ヴェルギリウス『アエネイス』第七巻から第十二巻(Vergil, The Aeneid, rev. edn., tr. David West [London: Penguin, 2003], pp. 141-290)
- ign117antjust165ma
- 4月8日
- 読了時間: 15分

ヴェルギリウスの『アエネイス』は前半(第一巻から第六巻)と後半(第七巻から第十二巻)に分かれます。前半はホメーロスの『オデュッセイア』を思わせる冒険譚から成るのに対して、後半は『イリアス』のような戦記文学の叙事詩となっています。今回はその後半です。
第七巻は、アエネースの船団が、ティベル川の河口に上陸するところから始まります。そこでアエネースの一行はラティウムの老王ラティヌスの宮殿に招かれ歓待を受けました。ラティヌスには男子の王位継承者がおりませんでしたが、婚期を迎えた一人娘ラヴィニアがおりました。王は、宮殿を訪れたトロイア人たちに、なぜラティウムにやってきたのかを問います。彼らは、自分達が嵐に流された訳ではなく、ジュピターの予言に従ってラティウムに来たことを告げます。ラティヌスは、自分の支配の下で、彼らがラティウムに居住することを勧めただけでなく、彼の娘ラヴィニアが神々によって同胞から伴侶を求めることを禁じられていると告げ、アエネースに娘を娶るよう求めました(p. 148)。しかしラティヌスの王妃アマタの願いは異なりました。彼女はトロイア人たちの来訪を好しからぬと感じ、さらにラティヌスが娘ラヴィニアをアエネースに与えることに反対します。アマタの背後には女神アレクトがおりました。アレクトは、ジュノの女祭司カリュベの姿を取って、この婚姻に意義を唱えただけではなく、ラヴィニアの伴侶の候補の一人であり、やがてアエネアスの最大の敵となるターヌスに闘争心を焚きつけるのでした(p. 154)。ターヌスは軍隊を率いてラティヌス王のもとにやってきます。そしてイタリアから敵を放逐せよと王に進言するのでした。さらにアレクトはトロイア側にも策略を巡らします。アエネースの息子ユーロスが、海岸で猟をしているところにやってきて彼の猟犬の鼻に発作を起こさせる病原を帯びさせユーロスを死に追いやります。これが戦火の発端でした。トロイア人も武装して対抗し、アエネースの嗣子アスカニウスの放った矢によって戦端は開かれました。とはいえ、なぜアエメイアスによるラティウム征服戦争が始まったのかについての経緯は、このように女神アレクトの策謀によるものとされており、神話的な説明に終始しています。
後半の冒頭から明らかなように、トロイア人の王族と異国の女性の婚姻の話が戦争の発端であるというところにトロイア戦争を描いた『イリアス』との類似性が認められるのではないでしょうか。また戦争の発生という望ましからぬ事態を、古代地中海世界の人々がどのように説明しようとしていたのかを知る手がかりも与えられているような気がします。
第八巻では、アエネースの率いるトロイア軍はティベル川を遡って、Pallantiumにやってきます。ここはエヴァンデール(Evander)というアルカディア出身の伝説的なギリシャ人によって都市が設立されていた場所で、この場所こそが後にローマの七つの丘の一つに数えられるPalatine Hillのある所であり、やがて都市ローマが建設される地点でした。エヴァンデールはトロイア戦争開始以前に既にこの地に移住し、その支配を確立していました。エヴァンデールは、この地域を支配していたエトルリア人の王マゼンティウスの暴政を挙げながら、アエネースがこの地域を征服することの正当性を擁護する弁論を展開します。そしてエヴァンデールとアエネースの率いるトロイア人たちは、共に神に犠牲を捧げて(180頁)同盟を結ぶのでした。アエネースはティベル川に係留していた船に戻り、トロイア人でとりわけ勇敢な兵士たちを選んで、戦闘に参加させます。戦いに臨むに当たって、アエネースの母でもある女神ヴィーナスは、アエネースに防具を贈り物として届けます。アエネースはそれによって勇気づけられました。
この時アエネースが母ヴィーナスから賜った盾には、これから古代ローマの歴史において起きることになる出来事が予告されるように描かれていました。やがてアエネイアスの血筋から誕生するロムルスが狼の乳房から母乳を受ける様子から、オクタヴィアヌスによるアクティウムの海戦での勝利に至るローマ史の主要な出来事が、この盾には描かれているのでした。それは女神の予知能力に基づいて予め描かれることになったという設定なのでしょう。ですがこの描写は紀元前1世紀に内乱を終結させたオクタヴィアヌス(アウグストゥス)の支配の正当性を擁護する目的を持ってなされているようです。
