12月はキリスト降誕を記念する季節なので、芸がないとは思いながら、イエス・キリストに関する本を選んだという訳です。アリステア・マクグラスは現代英国を代表する神学者で、専門的な研究もさることながら、数多くの優れた概説書・教科書を出版されていることで知られています。マクグラスの本が日本でも多く翻訳されている最大の理由は、複雑多岐にわたる諸問題を明快に解き明かす才能の持ち主であるからだと思います。以前このブログでC. S. ルイスの『喜びのおとずれ』を紹介した時に、マクグラスによるルイスの伝記『憧れと歓びの人: C・S・ルイスの生涯』(佐柳文男訳、教文館、2015年)に言及したことがありました。
この本は、18世紀以降、西欧思想と神学に大きな影響を及ぼした啓蒙思想が、キリスト教の核心であるイエス・キリストへの信仰にどのような変化を引き起こしたかについて、主にドイツ語圏の神学者たちに注目しながら明らかにする本です。なぜドイツの、特にプロテスタントの神学者たちが、啓蒙思想の影響を強く受けてキリスト論を再構築しようとしたのか、マクグラスは幾つかの理由を挙げます。まずドイツにおいては政治的リベラリズムの道が閉ざされていたため、大学で啓蒙思想の影響を受けた人々が宗教の保守派に対して厳しい批判を向けるようになったこと。また啓蒙思想の拡大以前にドイツでは敬虔主義の運動が社会の階層を問わず広範囲に受け入れられており、フランスやイギリス以上に宗教が啓蒙主義者にとって対峙する相手として大きな存在であったこと、などの理由が列挙されています。しかし恐らく最大の理由は、ドイツ・プロテスタント神学者たちにとって、啓蒙思想を受け入れることが宗教改革者マルティン・ルターの遺した信仰・神学の伝統に忠実な道であると受け止められたからではないかと思います。ルターがカトリック教会の教皇至上権に対して、聖書と良心のみを理由に、自説の撤回を拒否したように、啓蒙思想の影響を受けた神学者たちは、理性を大胆に用いてイエス・キリストへの信仰の伝統に挑戦しました。しかしマクグラスは、そのような試みが、結局はキリスト教信仰の伝統を完全に変質させるには至らなかったことを神学思想史の形で表現したのだと思います。
福音書を少しでも読めば一目瞭然ですが、イエス・キリストの生涯には、信じられないような奇跡的な出来事が満ち溢れています。そもそもイエスの誕生からして処女マリアによる懐胎・出産のエピソードです。そのような奇跡的な記述は、福音書記者たちの創作であり、キリスト教は虚偽に基づいて構築された宗教である。そのような主張を最初に行ったドイツ人の啓蒙主義者はゴットホルト・エフライム・レッシングでした。あるいは彼が発見した、ヘルマン・ザムエル・ライマールスによる『ヴォルフェンビュッテル断片』にその見解が表明されていました。厳密に言うとライマールスは『神の合理的礼拝者のための弁明』と言う本を執筆しようとして、その原稿を遺したまま亡くなりました。この遺稿をレッシングが発見しますが、ライマールスの家族の反対にもかかわらず、レッシングは、原稿の一部を匿名の著者による著作として出版してしまいます。それが『ヴォルフェンビュッテル断片』として知られる書物です。この『断片』の最後の部分は、歴史上のイエスが、弟子たちの伝えようとしたような人物ではなく、ユダヤ教黙示文学の影響を受けた人物で、ユダヤ人をローマの支配から解放するメシアとなることを目指し、神も自分を助けると盲信したが、結局十字架で処刑されてしまった哀れな男であったと説明します。この『断片』が、近代における史的イエスの探究の出発点に位置付けられる文書です。
レッシング、ライマールスに次いで紹介されているのが、ロマン主義の時代を代表する神学者フリードリッヒ・シュライエルマッハーです。彼は、信仰を純粋に人間の内面的な営みとし、福音書のイエス・キリストによる贖いが、人々に理想的な人間像を示し、その理想像に向けて人々を喚起する力のある存在であると説明しようとしました。そしてイエスが人に贖いをもたらすことのできる方であると信じる者は、イエスの業が要求する品格をも認めるべきであり、そのような信仰がイエス・キリストに対する正しい信仰であるとされます。このようにシュライエルマッハーは、イエス・キリストが神であり人であるとの信仰について、カント哲学の認識論の影響のもとに、それを内面的な事柄に限定して論述し、史的イエスの問題に立ち入ることは回避することによって、正統的な信仰と啓蒙思想との折り合いをつけようとしたのではないでしょうか。
このシュライエルマッハーのキリスト論は、19世紀のドイツ・プロテスタント神学者たちに影響を与えます。まずヘーゲル哲学の影響をも受けたD. F. シュトラウスが1835年に『イエスの生涯』を公にします。この著作の出版は恐らくバルトホルト・ゲオルグ・ニーブールやレオポルト・フォン・ランケに始まる近代歴史学の方法の確立とも連動していました。この著作でシュトラウスは、第一に、歴史上のイエスと教義としてのキリスト論を明確に区別しました。第二に、福音書の記述は純粋に歴史学的・批判的に研究されなければならず、従って福音書の奇跡の歴史性は全て拒否しなければならないと主張しました。第三に、シュトラウスは、福音書記者たちが詐欺師であったとは考えませんでしたが、彼らが持っていた神話的世界観のゆえに、イエスの生涯を神話的言語で表現したのであり、その意味を正しく理解するためには、神話的言語から抽象的概念に引き上げられなければならないと主張しました。結果的にシュトラウスは、福音書の証言するイエスの歴史性に対しては、著しく懐疑的な立場をとることになります。依然として保守的信仰の伝統の強かった当時のドイツにおいて、シュトラウスの著作は到底受け入れられるものではなく、彼は大学で職を得ることなく生涯在野の著述家として歩むことになります。
