昨年9月9日に英国のエリザベス二世が亡くなられました。かつて「太陽の沈まない帝国」と言われた大英帝国が解体する時代の国王でありながら、現在も56か国を擁するイギリス連邦(the Commonwealth of the Nations)の首長という立場を維持されたということは、エリザベス女王の最大の功績であられたのかもしれません。事情はだいぶ違いますが、サンフランシスコ講和条約の発効と同時に、旧植民地の人々から日本国籍を剥奪し、突然外国人として扱った我が国政府とは対照的です。
という訳で、今回は19世紀イングランドの女流作家ジェーン・オースティンの傑作『自負と偏見』を取り上げます。これは19世紀初めの英国地方上流社会の恋愛・結婚を描いた小説で、あらすじは以下の通りです。
主な登場人物は、ジェントリー階級のベネット家の人々ですが、彼らの住まいであるハーフォードシャーのロングボーン・ハウスに近いネザーフィールド・ハウスに、北部からミスター・ビングリーと言うお金持ちの独身が引越して来ます。ベネット夫人は娘の誰かが、この青年と結婚できたらと妄想を膨らませ、ご主人に隣人宅を訪問するようせがむ場面からお話しは始まります。ベネット氏は最初渋るも妻の願いを聞き入れて訪問します。そしていよいよミスター・ビングリーが初めて参加する舞踏会が催されます。この舞踏会でミスター・ビングリーは長女ジェインの美貌に魅了されます。片やミスター・ビングリーも紳士的振る舞いがすっかり評判となりました。この舞踏会には、ミスター・ビングリーの友人ミスター・ダーシーも参加していましたが、気難しい印象の彼に対する女性たちの評判は芳しいものではありません。
舞踏会の後、長女ジェインは次女のリジー(エリザベス)に、ミスター・ビングリーから二度もお誘いを受けたことが嬉しかったと打ち明けます。ミスター・ビングリーは、お金持ちでハンサムで紳士的で快活で教養があり、非の打ち所の無い青年でしたが、唯一当時の上流階級の基準に照らして劣っていたのは、ビングリー家の築いた資産が全て商売で稼いだものだったことでした(25頁)。英国の上流社会では、受け継いだ資産で働かずに裕福に暮らす家族が最も尊敬される家柄と見做されるからです。
ミスター・ビングリーも舞踏会の後、姉のミセス・ハースト、妹のミス・ビングリー、ミスター・ダーシーに対して舞踏会で出会った人々の印象を話します。ミスター・ダーシーの感想は辛辣で、参加した女性に美しい女性はおらず、唯一の例外はジェインだが、笑い過ぎる欠点があると評します。それでもミスター・ビングリーがお付き合いするならジェインは許される、との結論に達するのでした。
数週間後、今度はネザーフィールド・ハウスでパーティーが催され、そこにベネット家の姉妹たちも招かれます。エリザベスがピアノの演奏を披露すると、何とミスター・ダーシーがエリザベスをダンスに誘います。エリザベスはキッパリと断りますが、ダーシー氏は拒絶も織り込み済みだったらしく、落胆した様子はありません。
パーティーの後、ミス・ビングリーはジェインを食事に誘い、ジェインはネザーフィールド・ハウスを訪れます。そこで彼女は風邪をひいて寝込んでしまい、数日間厄介になるのでした。姉の体調を気遣うエリザベスは、雨でぬかるんだ道を3マイルも歩いてやってきます。ペチコートを汚してまで歩いて来たエリザベスをビングリー姉妹は田舎者と軽蔑しますが、血色の良いエリザベスにミスター・ダーシーは余計に惹かれるのでした。その後ジェインの具合は良くならず、エリザベスも姉の看病に泊まり、翌日はミセス・ベネットまで娘の様子を見にやって来ます。その間エリザベスへの好意を募らせるミスター・ダーシーを見て、彼に思いを寄せるミス・ビングリーは嫉妬します。ようやくジェインも回復し、日曜日には皆で礼拝に出席した後、長引いたネザーフィールド滞在も終わり、二人は自宅に戻ることになるのでした。
二人が戻ると、ミスター・コリンズという国教会の牧師がやってきます。彼は、当時のイングランドにおける限嗣相続制度によって、ミスター・ベネットが亡くなった際にロングボーン邸を相続する人物でした。この訪問は、とどのつまりはコリンズ氏の結婚相手をベネット家の姉妹の中に見つけるための訪問でした。限嗣相続の権利者が邸宅に居住する家族の娘と結婚するのも当時の慣例でした。コリンズ氏は真っ先に美貌のジェインに目をつけますが、ミセス・ベネットが長女以外の妹たちならと仄めかすと、すぐさま次女のエリザベスに乗り換えます。慇懃さとは裏腹にコリンズ氏は軽薄かつ凡庸な人物でした。