第九巻のタイトルは「ニシウスとユーリアヌス」と付けられていて、この巻では、これら二人の戦士の奮闘と戦死が綴られます。アエネースがエヴァンデールの息子パラスと共に不在となっていた時を見計らって、ジュピターの妻ジュノーは、虹の女神アイリスを派遣し、ターヌスをけしかけます。それでラトゥリアの軍隊はトロイア人が陣取る城塞に攻撃を仕掛けるのでした。しかしアエネースの指示に従ってトロイアの軍勢は城塞に立てこもり戦闘のために平地に出てくることはありませんでした。ラトゥリア軍の攻撃の中でもトロイア軍は良く持ち堪えます。
そのような中で、ニシウスとユーリアヌスという二人の戦士の無謀な戦いぶりが九巻の主題となります。ある夜、ニシウスは発言の機会を得てトロイア軍の全体会議に訴えます。今、ラトゥリア軍の兵士たちはぐっすり眠っている上に、我々(ニシウスとユーリアヌス)は待ち伏せの場所を見つけた。今攻撃を仕掛ければ、多くの敵を打ち負かし、戦利品を手に入れることができる。これに年配のアレーテースも同調します。さらにアエネースの子アスカニウスもこの提案を支持したばかりか、成功の報酬さえも約束してしまうのでした。このようにして、アエネース不在のトロイア軍城塞では、アエネースの指示を逸脱して、城外に部隊を展開してしまいます。平地ではラトゥリア軍の兵士たちが酒を飲んだ後、乱雑な状態で熟睡していました。不意打ちを食らわせたトロイア軍は多くのラトゥリア軍の兵士を倒し、戦利品を入手することに成功します。ところがラトゥリア軍の指揮官ヴォルケンスの手勢300人の待ち伏せに遭い、ニシウスは逃れることができましたが、ユーリアヌスは煌めく兜を被っていたこともあって敵に捕らえられてしまうのでした。ニシウスはユーリアヌスとはぐれたことに気づいて引き返すのですが、そこで敵に捕われたユーリアヌスを目撃します。ニシウスは瀕死のユーリアヌスを見て、敵の指揮官ヴォルケンスを求めて切り込みますが、ラトゥリア軍兵士たちはヴォルケンスの周囲を囲んで指揮官を守ろうとします。勇猛なニシウスは周囲の兵士を切り殺して払い除けながら指揮官に迫り、ついにヴォルケンスを倒しますが、自らも討死にしてしまうのでした。
夜襲を受けたターヌスは、ニシウスとユーリアヌスの首を槍の先に突き刺して晒しものにし、自軍を鼓舞して復讐心を燃やします。そして軍勢を率いてトロイア軍の城塞に接近するのでした。トロイア軍も要所に人員を配置して防御を強化します。ターヌスは松明を投じて、トロイア軍の城塞の板張りに火をつけ、勢いに乗って攻撃を続けました。しかしアエネースの子アスカニウスの放った矢が、ターヌスの義理の弟ヌマヌス・レムルスに命中すると、トロイア軍は勢いを取り戻します。ゼウスの子で弓矢の神アポロは、アンキセスの従者ブーベスの姿をとって、アスカニウスを称賛しつつも、これ以上自らを危険に晒すことのないようにと促します。一方トロイア軍の城塞の門の幾つかは開かれて、トロイア軍とラトゥリア軍の白兵戦が繰り広げられます。その中でターヌスは迎え撃つトロイア兵を次々と倒して行きました。そのターヌスにトロイア軍のパンダロスが立ちはだかります。しかしターヌスは自らをアキレウスに擬え、剣でパンダロスの頭部を一刀両断にしてしまうのでした。さらにターヌスが立ち向かうトロイア兵士を次々と倒して行くのを見て、トロイア軍は一瞬怯んでしまいます。しかしトロイア軍の指揮官ムネステウスが自軍の兵士たちを再び奮い立たせると、トロイア軍は再び力を得て、ラトゥリア軍を城門の外に押し返すことに成功したのでした。
第十巻のタイトルは「パラスとメゼンティウス」と名付けられています。冒頭ではジュピター(ゼウス)がオリンポスの神々を招集し、なぜ自身の決定に逆らってトロイア軍をラティウムから追放しようとする戦いが行われているのかと神々に問いかけます。するとアエネースの母ヴィーナス(アフロディーテ)がジュピターに問い返します。なぜターヌスに率いられたラトゥリア軍によってトロイア軍の陣地は攻撃を受けなければならないのか。そしてヴィーナスは、女神アイリスが天から地に降ってターナスに働きかけたのをご覧になったでしょう、とジュピターに訴え、トロイア軍への保護を求めるのでした。ところがジュピターの妃ジュノは怒りを顕にし、自分がラトゥリア軍に味方していることを正当化しようとするのでした。しかし神々のある者はジュノに同意したものの、あるものたちは不満を口にしたので、ジュピターはもう一度発言します。自分はトロイア軍にもラトゥリア軍にも公平である。戦いの帰趨は運命の女神たちが決める。ジュピターは何か自らの責任を放棄するかのように、そう宣言するのでした(214頁)。
