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ベネディクト・アンダーソン『定本 想像の共同体』白石隆・白石さや訳、書籍工房早山、2007年


 今年の4月から半年ほど東南アジアの女性が取手キリスト教会の礼拝に集っておられました。その方が今月帰国されます。彼女から依頼されてアパートの契約解除のお手伝いをすることになりました。アパートは取手市にありますが、契約を結んだ会社は都心にありました。彼女が最初に結んだ契約(とても契約書とは言えない、簡単なメモですが)に記載されている会社に電話をかけたところ、彼女との契約は一年前に別の会社に移管されたとのことでした。それで今度は現在契約を結んでいる都心の不動産会社に電話をしました。契約解除に文書による手続きは必要ですか、出て行く前に部屋を確認する日時はわかりますか、と質問した所、契約解除の書類は既に女性のアパートに郵送してあり、その文書に部屋の確認日を記載して返送する書類も入っていると言われました。その上で電話口の方は私に対して「彼女のアパートに行って契約解除の郵便を探すよう」に指示するような言い方をされたのでした。それで私は質問をしました。彼女は殆ど日本語も読めないのだから、英語の文書を送るとか、わかりやすい日本語の郵便を送るとかはできないのですか。すると電話口の方は「我々は全て日本の法律に則って営業している、この電話は録音されている、自分が普通と考える普通が必ずしも普通とは限らない」などと反論されたのでした。


 まだ確認したいことがありましたから、さらに質問をしました。もし彼女が契約解除の文書を出さずに帰国した場合、賃貸料はどうなるのか。すると電話口の方は、契約は自動更新され不払いの賃貸料は債権に変わると言うのです。つまり不払いの賃貸料に利子が発生してしまうということです。しかもこの不動産会社は債権回収組織を彼女の母国にも持っているそうです。それで妻と共に、彼女のアパートに行き、郵送されているはずの書類を探すことにしました。幸い書類は見つかり、提出・郵送して、ようやく解約は受理されました。


 ところが解約が受理されると、今度は違約金60,000円の請求書が送られてきました。電話で、これは何の違約金か尋ねましたが、不動産会社の方は契約書に書いてある通りだとしか答えません。しかしご本人は説明を受けていなかったとのこと。私の想像では、最初に結んだ契約はごく簡単なもので、移管された後の会社は、外国人の方には内容のわからない契約文書を一方的に送り、それに基づいて違約金を請求しているということのような気がします。電話口で話した不動産会社の方からは、少し大袈裟ではありますが、ハンナ・アーレント『エルサレムのアイヒマン』のthe Banality of Evil(凡庸な悪)という言葉を思い出しました。


 そんなこともあって、今回は国家と国民について考える本を取り上げることにしました。この本の著者ベネディクト・アンダーソンは、国民国家というものが想像されたものに過ぎない。それは特にフランス革命によって王政と身分制が打倒された後に誕生したものであると説明します。私たちにとって家族は自然な共同体です。学校や職場やキリスト教会も共同体と言えるでしょう。しかし近代国家の重要な特徴は、国民国家もまた共同体であると言う幻想を国民が共有しているということです。実は国民国家の中には身分や階級や人種による分断があります。階級や人種の間で不当な搾取が行われていたりします。それにもかかわらず、国家が統一を保つことができるとすれば、それは国民とされる人々が国民国家の幻想を信じているからです。この幻想をもはや信じることができなくなる時にその国家は崩壊します。


 この本の著者はマルクス主義者です。マルクス主義者は本来、全ての国民国家が階級闘争を克服し、労働者階級による支配が達成され、社会主義・共産主義諸国は平和的に共存するようになるというユートピア思想を持っています。しかしこの本の著者は、ちょうどインドシナ紛争の時代にこの本を書きました。毛沢東主義に影響されたポル・ポト政権を打倒するために、同じく共産主義国であったベトナムがカンボジアに侵攻する出来事が1978年に起きました。これは共産主義国同士の最初の戦争であったと著者は振り返ります。社会主義・共産主義国同士の戦争が勃発するのはなぜか。それは人々が依然としてナショナリズムの幻想を持ち続けているからである。それが著者の確信するところです。ですから著者が目指したことは、この本を通してナショナリズムが歴史的な産物であることを示すことによって、その呪縛を取り除くことでした。