その後、ベネット家の姉妹たちの叔母ミセス・フィリップスの家でパーティーが開かれ、ミスター・コリンズとベネット家の姉妹たちも参加しますが、ミスター・ウィッカムという州義勇軍の中尉も来ていました。エリザベスがミスター・ウィッカムと話しているとミスター・ダーシーが話題にのぼります。ウィッカム氏はダーシー家と因縁浅からぬ関係にあったからです。ウィッカム氏の父親はダーシー家の事務弁護士で、ウィッカム氏自身もダーシー氏の幼馴染でした。ウィッカム氏はダーシーの父親から愛情を注がれ、教区牧師の職を約束されていたにもかかわらず、息子のせいで教区牧師となる道は閉ざされ、それで義勇軍将校になったとエリザベスに告げます。エリザベスはダーシー氏がそれ程陰険なことをする人物だとは知らなかったと応じ、酷く悪い印象を植え付けられるのでした。
やがてベネット家の姉妹たちが待ち侘びていた、ネザーフィールド・ハウスの舞踏会が開かれます。エリザベスはミスター・ウィッカムと踊ることを期待していたのに彼は来ません。代わりに嫌いなミスター・コリンズと最初の二曲を踊らされる羽目になりました。追い討ちをかけるようにミスター・ダーシーがダンスに誘い、今度はエリザベスも断り切れずに受けてしまいます。嫌々踊ろうとするエリザベスに、友人のシャーロットは「つまらない意地を張るのはよしなさいよ、ちょっとばかりウィッカムが好きだからって十倍も地位のある人を粗末に扱うことないわ」と忠告します(150頁)。ビングリー家での舞踏会は、結局エリザベスにとって終始忍耐を強いられる時間となりました。いくら嗜めても自慢話を捲し立てる母ミセス・ベネットに冷や汗をかき、妹メアリーが下手くそな歌唱を披露するのをこれもまた羞恥心を押し殺して聴き、おまけに関わりたくないミスター・コリンズがエリザベスにしきりに話しかけて来たからです。
舞踏会の後、気の早いミスター・コリンズはロングボーン・ハウスにやってきてエリザベスに求婚します。理由は、一言で言えば、教区教会の有力メンバーであるレディ・キャサリン・ド・バーグが、ミスター・コリンズに良家の子女との結婚を強く勧めたからでした。ミスター・コリンズは、果たしてこんなプロポーズにYesと応える女性が世界に存在するのかと思うような最悪のプロポーズをしますが、滑稽極まりない言葉を創作するオースティンの想像力には驚かされます(173-76頁)。エリザベスは、プロポーズを遮り、ここもきっぱり断るのでした。家族のために求婚を受け入れてくれることを期待していたミセス・ベネットは激怒し、エリザベスと縁を切るとまで言い出しますが、ミスター・ベネットは案に相違してリジーの選択を支持します。別室で待機していたミスター・コリンズもこの件を諦めることになりました。
すると今度はネザーフィールド・ハウスで変化がありました。ミス・ビングリーからジェインに手紙が届けられ、手紙によればミスター・ビングリーを始めとする人々は、冬の間ネザフィールドを離れてしばらくロンドンに住むとのこと、そしてミスター・ビングリーは今ミス・ダーシーに惹かれていると匂わせる内容が書かれていました。以前は、ジェインとの関係を承認していたミス・ビングリーですが、掌を返すような手紙であった訳です。少なくとも半年間ミスター・ビングリーに会えないことにジェインは落胆しますが、希望を持ち続けることにしました。
一方エリザベスに断られたミスター・コリンズは、断られた三日後に今度はエリザベスの友人ミス・シャーロット・ルーカスにアタックします。シャーロットは「賢明にも」断らず、しばらく考えさせて欲しいと応じるのでした。ルーカス家の両親は、娘が収入の安定している教区牧師と結婚できるなら、それに越したことはないと考え、シャーロットも現実的な選択をする余地はあったからです。彼女はエリザベスに打ち明けます。「私ロマンチックな方じゃないのよ。昔からそう。居心地の良い家が手に入れば、それで十分だと思ってる」(204頁)。