一方、トロイア軍の陣地となっている城塞での戦闘は続き、ラトゥリア軍はそれぞれの城門で攻撃を続けます。他方、長く不在であったアエネースは、各地の王に謁見し、トロイア軍への援軍を募っていました。パラティウムの王エヴァンデルの息子パラスもアエネースに加勢しており、アエネイアスと共にトロイア軍の陣地のある城塞に向かいます。いよいよアエネースも参戦することになりました。この場面からは『指輪物語』の第二部『二つの塔』のヘルム峡谷での戦いの際、オークの攻撃に苦戦していたローハンの王セルデンらに、ガンダルフが援軍を引き連れて加勢した場面が思い起こされます。
アエネースと共に戻ってきたパラスも、アルカディアの友軍を鼓舞しながら、父エヴァンデールから授かった剣でラトゥリアの戦士たちを次々と切り倒して行きます。しかし奮戦を続けていたパラスの息の根を止めたのはターヌスでした。パラスの放った槍をかわすと、ターナスは自らの槍をパラスに命中させます。それでもアエネースの引き連れて来た軍勢の参加によって、トロイアの城塞に対する包囲は解かれることになりました。
パラスと共に第十巻のタイトルに名前が連ねられているもう一人はエトルリア人の王メゼンティウスです。彼はターヌスの援軍に加わっていた勇猛な戦士で、トロイア軍の兵士を圧倒し続けていました。しかし彼の倒したオロデスは地面に横たわりながらメゼンティウスの最後を予告します。この場面はちょうど『イリアス』第十六歌で、アキレウスの親友パトロクロスがヘクトルに倒されながら死ぬ間際にヘクトルの最後を予告した場面を想起させます。そしてその予告通りのことが起こるのでした。オロデスを倒したメゼンティウスは勝ち誇って今度はアエネースを仕留めようとするのですが、彼の放った槍はアエネースの盾を掠めただけで、近くにいたアントーレスに命中してしまいます。逆にアエネースの放った槍がメゼンティウスに命中します。とどめを刺そうと近づくアエネースに対して、息子のラウススが向かって来ますがアエネースの敵ではありませんでした。アエネースの剣の一撃でラウススは戦場に倒れます。息子の戦死を知ったメゼンティウスは負傷の身でありながら、アエネースに立ち向かい、次々と槍を投じますが青銅の盾に阻まれてしまいます。そしてアエネースの投じた槍がメゼンティウスの乗る馬に命中し、落馬したメゼンティウスにさらにもう一本の槍が命中してます。メゼンティウスも息子と共にアエネースの前に憤死することになったのでした。
第十一巻のタイトルは「ドランケスとカミラ」です。激しい戦闘の後、夜になり、アエネースは戦死者の弔い、特にパラスの葬送を丁重に執り行いました。凄惨な戦いによって両軍ともに多くの戦死者を出したために一時停戦となり、トロイア軍の領域で戦死したラトゥリア軍兵士たちの遺体はラトゥリア側の人々に引き取られ、埋葬されることになりました。遺体を引き取りに来た敵軍の兵士に向かって、アエネースは言います。今回の戦闘はターヌスによって引き起こされたものであった。
ラトゥリア側では、アエネースの言葉を受けて討論が行われます。討論の中で、老将ドランケスは、ターヌス一人が今回の戦争の原因であるとするアエネースの言葉を伝え、アエネースと決闘することで、この戦闘の勝敗を決することを提案します。ターヌスはドランケスの言葉に憤慨しつつも、自分はすでに戦死した兵士たちに次いで勇気を持つものであると宣言し、その提案を受け入れるのでした。
ただ討論の最中、アエネースは、密かにトロイア軍を動かし、城に立て篭もるラトゥリア(ラティヌス)軍への攻撃を仕掛けます。それに気づいたターヌスは、再びラトゥリア軍を配置に就かせながら、自らはアエネースの軍に対して待ち伏せ攻撃を仕掛けようと出陣するのでした。一方王女カミラは、この時、驚くべき行動に出ます。ターヌスを支援するべく、自分も敵のエトルリア人の騎兵たちを迎え撃つために出撃すると申し出ます。城外では再びラトゥリア軍とトロイア・エトルリア軍の騎兵とが激突しました。カミラも他の女性兵士たちと奮戦しますが、遂に胸に槍を突き刺されて息たえてしまいます。カミラの戦死の知らせはターヌスに届けられ、彼は待ち伏せ攻撃の作戦を諦め、手下の兵士らと共に引き上げることにしました。
最終の第十二巻のタイトルは「停戦と決闘(デュエル)」となっています。ラティヌスの娘ラヴィニアの結婚相手は、王ラティヌスが望んだアエネースか、それとも王妃アマタが願ったターヌスになるのか。これは両軍の停戦交渉の結果、決闘によって決着することになったのでした。ところが、決闘のために進み出たアエネースはラトゥリア軍側から放たれた弓矢によって負傷してしまいます。その瞬間、停戦の合意は破られ、再び戦端は開かれてしまったのでした。