 著者が「II文化的根源」で指摘するのは、西欧の歴史においてナショナリズムが誕生するのは18世紀末のことですが、18世紀という時代は、啓蒙思想が西欧に広がり、キリスト教が衰退しつつあった時代であったことです。アンダーソンは、西欧キリスト教の衰退が、同時にラテン語による印刷・出版物の量的な減少を引き起こし、逆に各国語による出版物が増大したことを指摘します。これによってラテン語を媒介として主としてラテン語を解するエリート層によって結ばれていた西方キリスト教共同体は解体し、それぞれの母国語を読むことのできる人々にとって、母国語で書かれた印刷物、特に新聞を読むことが毎朝の儀式となり、それによって母国語で統合された国家・国民という共同体の幻想が構築されるようになったと説明します(62頁)。西欧においては、ラテン語によって統合されていた西方キリスト教世界という「想像の共同体」に代わって、国民国家という「想像の共同体」が登場したということになるのでしょう(82頁)。


「III国民意識の起源」で、著者は母国語による出版の歴史を振り返ります。その端緒は宗教改革でした。著者によれば母国語による最初のベストセラー作家はマルティン・ルターであったとされます。ルターの名前で出版された書物はほぼ確実に売れたからです。そしてプロテスタント宗教改革陣営の方が、母国語出版物によるプロパガンダをカトリック教会よりも効果的に行いました。なぜならカトリック教会の方はラテン語による出版に拘り続けたからです。その後、絶対王政の時代となり、国王・領邦君主は中央集権化のために母国語による行政官僚機構を構築するようになりました。ですから著者は、国民国家とは、人間の言語的多様性という宿命性に、資本主義的印刷出版業が収斂することによって誕生した「想像の共同体」であると説明します(86頁)。


 ただもしそうであれば、スペイン語という共通の母国語を持つ中南米の国家の成立はどう説明されるのでしょうか。「IVクレオールの先駆者たち」ではこの問題が取り上げられます。南北アメリカ諸国の独立はアメリカ独立革命とフランス革命の影響を受けて達成されましたが、これらの地域における国家の形成は、主に植民地時代の行政区画に基づいてなされました。ですから言語は必ずしも国家形成の主な要因とはなりませんでした。南北アメリカ諸国が共和国として独立したのは、宗主国に対するクレオール(植民地人)階級が自分達の利益を追求したことの結果でした。中南米クレオール階級の宗主国の国王に対する関係は、封建諸侯と国王の関係に類似していた。だからアンダーソンは19世紀初頭の中南米の革命によって、すぐに近代的国民国家が形成された訳ではないと説明します。


「V古い言語、新しいモデル」では、欧米列強の植民地拡大によって言語学が飛躍的に発展し、それによって西欧文明において優越的地位を持っていたラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語の地位は相対的に低下することになりました。19世紀には各国で自国語の辞書の編纂が進められ、国民国家を統合する国民的言語が成立します。このような動きはヨーロッパのみならず、トルコのような中近東の国々においても始まっていました。英国やフランスのような国では、1840年代においても識字率は40%程度に過ぎませんでしたが、読書する階層とは、王侯・貴族、ジェントリー、廷臣と聖職者に加えて勃興しつつある中産階級(ブルジョアジー)でもありました。だから出版資本主義は階級社会の形成にも寄与した。逆に言えば、19世紀の国民国家の形成以前には、同じ出版物を読むことによって人々にイメージされる「想像の共同体」としての国民国家は存在していなかったということです。国民国家誕生を促したフランス革命の歴史は、明確なプログラムを持った指導者によって導かれたものではなく、凄惨な殺戮をも招くものでした。それにも拘らず、出版物を通して、国民国家、共和政、基本的人権、人民主権、国旗、国家などの概念やシンボルが広く流布することによって、「想像上の現実」が姿を表すようになったのでした。