その後シャーロットとミスター・コリンズは結婚し、シャーロットはコリンズ氏の住まうケント州ロージングスの牧師館での生活が始まります。ちょうどその頃、エリザベスは、母方の叔母ミセス・ガーディナーから、ミスター・ウィッカムとの交際には深入りしないようにと忠告を受けます。実際の所、ウィッカム氏は最近エリザベスを相手にしなくなり、別の女性に入れ込んでいるようでした。一方ジェインはミスター・ビングリートとの再会の機会を求めてロンドンに向かいますが、ミス・ビングリーとは会えたものの、肝心の本人とは会えませんでした。エリザベスが推測した通り、ミス・ビングリーは、兄がミス・ダーシーとの結婚を願っていることにジェインも気づくようになります。
ジェインのロンドン滞在中、エリザベスはコリンズ夫妻を訪ねることにしました。エリザベスが牧師館に泊まっている間、ミスター・コリンズのパトロンであるレディ・キャサリン・ド・バーグから食事に招待されます。エリザベスはそこでド・バーグ夫人から根掘り葉掘り質問された上、ベネット家の慎ましい生活に対する嫌味を言われ、身分と財産の違いを見せつける自慢話を延々と聞かされます。その不愉快な会話よって、読者は、エリザベスが正しい選択をしたことを確認することになります。
ミスター・コリンズ宅滞在中に、エリザベスたちは週二日の割合で、レディ・キャサリン・ド・バーグのロージングス邸に招待されますが、その間にレディ・キャサリンの甥であるミスター・ダーシーがロージングス邸を訪れます。ミスター・ダーシーはフィッツウィリアム大佐という友人を連れて来ました。フィッツウィリアム大佐も立派な紳士で、エリザベスと共に牧師館に滞在していた女性たちは彼に魅了されます。一方フィッツウィリアム大佐はエリザベスに惹かれたらしく、彼女に親しく話しかけます。するとミスター・ダーシーはその様子に嫉妬を感じたようで、そのことにエリザベスも気付きます。エリザベスは依然ミスター・ダーシーを嫌っていたのですが、ロージングスに滞在中、ミスター・ダーシーはエリザベスの部屋を一人で訪ね、初めて二人は一対一で会話を交わします。
二人の関係は進展するかに思われますが、オースティンは読者を焦らすかのように、エリザベスにミスター・ダーシーに対する新たな「偏見」の種を植え付けるのでした。エリザベスは、ロージングス邸の荘園を散策している時に、フィッツウィリアム大佐と鉢合わせになり、そこでミスター・ビングリーにネザーフィールドを離れさせたのは、ミスター・ダーシーであると聞かされます。エリザベスは改めてミスター・ダーシーの陰険さに嫌悪感を覚えます。そんなこととは露知らずミスター・ダーシーはロージングス邸での滞在を終える前に、エリザベスに対する想いを抑えきれずに求愛をしてしまい、エリザベスはまたしてもキッパリと断ります。しかしミスター・ダーシーは、ロージングス邸を離れる前に弁明の手紙を書いてエリザベスに渡します。その手紙には、なぜミスター・ビングリーをロンドンに移るように促したのか、またなぜミスター・ウィッカムが聖職に就くのを許さなかったのか、その事情が事細かく説明されていました。それを読んで、エリザベスは自分が人を見る目がない者であったことに痛く恥入るようになるのでした。
夏の間、エリザベスは叔父・叔母に当たるガーディナー夫妻と共に湖水地方(the Lake District)を旅することになっていました。しかし夫妻に新しい用事が入ったため、当初の予定を短縮してダービシャーを訪問します。しかもミセス・ガーディナーはダービシャーにあるペンバリー・ハウスを訪問したいと言い出します。そこはミスター・ダーシーの屋敷でした。屋敷で一般に公開されている部屋を見学している時、そこでエリザベスはミスター・ダーシーと再会します。エリザベスはノコノコとペンバリー屋敷に来てしまったことを内心恥ずかしく思うのでしたが、ミスター・ダーシーは、ロージングス邸滞在の時期に、あれだけキッパリと求愛を拒絶してしまったにもかかわらず、エリゼベスとガーディナー夫妻に大変親切に接し、エリゼベスには妹のミス・ダーシーを紹介したいとさえ申し出ます。そしてエリザベスとガーディナー夫妻が滞在しているラムトンの旅館に妹を連れて訪問し、さらに驚くべきことに、そこにミスター・ビングリーも合流したのでした。エリザベスがダービシャーにいる間に、ミスター・ダーシーはエリザベスと叔父・叔母夫妻を晩餐に招待します。そうしたミスター・ダーシーの異例とも言える歓待に、エリザベスは彼の好意を感じ、彼に対する感情も変化するようになるのでした。