この時、アエネイアスの母ヴィーナスが介入し、アエネースの傷を癒します。アエネースは即座に自軍を率いて戦い、ラトゥリア軍を圧倒して行きますが、彼自身は飽くまでも敵将ターヌスを探します。そして遂に戦場の只中で二人は勝敗を決する決闘を行うことになるのでした。やがてアエネースはターナスを追い詰め、ターヌスは武器を失ってしまいます。この時、泉の女神ユトゥルナが介入してターヌスに剣を与えたので、ターヌスは辛うじて戦いを続けることができました。一方、この戦いをオリンポスから眺めていたジュピターはジュノーに問いかけます。敗北がほぼ確定していたターヌスを女神が助けたのは正しいことなのかと。なぜならターヌスを助けたユトゥルナの背後にはジュノーがいることをジュピターは見抜いていたからでした。そのようにジュノーの介入がジュピターに排除されたこともあって、ターヌスの命運も尽きることになります。遂にアエネースはターヌスを仕留め、パラスの仇を打つべく、ターヌスの胸に槍を突き刺してとどめを刺す。
以上が『アエネイス』後半のあらましです。この三千年前に生きたとされる人物を主人公とする叙事詩が、現在も読み継がれている理由について、翻訳者のDavid Westは序文の中でこう説明します。この叙事詩は、時代が違っても変わることのない人間性に基づくドラマである。この叙事詩は家族愛や恋愛と神(々)への信仰をテーマとしており、そのドラマには数々の個性的な人物たちが登場する。しかし何よりもこの叙事詩が時代を超えて読者に訴えかけるのは、このドラマが破壊からの復興、挫折からの成功を描いており、言わば民族の死と再生の物語であるという点にあるのではないか。そのように説明するのですが、確かにそうだと思います。トロイアの王子パリスがスパルタの王妃ヘレネを奪ったことがきっかけとして始まった戦争はトロイアの滅亡に終わった訳ですが、アエネースに率いられたトロイアの残党は、ジュピター(ゼウス)の導きに従ってラティウムに第二のトロイアを建設することに成功した。要約すれば『アエネイス』の筋書きはそういうものです。そのような物語は、例えば地中海からは遠く離れた極東に位置する私たちの国の、第二次世界大戦における敗戦からの復興のような体験に重ね合わせることができます。
この叙事詩とキリスト教との接点は限られているものの、幾つか上げることができます。例えば『アエネイス』が、アエネースとターヌスの決闘で戦争が終わるという展開を読んで、C. S. ルイスの『カスピアン王子の角笛』を思い出しました。テルマール人の王に支配されてしまっていたナルニア国で、純粋にナルニア王家の血をひくカスピアン王子によるナルニア国復興を人間界からやってきたピーター、スーザン、エドマンド、ルーシーが協力するという物語です。このエピソードの中のテルマール人との戦いは、最後ピーターと敵軍の王の決闘で幕を閉じるというストーリーでした。ルイスはこの着想をあるいは『アエネイス』から得ていたのかもしれません。そしてナルニア国物語の中の『カスピアン王子の角笛』という巻のテーマもナルニア国の死と再生の物語でした。
またヴェルギリウスを尊敬していたダンテ・アリギエッリにも、この叙事詩は影響を与えていたのでしょう。ダンテの『神曲』の地獄篇と煉獄篇の導き手はヴェルギリウスでした。ダンテがヴェルギリウスに惹かれた理由は、その詩文の美しさもさることながら、『アエネイス』に描かれた死と再生の物語に励まされるものがあったからなのかもしれません。トロイアの敗者であった人物が、イタリア半島のラティウムに新天地を見出したというストーリーに自分自身の境遇を重ね合わせていたのではないでしょうか。
さらに『アエネイス』の死と再生の物語は新約聖書のルカ文書(ルカによる福音書と使徒言行録)にも影響を与えていたのかもしれません。特に後半の使徒言行録は、イエス・キリストの死と復活の出来事の後、イエスの弟子たちが再び力を得て、師であるイエスの不在にも関わらず、イエスについての教えをエルサレム、ユダヤから、サマリア、シリア、そして地中海世界に伝えて行くというストーリーです。使徒言行録の最後では、『アエネイアス』の第一巻でトロイアの船団も航行したと思われる海域を、使徒パウロを乗せた船が航海するエピソードも記されています。著者のルカは『アエネイス』と同じような死と再生のモティーフを彼の著書に忍びこませたのではないかと思います。
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