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三浦綾子『泥流地帯』新潮文庫、1982年



 先月ヴェルギリウスの『アエネイス』の前半を取り上げたので、今月は後半をと考え、第七巻以降を読み始めてはいたのですが、間に合わなくなってしまったため、『アエネイス』後半は4月に回すことにして、今回は三浦綾子『泥流地帯』を紹介します。


 これは1926年に発生した北海道十勝岳の噴火による泥流災害に見舞われた、上富良野の貧しい集落の人々の生き様を描いた小説です。石村市三郎とキワと言う老夫婦に育てられている孫の耕作が主人公です。耕作の父親義平は林業に従事していましたが、若くして事故で亡くなり、後家となった妻の佐江は四人の子供を残して札幌に髪結の修行に行かなければなりませんでした。そのような両親不在の境遇でありながら、祖父母のもとで逞しく生きようとする耕作と兄の拓一、そして姉の富と妹の良子の家族・兄弟姉妹の物語でもあります。10代の年頃になると拓一は、曽山福子という同じ集落の少女に惹かれ、また耕作は、以前山ぶどう狩りの時に母のことを侮辱した、市街で料亭を営む深城という人物の娘節子の存在を意識するようになります。


 耕作は通っていた分教場で優秀な成績であったので、代用教員の菊川先生の勧めで旭川中学校を受験し、見事トップで入学を果たすのでした。ところが中学校に進んだ場合、姉の富は19歳と婚期に差し掛かっているにも拘らず、弟の耕作の学費を支えるためにあと5年は仕事を続けることになる。そのような見通しを富は交際相手の武井隆司に伝えなければなりませんでした。隆司は大変失望してしまいます。しかしこの富と隆司の会話を耕作は偶然聞いてしまうのでした。そのため耕作は中学進学を諦めます。代わりに高等小学校卒業後に師範学校に行く。耕作はそう決意します。そのような決断をした耕作を、叔父の石村修平は大いに褒めるのでした。百姓の倅の分際で中学に行くなど恥だというのです。一世紀前の日本という国は何か別の国であったかのように感じられます。


 耕作は中学を諦めたものの、今度は母佐江が函館で肋膜炎を発症し、そのために出費が嵩んで、姉の富の嫁入りも先延ばしになってしまいました。そんな頃、耕作たち、尋常小学校の卒業生たちは、お世話になった菊川先生が結婚したというので、お祝いに尋ねて行き、先生夫婦と楽しい時間を過ごすことができました。これまで集落の分教場に通っていた生徒たちは、今度は市街の高等小学校に通うようになっていました。高等小学校の益垣先生は、菊川先生とは違い、農作業の手伝いをする百姓の子供たちの多忙さを理解してくれません。不満を募らせていた耕作らに、菊川先生は、益垣先生にも農家の事情を丁寧に説明すれば、先生はわかってくれるはずだと諭します。


 物語は淡々と流れては行くものの、小さな集落ではありながら、思いがけない出来事も起こります。福子の父親であった曽山巻造が、以前から博打に手を出して多額の借金を作ってしまっていたために、遂に娘の福子を深城の料亭に売ってしまったというのです。拓一と耕作は、憤慨して曽山の家に怒鳴り込みますが既に後の祭りでした。基本的人権が保障されている現行憲法のもとでは考えられないことですが、100年前のこの国では人身売買が普通に行われていたのでした。一方、姉の富は準備が整い、武井の家に嫁入りすることができました。しかし一度嫁いでしまうと近くても実家に戻ることは難しくなりました。正月に拓一と耕作が武井の家を訪問した所、嫁いだ先の家計の苦しさが伺われ、富の新生活も恵まれているとは言い難いものがありました。女性にとっては戦前の日本社会は非常に過酷であったと言わざるを得ません。


 冬のある日には、耕作は市街の豆腐屋で仕事をしてわずかの収入を得る機会がありました。その豆腐屋は深城の料亭のそばにあり、小菊と名前を変えた福子も購入に訪れてくれました。また以前耕作が石をぶつけてしまった節子もやってきて、あの時「嫁の貰い手がなかったら俺が貰ってやる」って言ったのを憶えているかと耕作に尋ねるのでした。節子はすでに16歳、耕作も15歳になっていました。そんな折り、拓一と耕作は、函館で療養している母佐江を見舞いに出かけようとします。汽車の中、拓一は耕作に、自分は将来必ず福子を嫁に迎えるつもりだと自身の決意を語ります。一度売られた女性を嫁に迎える人は少ないからだというのです。そんな話をしながら、二人は旭川駅まで辿り着くのですが、その先は線路が雪崩で不通となってしまい、函館行きの汽車は運休となってしまいます。母の見舞いは果たされることなく、帰宅せざるを得なくなりました。


 季節は夏になり、市街で開かれる夏祭りに拓一と耕作も出かけて行きました。高等小学校の花井澄子先生と深城の娘節子も一緒でした。お祭りでは、小菊と名乗るようになった福子が山車の上で三味線に合わせて踊りを披露します。見事な踊りでしたが、拓一はそれを見て福子が不憫であると涙ぐむのでした。そんなお盆の時期に、拓一と耕作は、拓一が自ら作った新しい風呂に一緒に入ります。耕作は、最近市街の高等小学校の校長に呼ばれ、市街の小学校の代用教員になることを勧められたのでした。その話を風呂に入りながら兄に打ち明けます。家族のために師範学校は諦めようと考えるようになったのでした。