ラムトンに戻ると、ジェインから手紙が二通届いていました。その手紙には何と妹のリディアがミスター・ウィッカムと駆け落ちしたという驚愕すべき知らせが書かれていました。二人はロンドンからスコットランドに向かったらしいが消息は不明とのこと。エリザベスがこのニュースで取り乱している所に、ミスター・ダーシーがやってきます。エリザベスは事情を説明し、予定を切り上げてロングボーン・ハウスに戻らなければならなくなったことを伝えるのでした。
ガーディナー夫妻と共にロングボーンに戻ると、ミスター・ベネットはリディアの捜索のためにロンドンに外出中でした。ベネット家の女性たちはリディアの駆け落ちで、皆一様に衝撃を受けていました。ミスター・ガーディナーも、リディア捜索のためにロンドンに戻って下さることになります。ミスター・ベネットは程なくロングボーン・ハウスに戻り、その後ミスター・ガーディナーから事情を詳しく説明する手紙が届けられます。ミスター・ウィッカムとリディアは現在ロンドンにおり、ウィッカム氏はリディア嬢との結婚を願っているとのことでした。異例ずくめではありましたが、ベネット家の人々は、ウィッカム氏が結婚を求めていると知ってひとまず安心します。リディアの貞操を汚しただけで結婚を放棄するとなれば、リディアの一生を台無しにする極めて重い罪に当たり、ミスター・ベネットは父としてウィッカム氏に決闘を申し込むことさえあり得たのですが、最悪の事態は回避されたのでした。
リディアとウィッカムは結婚し、ロングボーン邸で十日間過ごしてからニューカッスルに移りました。ウィッカムは州義勇軍を除隊し、今度は正規軍に入隊したからです。その後エリザベスはミセス・ガーディナーから驚くべき手紙を受け取ります。それはミスター・ウィッカムに対して、リディアと結婚するよう説得し、問題解決のために金銭面も含めて尽力をされたのは、ミスター・ダーシーであったという事実を伝える手紙でした。ミセス・ガーディナーは、手紙の中でミスター・ダーシーについて「知性も見識も含めて申し分のない方」だと太鼓判を押すのでした(509頁)。
リディアの結婚の件が一段落した頃、ネザーフィールド・ハウスにミスター・ビングリーが戻って来ます。ミセス・ベネットはまたしてもミスター・ベネットに訪問を求めますが、流石に今回は、ミスター・ベネットは断ります。ところがミスター・ビングリーはネザーフィールドに戻ると、すぐに自ら馬車でロングボーンにやって来たのでした。しかもミスター・ダーシーも一緒です。帰り際にミセス・ベネットは二人を食事に招待します。ベネット家の晩餐の食卓でミスター・ビングリーはジェインの横に座ることで彼女への変わらない好意を表しました。数日後、今度はミスター・ビングリーが一人でロングボーン邸を訪れます。程なくしてジェインはミスター・ビングリーから求婚されるのでした。
ミスター・ビングリーが毎日ジェインに会いにロングボーンを訪れるようになった頃、突然、事もあろうにレディ・キャサリン・ド・バーグがベネット家にやって来ます。レディ・キャサリンはエリザベスに庭を案内させながら唐突に質問します。甥のミスター・ダーシーがエリザベスに求婚をしたというのは本当か。レディ・キャサリンはこれを許すことができませんでした。なぜなら、彼女の娘ミス・ド・バーグがすでにミスター・ダーシーと婚約をしているというのです。二人の結婚は、ミスター・ダーシーの母親とレディ・キャサリンとの間で、二人がまだ幼い頃に決められていた。レディ・キャサリンはそう主張し、エリザベスに身を引くよう要求しますが、エリザベスは拒否します。レディ・キャサリンは腹を立てて挨拶もせずにロングボーン・ハウスを離れるのでした。すると間もなくミスター・ベネットにミスター・コリンズから手紙が届きます。それはレディ・キャサリンの側に立って、ミスター・ダーシーとエリザベスとの関係に危惧を表明する内容でした。その数日後、再びミスター・ビングリーとミスター・ダーシーがロングボーンにやって来ます。エリザベスは、ミセス・ガーディナーから聞いた、リディの結婚におけるミスター・ダーシーの尽力に謝意を伝えます。するとミスター・ダーシーは、四月に自分が行った求愛にふれ、その時と自分は気持ちが変わっていないが、あなたはどうかと尋ねます。勿論、エリザベスは、この求愛を受け入れるのでした。