「VI公定ナショナリズムと帝国主義」では、欧州で最後まで公文書にラテン語を使用していたハプスブルグ帝国が、1780年代にドイツ語に切り替えたことの影響について言及されます。ドイツ語を公用語としたことによって、非ドイツ語圏の人々の反感を強めることとなり、長期的にはハプスブルグ帝国の解体を促した面がありました。この過渡的な現象をアンダーソンは、Seton-Watsonの造語に拠りつつ「公定ナショナリズム」(国民と王朝の意図的結合)と表現します。アンダーソンによれば、それはロマノフ王朝のロシア帝国による被支配民族に対するロシア化政策の中にその一つの典型を見ることができるとされます。従ってこの「公定ナショナリズム」は帝国主義的拡張政策とも連動していました。大英帝国がインドを正式に植民地としたのは、実はヴィクトリア女王の治世20年目、1857年のセポイの反乱の後でした。それまでインドを実質的に支配していたのは英国の東インド会社でした。ところが、その時期にインドを大英帝国に統合しようとする動きはすでに始まっており、1818年にはインドで英国式のエリート教育機関が設立されます。つまりインド人の中に英国人と同じ思想や価値観を持つエリート層を育成しようとしたのでした。当然のことながら、アンダーソンは維新によって樹立された明治政府もプロイセンをモデルとした擬似「公定ナショナリズム」国家と規定します。そして日本が19世紀後半の東アジアにおいていち早く国民国家の形成に成功した要因は、「公定ナショナリズム」の要件である国民的な王朝と中国語化した表意文字による公文書の伝統が古くから存在しており、国民教育制度によってこれらを容易に利用・強化することができたからだと説明します(158-59頁)。さらに19世紀ヨーロッパにおいて最終的にハプスブルグ帝国が没落し、プロイセンがドイツ帝国を樹立することになった理由も、その内部にドイツ語以外の言語集団を数多く抱えていたことと無関係ではありませんでした。


「VII最後の波」で取り上げられているのは、20世紀の植民地の独立運動を導いた植民地ナショナリズムです。この章では、植民地支配を受けていた地域が「行政単位」として独立を果たして行った事実が指摘されます。それはちょうどフランス革命後、中南米諸国が、旧植民地時代の行政単位毎に独立した事実と符号する訳です。第一次世界大戦以後、植民地に対する欧米列強の近代的教育が行われるようになると、そこで学んだ人々は、かつて宗主国である欧米諸国の国民も自由と独立のために戦った歴史があったことを知るようになり、それによってインスパイアーされたのでした。そのような歴史が教えられるようになったのは、欧米の宗主国の方で既に新たに国民国家を重視する視点から書かれた歴史が教育されていたからでした。そしてアンダーソンは、ドイツ語・フランス語・イタリア語・ロマンシュ語と四つの言語が話されているスイス連邦が一つの国民国家として成立したのは、この「最後の波」のもとにスイスが国民国家としての統合を自覚するようになったからだと興味深い説明をします。


「VIII愛国心と人種主義」は、そのような20世紀の国民国家が想像の共同体でありながら、宗教的側面を持つ実体でもあることを明らかにします。人は、例えば「アムネスティー・インターナショナル」のような団体のために自分の生命までも犠牲にすると言うことは、普通はありませんが、しかし国民国家は、そのために国民が自分の命を犠牲にすることを美徳とし、しかも国家はしばしば国民に要求さえします。そして国民国家の宗教的側面は、人種主義や人種差別意識と不可分でもあることをアンダーソンは洞察します。さらに、宗主国の植民地人に対する優越意識は、公定ナショナリズムと連動した帝国主義のもとで生まれたもので、結果的にではあれ、このような優越意識がヨーロッパの国民国家に植え付けられたことによって、国内の貴族制の存続が可能になるという皮肉な結果をも招きました。


