柳 美里『JR上野駅公園口』河出文庫、2020年


 2021年の3月は、東日本大震災から10年が経過する月ですから、震災に関連する本を取り上げるべきだと思いました。この本の英訳は、昨年全米図書賞の翻訳文学部門の受賞作品に選ばれました。今まで柳美里さんの小説を読んだことはなかったのですが、なぜ評価されたのかを知りたいと思い、読むことにしました。


 柳美里さんの他の小説のことは知りませんが、これ迄読んできた日本語の小説と比較すると、粗削りな作品との印象を受けました。主人公は上野公園に居住するホームレスです。そのためか、上野駅公園口あたりの情景がしばしば描写されるのですが、その際、カメラとマイクで収録された映像・音声を、そのまま文章に起こしたような叙述が繰り返されています。普通の情景描写とは違う形で臨場感を掻き立てようとしているのだと思います。技巧的に優れている面もあるかとは思うのですが、必ずしも意図されている通りに効果的であるとは感じられませんでした。


 けれども私はこの小説を読みながら、涙をこらえ難いと感じる場面がありました。小説に描かれる主人公のひたむきな生き方が報われないことへの哀しみを痛切に感じる場面が何度かありました。幾分批判的に読んでいる読者でさえ物語の世界に引き込んでしまうということは、やはりこの小説に力があるからなのだと思います。


 この小説には主人公の名前が出てきません。作者は敢えて名前を伏せて物語を書くことにしたのでしょう。主人公の男性は、日本に生きていながら、あたかも存在しないかのように扱われている人、存在自体が無視されている人として描かれているのだと思います。


 主人公は昭和8年生まれです。ちょうど上皇様と同じ年に、福島県の浜通り、現在の南相馬市に生まれたという設定になっています。現在、柳美里さんは、この福島県南相馬市に住んでおられ、そこでフルハウスという書店を運営しておられます。南相馬で出会った人々との交流を通して得られた情報が、小説に反映されているのでしょう。また柳美里さんは、上野公園のホームレスの方々にも取材を重ねられたとのことです。フィクションではありながら、主人公やその周囲の人々は、南相馬や上野公園の実在の人々の姿を映し出している面があるのだと思います。


 主人公の祖先は、代々浜通りに住んでいた家系ではありませんでした。江戸時代に、富山県から移住した浄土真宗門徒の末裔ということになっています。移住した人々は、恐らく地域社会の最下層に置かれることになりました。古くからその地域に住んでいた住民の権利が優先され、移住者たちの手に入れることができた土地は、あまり恵まれた土地ではなかったはずです。昔の福島県浜通りは決して豊かな地域ではなかっただろうと思いますが、主人公の家族はさらに貧しい生活を強いられました。


 主人公は、地元では仕事がないので、人生の大半を出稼ぎで過ごしました。国民学校を出ると、小名浜漁港で、大型漁船に住み込んで働きました。昆布漁の仕事のために北海道に行ったこともありました。東京オリンピック前には、東京で土木関係の仕事もしました。それでも主人公は、郷里で節子という女性と結婚することができ、二人の子供が与えられました。最初に生まれたのが長女の洋子、その後に長男の浩一が生まれました。浩一という名前は、今上天皇陛下のお名前である浩宮の「浩」の字を頂いて、つけられた名前ということです。


 しかし主人公は家にほとんどいないために、長男の浩一は父親になついてはくれませんでした。休暇で家に戻っている時、近くのひばりが原という場所で、ヘリコプターに乗るアトラクションがあるというので、浩一にせがまれるのですが、一回3000円の料金を払うお金がありませんでした。滅多に会えない息子の希望すら叶えてあげられなかったのです。その浩一は21歳でレントゲン技師の資格をとりました。いよいよ社会人になることが決まっていた矢先、突然の死を迎えます。一家の希望であった長男に先立たれるという不幸を主人公は経験しました。


 その後主人公は妻にも先立たれました。一人身になってから、南相馬市で細々と生活をしていましたが、麻里という孫娘が心配して、食事などの世話をしてくれていました。しかし周りに迷惑をかけたくないと思い、ある日常磐線にのって上野駅におりたち、上野公園で路上生活をするようになったのでした。


 上野公園の路上生活者は、普段は段ボールなどで作った小屋で寝泊まりするそうです。けれども天皇陛下や皇族が上野の美術館などに来館される際には、「山狩り」と言って、小屋をすべて撤去して、公園から外へ出なければなりません。天皇陛下を慕う主人公が、しかし政府からは、そのようにあしらわれてしまうのです。


 物語の最後は、あの東日本大震災の津波によって、孫の麻里という女性が、自動車を運転している最中に、コタロウという犬と一緒に、津波に呑み込まれて命を落としてしまう。そういう場面でストーリーは閉じられます。とても悲しいお話です。


 小説の解説は原武史さんという方が書いておられます。原武史さんは、この小説のテーマが現在の天皇制であると分析します。「山狩り」の対象となる上野公園のホームレスの男性ですら、かつて巡幸で常磐線の駅に降り立たれた天皇陛下に「万歳」を叫んだ群衆の一人であり、長男に皇太子様の名前の漢字をあてる程、皇室に対して敬慕の念をもっています。そのような人物造形を通して、天皇制の磁力の強さが見事に描かれていると評価します。


 もう一つのテーマは、やはりこの国の格差の問題だと思います。この小説を読むと、日本の社会に厳然と存在する、固定化された格差について改めて考えさせられます。経済成長が可能であった頃の日本では、国全体が豊かになれば地域間格差は徐々に解消できるという希望がありました。けれども21世紀の日本は、かつてのような成長を期待することはできません。どうすれば貧困の問題を改善できるのでしょうか。私たちは、戦前から存在していた、この国の重要な課題に、改めて向き合わされているように思います。


 上野公園のホームレスの方々は、幸い食べる物に困るということはあまりないようです。多くのレストランや食堂が善意で食べ物を提供しているようですし、小説にも紹介されていますが、周辺のキリスト教会には、炊き出しで食事を提供している団体が幾つかあるとのことです。けれどもキリスト者や教会は、構造的な問題にも関心を持つ必要があるのでしょう。旧約聖書のイザヤ書58章6節には、こう書かれています。


「わたしが選ぶ断食はこれではないか。悪しき枷を取り除き、くび木の手綱を緩め、虐げられた人々を自由にすることではないか。全てのくび木を、あなた方は砕くべきではないか。」


 古代イスラエルにおいて断食は、人が神の前に自分自身の罪深さを嘆き、悲しんでいることを示す宗教的な行為でした。けれども神様が古代イスラエルの社会に願っておられたことは、形式的な断食を行うことではなく、抑圧されている人々、貧困に苦しむ人々のくび木や枷を取り除くことでした。困難な課題ではありますが、この言葉が現代において持つ意味を心に留めつつ歩む必要があるのだと思います。

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