ロブ・ライナー監督『ア・フュー・グッド・メン(A Few Good Men)』コロンビア映画、1992年


 忘れられない裁判映画が私には三つあります。


 一つ目はヘンリー・フォンダ主演の『十二人の怒れる男』です。アメリカの陪審員制度に基づく白黒映画でした。法廷における被告人への質問や証人への質問などは一切描かれず、殺人事件の評決を法廷に提出するために、夏のある暑い日に、12人の陪審員たちが密室で議論をしている。その場面だけを映画化したものです。最初は11人の陪審員が被告人の有罪を支持しているのですが、その中でヘンリー・フォンダ扮する人物一人だけが、被告人の無罪を主張します。しかし長い議論の末に他の11人も、やがて彼の主張を受け入れるようになります。このドラマを見て、アメリカにおける民主的な司法制度が、どういうものかを垣間見ることができたように思いました。


 二つ目は『評決』です。ポール・ニューマンが落ちぶれた弁護士役を好演していました。これは大病院の産婦人科医師の医療ミスを暴く法廷ドラマです。病院側は、財力と権力にものを言わせて、裁判を有利に進めますが、主人公の弁護士は事件の鍵を握る一人の女性看護師の居場所を突き止めて、彼女に証言台に立ってもらうことに成功します。この女性を法廷に連れ出すことができるかどうかを巡って緊迫した展開があり、とても印象に残る映画でした。


 そして三つ目が、今回紹介する『ア・フュー・グッド・メン』です。映画全体の出来としては佳作というべきかもしれません。主演のトム・クルーズとデミー・ムーアの間には良い演技を生み出すケミストリーが欠落しており、特にデミー・ムーアの演技力の欠如には如何ともし難いものがあります。トム・クルーズはさすがだと思いますが、彼のベスト・パフォーマンスとは言えません。脇で検事役を務めたケヴィン・ベーコンの方が自然かもしれません。そんな中で光るのはキューバのグアンタナモ・ベイに駐留する海兵隊の指揮官ネイサン・ジェセップ大佐を演じるジャック・ニコルソンです。クルーズ扮するキャフィー中尉と最初に面談するときの陰険さといい、法廷に出廷して証言するときの憎々しい態度といい、さすがオスカー俳優と思わせるものがありました。映画の出来は、まずまずという感じではあるのですが、米軍の軍事司法制度がどういうものかを知る上では、非常に勉強になる映画です。


 この映画には、アメリカ社会における右派と左派、保守派とリベラル派の対立を背景にして作られています。ジャック・ニコルソンの演じるジェセップ大佐やキーファー・サザーランドが配されていた海兵隊のケンドリック中尉は、その言動から、原理主義的なキリスト教徒であり、アメリカが神の元にある国であるとの確信を持つ保守派の人々であることが暗に示されていると思います。彼らはアメリカ合衆国が強国であり続けるために、また国民の生命財産を守るという神聖な目的のために、自分達は奉仕しているのであるから、安全や秩序の維持を目的とした多少の違法行為は黙認されて当然であるというような考えを持つ人々でもあります。(そういう描き方はかなりディフォルメされているとは思いますが)


 それに対して、海軍の内部調査官で、被告人の弁護を担当するデミー・ムーア扮するジョアン・ギャロウェイ少佐や、トム・クルーズが演じるダニエル・キャフィ中尉は、リベラル派を代表しているのでしょう。ただキャフィ中尉は、ロー・スクール卒業後、腰掛けで海軍の法務部に所属しているだけで、赴任後9ヶ月間の係争事項を全て事前の司法取引で解決してきたような腰の引けた弁護人でした。グアンタナモ・ベイで起きたウィリアム・サンティアゴー一等兵の殺害事件も、最初は懲役12年とする司法取引で片付けようとします。しかしギャロウェイ少佐は、事件の原因に、海兵隊内で行われていたコード・レッドと呼ばれる違法な制裁行為を、被告らが命じられた可能性があることを知っていました。それでこの事件を法廷に持ち込み、無罪を勝ち取るべきだと主張します。キャフィ中尉もやがてギャロウェイ少佐の熱意に押されて初めての法廷弁論に臨むのでした。


 ギャロウェイ少佐とキャフィ中尉などの姿を通して、この映画の製作者たちが暗に主張していることは、アメリカ軍の軍事司法においても法の支配が貫徹されなければならない、というメッセージではないでしょうか。仮に国防の最前線に立つ危険な任務を遂行する軍人であっても、彼らの犯した犯罪行為を隠蔽することは許容されてはならないと言うことです。アメリカ英語では「法の支配」を説明する表現としてNo one is above the law(法の上に立つ人など存在しない)という言い方をよくします。だから重要な任務を遂行している軍人に対しても「法の支配」の原則を適用しなければならない。なぜそうするのかといえば、それはアメリカ軍の規律が維持されるためであり、アメリカ軍が法と正義を尊重する軍隊であり続けるためである。製作者たちは、この映画を通じて、そのようなメッセージを伝えようとしているのではないでしょうか。またこのような映画が作られたのは、製作者たちがアメリカの軍事司法も権力によって捻じ曲げられかねない面があることを危惧していたからかもしれません。


 残念ながら「法の支配」とは何か、と言うことを、大半の日本人は理解していないように思われます。定められた法の規定に従っていれば、それで法の支配は確立されていると考えている人が多いのではないでしょうか。しかし実はそれだけでは不十分なのです。この国では、多くの場合、ちょうどネイサン・ジェセップ大佐が部下に要求しているような、上官(上位者)の命令への絶対服従が実践されているのではないでしょうか。それはつまり上位者の法解釈や法の執行が常に正しいとされ、それらがチェックされて上位者の違法行為が法の裁きの元に置かれることが極めて稀だからです。権力を持つ人の命令と行為が事実上の法と正義であって、権力者の命令に従うことは常に正しい。そういう権威主義の弊害は、あの森友学園問題に端的に現れていました。上位権力者に忖度して、公文書改竄を指示したと思われるキャリア官僚は結局訴追されず、免責されてしまうのです。この国の歯痒い行政官僚制の実態は、法の支配の原則がこの国にはまだ根付いていないという事実を明示していると思います。だからこそこの映画をより多くの方にご覧になってほしいのです。


 最近、ウクライナ戦争を契機に、日本でも安全保障政策を転換しようとする動きが加速されています。そのような流れにはやはり危惧を覚えます。この国は統治権力者の不正を隠すために、行政官僚が公文書を違法に改竄しても、その違法行為の責任を正しく追求することができない国です。そう言う国が、この映画で描かれるような軍事司法制度を確立することができるのでしょうか。公正な軍事司法制度が確立されることこそが、戦場で兵士が戦争犯罪を犯さない歯止めになるはずです。日本の自衛官が、あるYouTubeチャンネルで話しておられましたが、現状では自衛隊は軍隊ではないので軍事司法制度は存在しないそうです。自衛官の行為は、全て通常の刑事司法で裁かれると言うのです。自衛隊というのは戦時下における自衛官の違法行為や犯罪に対処することを全く想定していない仮想軍隊であるわけです。


 かつてこの国の軍隊は満州事変や5.15事件、そして2.26事件など、法の支配を無視した侵略行為や暴力装置の濫用を繰り返し犯していたのに、当時の軍法会議がそうした違法行為・侵略行為の歯止めとなることはありませんでした。かつての帝国陸海軍の轍を踏むことがないように、法の支配に基づく軍事司法とは何かということを、より多くの日本人が真剣に考える必要があると思います。この映画は、そのための格好の教材を提供しているのです。