 初版の終章「IX歴史の天使」で、アンダーソンは、まずトム・ネアンがイングランド・連合王国・大英帝国・帝国の解体という歴史を辿った近代イギリスを国民国家の一つの典型と提示した議論から書き始めます。英国は近代西欧国民国家の辿った道筋を緩やかな流れによってではありましたが、全て経験した国だと言えます。出版資本主義によって、世界の人々は、フランス革命の歴史を学ぶことができるようになります。これを模倣してロシア革命があり、そして植民地諸国の独立がありました。ところが「公定ナショナリズム」と言う歴史の天使は、そのような諸革命をも生き延びました。共産主義革命を実現したソヴィエトの指導者はクレムリン宮殿から統治することになり、中国共産党の指導者も北京を首都とし、かつての中華帝国の皇帝たちのように振る舞いました。本来連帯するはずの共産主義国家同士がなぜ戦争をしてしまうのか。この疑問に対するアンダーソンの答えは、ナショナリズムと言う想像の共同体が、驚く程強靭な生命力を持っていると言うことになるのでしょう。


 この結論を読みながら、「人間とはポリス的な動物である」と言うアリストテレスの言葉を思い起こしました。アンダーソンが訴えているように、国民国家とは200年余りの歴史、あるいは英国に範を求めるとしても400年弱の歴史をもつに過ぎません。比較的最近になってから出現した「獣」です。とは言うものの、これが「想像された」と言うだけでは説明のつかない、得体の知れない実体がその背後に存在するような気がします。マックス・ウェーバー『職業としての政治』はこのような実体に触れつつ次のように述べていました。「この世がデーモンに支配されていること。そして政治にタッチする人間、すなわち手段としての権力と暴力性に関係を持った者は悪魔の力と契約を結ぶものであること。. . . これが見抜けないような人間は、政治のイロハもわきまえない未熟児である。」(岩波文庫、94頁)国家という存在には、それが王朝であれ、国民国家であれ、科学的・合理的には説明しきれない魔性が潜むということでしょう。


 最初に紹介した事例に話を戻すと、この本から教えられることが一つあります。日本という国が外国人にとっても開かれた国となるために必要なことは、公用語としての日本語がもっと易しい日本語にされることではないかと思います。別に日本が外国人に開かれる必要などないと考える人もいるでしょう。ただそう言う風に考える人は、既に現在この国に重くのし掛かっている少子高齢化と労働力不足という問題に対する、現実的な解決策を提示する責任があります。それができないなら、普通に考えれば、私たちの国を、アジアの途上国の人々にも開かれた国にしていく以外に問題を解決する方法はありません。


 その上で、外国人にとっての日本語の難解さとは、つまり公文書に用いられる日本語が、中国語(漢文)と大和言葉とが混在する文書であり、話し言葉としての日本語を習得することに加えて中国語(漢字)を習得しない限り、外国人は日本社会において平等な権利が保障されない仕組みが、この国には存在していると言うことだと思います(158-59頁)。それはちょうど中華文化圏において漢文の素養が必須とされたシステムと似ています。日本は奈良時代に漢文による公文書制度を導入し、それ以後、擬似中華文化圏を維持しており、それによって漢文を読むことができない無学な人々や、夷狄つまり外国人をこの小規模文化圏の周縁に追いやるシステムを保持して来たのだと思います。


 外国人労働者の方々にも、美しい日本語を話す努力、適切に漢字を読み書きする努力をしてもらうことは大切なことです。外国人労働者にも美しい日本語・漢字の読み書き能力を習得してもらうことができるように、励まし援助を続けることは重要だと思います。けれどもそれはこの国において外国人労働者の基本的人権が保障された上でのことであると思います。現代の日本人にとって、ナショナリズムを克服するために求められている一つのことは、日本語については学習途上の外国人を、普通の日本語を話す日本人と同じように人として尊重し、受け入れることにあると思います。それはナショナリズムの形成が母国語による活字出版文化と不可分であったことを明らかにした、この本からも教えられることです。


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