宇田達夫『ある朝の散歩: 祈りの甦るまで』一麦出版社、2010年


 この本は、もとは私の父の本棚にあったものです。父は退職後、作業所を運営するNPO法人の会計のボランティアをするようになりました。その団体を通して、宇田達夫先生とお会いする機会があり、先生の著書を入手したのだと思います。


 本書には、宇田先生のご自身の入信と信仰生活の経験や牧師として奉仕する中で得た様々な体験が綴られています。この本の一つのテーマは祈りです。先生は、賀川豊彦の伝道集会でキリスト者となる決心をされ、北海道の日本キリスト教会北一条教会で洗礼を受けられました。入信後わずか一年半で、大学を中退して神学校に入る決心をされました。しかし神学生として訓練のために旭川の教会に派遣されている時に、どうしても心から神に祈ることができないと感じることがあり、悶々とした日々を過ごされたことがあったそうです。


「ついにわたしは布団にもぐりこみ、もう祈ることはやめにしようと心に決めました。…その時です、温かく優しい何ものかがわたしを包むではありませんか。それはなつかしさにも似た感情でした。…祈ることを放棄した時に起こった感情を『なつかしい』と表現したのも、それはわたしが育っていた宗教的環境の中に潜んでいた何ものかに再会した喜びがあったからです。」(126-27頁)


宇田先生が再会したのは、先生の育った環境にあった仏教や神道の祈りであったとのことです。幼少期に捧げていた祈りが、キリスト教の父なる神への祈りに切り結ばれる経験をされたということなのでしょう。宇田先生は、その経験を「『人間』であることへの帰還の安らぎ」と振り返られます。


 本の最後で宇田先生はこう記します。「恐らく人間にとって最後の言葉となるのが祈りであろうと思います。それはかぼそい声となって臨終の床よりもれでる言葉かもしれません…。いかなる表現となろうとも、最後の言葉となるものは、究極の真実をその内に秘めています。その時、祈りはすべての嘆願から解き放たれ、ぎらつく欲望からも軽やかに抜け出し、宗教的偽装のあらゆる重荷からも自由になっていることでしょう。」(184頁)多く祈っておられる方だからこそ、また真実の祈りを渇望されておられるからこそ、このように記すことができるのだと思います。


 この本から教えられるもう一つのことは、苦しんでいる人、弱い立場にある人の側に立ち続けようとする姿勢です。冒頭には薬物中毒で亡くなられたある男性のことから書き起こされます。その男性の周りには常に友人や援助者がいたにも関わらず、孤独死のような最後を迎えることになってしまいました(11-13頁)。人間の孤独、真の友の得難さを、その男性の生と死から感じられたのでしょう。だからこそイエス・キリストが、自分を裏切ったユダに「友よ」と語りかけられた箇所(マタイ26:50)が、先生の心に刺さったようでした(24頁)。


 弱い者の側に立とうとする姿勢は、イエス・キリストの教えによるものであると思いますが、同時にシモーヌ・ヴェイユの思想の影響による面もあるようです。宇田達夫先生は『シモーヌ・ヴェイユの死と信仰』(教文館、1978年)という本を著しておられます。


 シモーヌ・ヴェイユという方は、優れた哲学者でした。誕生があと30年遅かったら、大学の哲学教授としての地位を得ることができたことでしょう。ヴェイユは1909年に生まれたユダヤ系フランス人です。彼女は高等師範学校で学ぶ傍ら、パリのソルボンヌ大学の哲学講義を受講していたそうです。当時は大学で哲学を学ぶ女性などほとんどいない時代でした。師範学校を卒業するとリセーの哲学教師となります。生徒の一人は彼女の教え方についてこう回想しています。「ヴェイユは、授業で既存の哲学書を一切使わず、生徒たちに哲学の古典に直接触れられるようにしていた。彼女はクラスの中で、ホーメロスやプラトンやゲーテをはじめとする古典の原文を紹介し、古典ギリシャ語、ラテン語、ドイツ語、英語の文章をすらすらとフランス語に翻訳することができた。」同じ能力をもった男性であれば、リセーではなく大学で教えることができたはずですが、戦前のフランス社会では、ヴェイユのような女性であっても克服しがたい壁があったのだと思います。


  1930年代には不況の波がフランスにも押し寄せるようになりました。彼女は社会主義思想に共感し、ある時期から教師の仕事を中断して、工場労働者として働くようになったのでした。戦前のフランスで、中流階級出身の高等教育を受けた女性が工場労働者となるというのは、あまりにも破天荒な選択であったことでしょうし、労働者としての生活は長くは続きませんでした。その後彼女はカトリック教会に集い、ペラン神父という方と交流をもつようにもなります。彼女自身キリストの臨在を覚える神秘的な体験もしていたようです。


 第二次世界大戦中、ヴェイユはロンドンにあった自由フランス政府の活動に参加していました。しかし過労と病気のために34歳の若さで短い生涯を閉じることになりました。彼女の死後、書き残された膨大な手書きの原稿やノートの一部を友人が編集し、『重力と恩寵』というタイトルで出版すると、哲学書としては異例のベストセラーになったのだそうです。その後、彼女の遺稿は次々と出版され、多くの読者を得るようになりました。


 ヴェイユは生涯キリスト教会の洗礼を受けることはありませんでした。既存のキリスト教会に対して厳しい観方をしていたのだと思います。どうして彼女は労働者階級に対して示すことができた共感を、既存のキリスト教会に対して示すことが難しかったのか、疑問はあります。けれども彼女のイエス・キリストに対する理解は、キリスト教信徒のそれを凌ぐ面すらありました。


 彼女の『アメリカ・ノート』という著作の中に、次のような一節があるそうです。


神への真正な愛は、人間に対する裏切りとも見え(ヒッポリュトス)、人間への真正な愛は、神に対する裏切りとも見える(プロメテウス)。キリストはこの二つを結びつけられた。(『シモーヌ・ヴェイユの死と信仰』263頁)


神への愛と隣人への愛は旧約聖書のモーセの律法の中心であるといわれます。しかしこの二つの戒めは、信仰者の歩みにおいて両立困難と思われる場面に遭遇することがしばしばあります。けれどもキリストは確かにこの二つの愛を全うする生涯を歩まれた。福音書は確かにそのように証言していると思います。そしてユダヤ人でもあったヴェイユが、このようなキリストについての警句を書き残していたというのは感動的ですらあります。


 ヴェイユはイエス・キリストを深く理解しつつも、キリスト教会に加わらなかったのでした。そのようなヴェイユの存在は、キリスト教会に属する者に問いかけていると思います。「あなたは本当にキリストの弟子として生きようとしているのですか。」宇田達夫先生は、そのような問いを真摯に受け止めつつ、歩もうとされた方だったのではないでしょうか。