エリザベスはジェインにミスター・ダーシーの求愛を打ち明けますが、ジェインはとても信じられません。ミスター・ベネットも信じられませんでしたが「あの尊大で不愉快な男」をお前は本当に愛しているのかと問うと、エリゼベスはこの時ばかりはキッパリYesと答えます。ミセス・ベネットはこの話を聞くと「嬉しさで気が狂いそう」と狂喜乱舞するのでした。
ミスター・ビングリーとジェインは、結婚すると間も無くネザーフィールド・ハウスを引き払い、ダービシャーに屋敷を構えます。ミセス・ベネットを始めとするベネット家の人々と近くに住み続けることは、ミスター・ビングリーのような身分にはプラスではなかったからです。エリザベスはペンバリー屋敷での生活が始まりました。レディ・キャサリン・ド・バーグは、ミスター・ダーシーとエリザベスの結婚に激怒し、エリザベスをこき下ろす手紙をミスター・ダーシーに送りつけ、しばらくは絶縁状態にありました。しかしエリザベスの取りなしもあり、ミスター・ダーシーは叔母との関係を改善させます。そしてミスター・ダーシーは、エリザベスとの間を取り持ったガーディナー夫妻への恩義をその後もずっと忘れることはなかったのだそうです。めでたし、めでたし。
という、あらすじからお分かりのように、この小説には戦争も革命も犯罪も陰謀も描かれません。同時代のフランス小説のような不倫も不貞もありません。それにも関わらず、読者を飽きさせずページを繰りたいと思わせる作者の筆力はやはり優れたものがあります。
この小説は、イングランドの伝統に忠実でありながら、新しい時代を予感させる面もあります。ミスター・ダーシーとエリザベスの結婚は身分の異なる者同士の格差婚です。格下であっても、ミスター・ダーシーにも、そしてレディ・キャサリンに対しても、自分らしく振る舞い続けるエリザベスという女性は、潜在的にはフェミニストの先駆者と言えなくもありません。さらに限嗣相続人コリンズ氏からの求婚を断るエリザベスとそれを許容するベネット家の人々は、「お家」の存続より個人の結婚における幸福を優先するという、現代では当たり前の価値観を承認する人々として描かれます。そのような価値観を持つ人々を魅力的に描くことによって、オースティンは、静かながら英国社会にインパクトを与えたのかもしれません。ついでながら、前近代においては当然であった、政略や所領維持などのために女性が好きではない相手と結婚させられるという慣習にイングランドで最初に明確に異を唱えたのはピューリタンたちでした。彼らがそのように主張したのは「人はその父母を離れ、二人は結ばれて一つとなる」(創世記2章24節)という旧約聖書の教えに促されてのことであったのでしょう。
とはいえこの小説はあくまでも19世紀イングランド上流階級のドラマです。英国の階級社会の歪さにメスを入れる程の革新性をこの小説に求めることはできません。現代英国の国富のかなりの部分が金融に依存することはよく知られていますが、英国はある意味では最も偽善的な国の一つであるとも言えます。なぜなら英国は伝統的にロンドンのシティーに治外法権を認めて国内の規制からシティーの金融業者を除外して来た上、旧大英帝国解体の過程で、ケイマン諸島やバミューダ諸島などの租税回避地に金融機関を置くことを許し、麻薬カルテルやロシアのオリガーキーなどが不正に築いた巨額の資金を英国の金融機関が受け入れることによって世界最大の金融立国としての地位を維持してきたからです。英国がそのような闇を抱えることになった理由は単純です。英国の支配階級には自分で労働して生活することを卑しむ文化が残っているからです。勤勉を重んじる我が国は、そういう面では英国に比べて健全であるのかもしれません。
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