、若くして亡くなられた梶村秀樹という歴史家が新聞に寄稿し、日韓併合の際の交渉を「膝詰め談判」などと表現することが、いかに事実とかけ離れた、欺瞞的な歴史認識に基づくものであるかを解説しておられました。


 他方で、この発言は国際問題化したため、中曽根首相は藤尾大臣に辞任を迫ったのですが、文部大臣が拒否したために、首相が罷免をすることになりました。閣僚が首相に罷免されるというのは極めて異例なことでしたから、却って保守派の一部からは、気骨のある政治家として藤尾氏が評価された面もあったのだそうです。日本では、正確な事実認識をもっているかどうかよりも、東アジアの近隣諸国の批判に屈することなく、自国の歴史について信念ともいえる歴史認識を貫く人々を評価する傾向が、当時も今も一定程度根強くあるのかもしれません。Post-truthとは最近の現象のように思われますが、正確な事実の認識を軽視し、情念を優先する傾向は、いつの時代にも存在するのでしょう。こうした歴史認識を巡る問題も、周辺諸国との関係がなかなか改善されない要因の一つだと思います。


 戦後日本が、敗戦の反省に立って平和主義を国是として歩み出してから、今年で76年が経過します。しばしば言われることですが、日本と同様に、76年前の敗戦から出発し、民主主義国家を確立する努力を続けてきた戦後ドイツの歩みは、私たちに今も色々な示唆を与えてくれると思います。近隣諸国との関係改善や過去の克服も、私たちが戦後ドイツの歴史から教えられることではないでしょうか。


 今回取り上げる本は、戦後ドイツ、特に西ドイツによる過去の克服の努力がどういうものであったのかを解説した本です。ドイツという国が、過去のナチス政権による加害責任の問題に関して、どのように歩んできたかを歴史的に説明しています。


 この本から教えられることは主に三つあります。第一に、戦後ドイツでさえも過去の克服には時間がかかったということです。敗戦直後、多くのドイツ人は戦争の被害を乗り越えて歩みだすことから始めなければなりませんでした。国土の多くが戦場となり、連合軍・占領軍による市民に対する無差別爆撃や暴行などから、大半の人々は戦争による被害の方に関心を向けていました。また意外にも当時のドイツ・プロテスタント教会は、ニュルンベルク裁判で告発された「平和に対する罪」が、ドイツに対してのみ追及されることに反対する文書を提出していました。戦後西ドイツで最初に首相を務めたアデナウアーのもとでは、西ドイツの経済的復興が優先され、かつてナチス政権に協力をしていた官吏を復帰させるなど、後ろ向きの政策が続きました。本格的に過去の克服の努力がなされるようになるのは、1960年代後半に社会民主党政権が成立し、様々な改革が実行されるようになってからのことだそうです。そうした改革には社会科教育を中心とする教育改革もありました。ですから戦後西ドイツに、ナチスの戦争犯罪を真摯に反省する世代が登場するのは、戦後20年以上経過してからであった訳です。さらに国民の間にホロコーストの実態を知らしめることになったのは、皮肉なことに、1970年代にアメリカで制作された『ホロコースト』というテレビ映画シリーズの影響によるところが大きいのだそうです。西ドイツ国内での反対の動きにも拘わらず、このテレビ・シリーズが1979年に放映されたことは重要な転機でした。つまり過去の加害責任についての認識が国民に広く共有されるようになったことが、過去の克服のために必要な前提条件であった訳です。


 第二に、この本が強調していることは、過去の克服の努力に積極的に取り組んできたのは、どちらかというと戦後ドイツの左派勢力の方であったという点です。1985年に、当時のドイツ連邦大統領であったヴァイツゼッカーが、連邦議会で行った「荒野の40年」という有名な演説がありました。この演説の印象が強烈であったために、私は、ヴァイツゼッカー大統領の所属していた西ドイツのキリスト教民主同盟が、一貫してドイツの加害責任に真摯に向き合い、過去の克服のために努力を惜しまなかったかのように考えていました。しかし、この本を読むと、過去の克服のための努力は、むしろ西ドイツの左派勢力によってなされていたことがわかります。ヴァイツゼッカー演説の中には「過去に対して目を閉ざす者は、現在に対しても盲目となります」という有名な言葉があります。この言葉は、すでにブラント首相が1970年5月8日に連邦議会で行った演説の中で語られた内容を繰り返したものなのだそうです。


 第三に、戦後ドイツが、過去の重大な戦争犯罪にもかかわらず、諸外国からの尊敬を受けるようになった理由は、ドイツ国家と多くのドイツ国民が、負の遺産に対して責任を負う姿勢を示し続けたことによるという点です。ドイツの保守派の間にも、ドイツという国が未だにナチス・ドイツの犯罪と結びつけられることに不快感を持ち、そうした傾向に幕引きをすることによって過去の克服を実現すべきだと考える人々は少なくありませんでした。けれども「幕引き」を目指すことによっては、過去の克服は難しいというのが、この本の著者の主張であるように思います。


 そのことを端的に示しているのが、ヴァイツゼッカー大統領の「荒野の40年」という演説を現代ドイツ史の文脈で解説しているくだりではないでしょうか。この演説の直前には、米国レーガン大統領のドイツ訪問がありました。当時のヘルムート・コール首相は、ドイツ訪問の際、同盟国であるアメリカ大統領に、ナチス親衛隊員も埋葬されているビットブルグ軍人墓地を訪問するよう強く要請し、これを実現させました。ドイツ国内世論は、このアメリカ大統領の軍人墓地訪問をめぐって二分されていました。保守派はこう考えていました。NATOの同盟国であるアメリカ大統領に、ドイツの軍人墓地を訪問してもらうことで、ナチス時代の過去の故に、通常の国際間儀礼が果たされない異常事態に終止符を打つ必要がある。ヴァイツゼッカー大統領による連邦議会演説がなされたのは、このアメリカ大統領による軍人墓地訪問の3日後でした。この演説の中で、ヴァイツゼッカー大統領が提案していたことは、過去の問題に幕引きを図るのではなく、過去を直視続けるということでした。過去の事実について指摘を受けた際には、繰り返し過去の過ちを認め続ける。そのような姿勢こそが、過去に責任を持つ姿勢であるし、そのような姿勢を示すことで、ドイツとドイツ国民は諸外国から信頼されるようになると訴えたのでした。


 著者は、同じ姿勢が、日本人にも必要だと考えているのでしょう。私たちは、確かに重い過去の負の遺産を負わされてしまいました。それは私たちの世代の責任ではありません。そのような不条理な過去を克服するために必要なことは、歴史学的に実証された過去の出来事を直視し、事実に基づく事柄に関しては被害者側からの批判に忍耐強く耳を傾け、負の遺産に伴う苦痛に耐え続ける姿勢を示すことによるのだと思います。遠回りのように感じられますが、それ以外に過去の克服の道はないのではないでしょうか。