 やがて秋になり、拓一、耕作、良子は、叔父の修平の畑の馬鈴薯の収穫を手伝いに行きます。そこで収穫したものの多くは地主のものとなってしまう現実を聞かされます。拓一と耕作は、どうしてそういう不平等が罷り通るのかと疑問をぶつけるのですが、叔父の修平はそんな社会主義者の言うようなことを話していると警察に捕まると言って、拓一と耕作を諌めるのでした。馬鈴薯の収穫が終わって、叔父の修平の家族と共に、拓一と耕作が自宅に戻ると、農耕馬の青の様子がおかしくなっていました。何か悪いものを食べてしまったせいで腹痛を起こしていたのでした。獣医を呼んだものの回復には至らず、そのまま青は死んでしまいます。耕作は、青の死に責任を感じました。その日、自分が厩のかんぬきを閉め忘れてしまったからです。


 秋の深まったある日に、耕作は、曽山の妻から福子に冬物の腰巻を届けて欲しいと頼まれて、深城の料亭に届けます。その時耕作は福子と久しぶりに面会できたのでした。耕作は福子に、兄の拓一が福子を解放するために貯金をしていると口を滑らせてしまいますが、福子はすぐに話題を変えてしまうのでした。福子は拓一ではなく、むしろ耕作が好きだったからなのでしょう。


 などと『泥流地帯』のあらすじを辿って来ましたが、すでにネタバレする内容を随分書いてしまいました。これ以上書いてしまうと、これから読む方々の楽しみを完全に奪ってしまうように思いますので、この辺りで内容の説明は止めて起きます。この後、十勝岳の噴火によって発生した泥流のために、耕作は何人かの家族を失ってしまうことになるのでした。


 ほとんど関東でしか生活したことのない者にとって、この『泥流地帯』と言う小説は、読み始めはその世界には入りにくいと感じました。これは最初北海道新聞に連載された小説で、北海道の上富良野地方の方言が散りばめられており、土地の言葉に親しんでいる人々には馴染みやすくても、よそ者には入り込みにくい面があるように思われたからです。上富良野地方の方言と書きましたが、あるいはこの小説の舞台となっている集落の人々の多くは、耕作の祖父市三郎も含めて福島県からの移住者であるとのことですので、この小説の登場人物たちの話す日常会話は福島県の方言がベースになっているのかもしれません。とは言うものの、読み進むうちに、次第に小説の世界に引き込まれて行く楽しさを味わうことができました。三浦綾子と言う小説家の才能をあらためて認めざるを得ないと感じる小説である訳です。


 またこの小説は、三浦綾子の作品の中では、一般の読者にとって比較的抵抗なく読むことができる小説であると思います。なぜならこの小説にはキリスト教的な色彩は希薄だからです。キリスト教徒の登場人物はほとんど描かれません。唯一、この本の中盤に、イエス・キリストの十字架の出来事が、石村市三郎の口を通して語られます。それは「なぜ正しい者がこの世で不当な苦しみを受けなければならないのか」と言う、拓一や耕作の疑問に答えるために、市三郎が話しをすると言う形で提示されていました。


「なぜ正しい者が苦しむのか」と言う問いは、旧約聖書のヨブ記のテーマでもあります。そして十勝岳の麓で懸命に生きようとしていた上富良野の貧しい人々を、噴火によって発生した泥流が飲み込んでしまい、多くの命が奪われたという出来事も、「なぜ正しい者が苦しむのか」と言う疑問と関わります。そのような重いテーマが底流に流れている小説ではありますが、同時に拓一や耕作たちの淡い恋愛も描かれていて、全体としてはエンターテイメントとしても楽しめる小説であるように思います。


 Wikipediaの解説によると、この小説は、三浦綾子の夫、三浦光世の自伝的な小説でもあったとのことです。この小説の主人公である石村耕作が三浦光世なのです。この小説の主人公である耕作という少年の人物造形や心理描写は、女性の作家によるものとは思えない程、写実的であると感じるのですが、それはモデルとなる男性のことを作者自身が日常的に良く知っていたことと無関係ではないのでしょう。


 ただそうした事柄にもまして、この小説を読むと、戦前(大正・昭和初期)の貧しい農民の生活の厳しさを痛感させられます。このような現実が、自分の生まれる40年ほど前の日本の現実であったということに驚かされるのです。そして現在ある豊かさというものが、この国の本来の姿であるとは限らないことを、この小説からは教えられます。戦後の日本は、経済大国アメリカが国内市場を開放してくれたおかげで、アメリカの巨大な富の一部を享受することができました。それは無論信頼性の高い工業製品を製造し続けてきた日本人の全般的な勤勉さと才能があってこそではありましたが、同時にかつてのアメリカ人たちの寛大さのお陰でこれ程までに私たちの国が豊かになることができたとことを我々は忘れてはならないと思います。本来の日本は資源が乏しく、国土が生み出すことのできる富は限られています。その厳然たる事実を私たちは自覚する必要があると思います。そして日本が依存してきたアメリカ合衆国が、明確に自国の利益を優先する方向に進み始めている現在、この小説で描かれるような世界が再び日本でリアリティーを持つようになる可能性は十分にあると思います。そういう意味でも、今、もう一度この小説を手に取る価値はあるのではないでしょうか。


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