シュトラウスと同様にヘーゲルやシュライエルマッハーの影響を受けながら、シュトラウスのような破壊的な立場をとることを回避しようとしたのが、フェルディナンド・クリスチャン・バウルでした。バウルはキリスト論における受肉の教理を重視したヘーゲルの見解を引き継いでおり、受肉を最も明確に記したヨハネ福音書に注目しました。ヨハネ福音書には初代教会の神学が表明されている書物ではありながら、その背後にある歴史的イエスを知るために必要な文書であるとバウルは考えました。ですからバウルは、シュトラウスとは異なり、史的イエスと信仰のキリストとの間に連関を認めることはできるとの立場でした。
ヘーゲルの影響を受けたもう一人の人物としてフォイエルバッハが取り上げられます。彼はマルクスの唯物論に影響を与えた人物ですから、シュトラウス同様に、福音書の歴史性に対しては著しく懐疑的な立場をとり、宗教的な神体験は人間自身の体験に過ぎないとして、無神論的な主張を展開するようになります。けれどもヘーゲルの影響を受けていたため、フォイエルバッハは受肉という概念には肯定的であり、結果的に全ての人間が神的な存在であるとの汎神論を支持するようになったとされます。
これらのヘーゲル左派の神学思想家たち(シュトラウス、バウル、フォイエルバッハ)は、一様にシュラエルマッハーの影響を受けながら、シュライエルマッハーのキリスト論が不十分であるとして批判し、独自の主張を展開しようとした人々でした。彼らによってシュライエルマッハーのキリスト論は過去のものとなったかのようではありましたが、それがもう一度、19世紀後半にヘーゲル哲学の退潮と共にドイツの自由主義神学者たちによって再評価されるようになります。
アルブレヒト・リッチェルは、自然科学の急速な発達による人類の進歩への楽観主義に特徴づけられたこの時代を代表する自由主義神学者の一人で、シュライエルマッハーの影響を受けながら、シュライエルマッハーが宗教の感情的側面を重視したのに対して、リッチェルはその倫理的側面を重視したとされます。リッチェルにとってのキリストは、卓越した原型的な人物であり、歴史上固有で比類なき存在であったとされているようです。ですからリッチェルのキリスト論は歴史上のイエスと関係はありますが、イエス・キリストを人であり神であるとする正統信仰は表明されていません。シュライエルマッハーと似て、イエスを神とするのは、あくまでの信仰者の側の価値判断に基づくものだとされます。
19世紀後半を代表する自由主義神学者としては、もう一人、アドルフ・フォン・ハルナックも紹介されます。ハルナックは、ベルリン大学で行った公開講演に基づく『キリスト教とは何か』(1900年)において、ヘレニズム文化の影響によって変質させられてしまう以前の、本質的なキリスト教を再発見する必要を訴え、その本質をイエス・キリストに求めたとされます。ハルナックにとって、受肉の教理もイエスの神性を説くロゴス・キリスト論もヘレニズム化された教えであって、福音の本質ではないとされます。「ヘレニズム化されたキリスト教を拒否する」という、一見真実味をもった主張を展開することによって、ハルナックは、近代人にとって受け入れにくい教理を排除する口実を見出したということも言えます。ハルナックによればイエスとは「父なる神の親心を映す鏡」(150頁)であるとされるようです。リッチェル同様、ハルナックにとってもイエスは卓越した存在ではありながら、人となられた神の子であるとする新約聖書のキリスト論は受け入れることができなかったのでしょう。
自由主義者たちがイエスを、来世の希望を教えた人物としてよりは、この世の進歩に寄与する倫理的教師であるかのように描こうとしたことに対して、そのようなイエス像を批判する人々が登場します。19世紀末から20世紀初頭にかけてドイツでは宗教史学派と呼ばれる一群の聖書学者たちが現れます。その一人であるヨハネス・ヴァイスは、イエスの教えた神の国が終末論的な教えであったことを強調しました。また後にアフリカへの医療宣教師となったことで知られるアルベルト・シュバイツァーも「イエスは我々のもとに見知らぬ者として来る」という言葉を残したことで知られるように、ユダヤ教黙示文学の思想的影響を受け、西欧近代人にとっては異質な存在としてのイエスを描こうとしました。ヴィルヘルム・ヴレーデも『メシアの秘密』という著作によって、当時受け入れられていた「マルコによる福音書」の信頼性に関する見解、即ちマルコが史的イエスの再構成のために最も信頼できる福音書であるとの見解を退け、むしろ「マルコによる福音書」の内容の多くが非歴史的なものであると見做しました。主に教義学者であったマルティン・ケーラーは、イエス・キリストを「超歴史的」存在とし、人の救いにとって史的イエスがどうであったか、ということは重要なことではないと考えるようになりました。そして「真のキリストは説教のキリストである」と述べることによって、歴史的イエス・キリストよりは実存的なイエス・キリストこそキリスト教信仰にとって重要だと主張します。宗教史学派に属するエルンスト・トレルチは、歴史学的方法を厳密に聖書に適用するならば、教義学的・超自然的キリスト論を維持することはできず、従ってキリスト教信仰も一宗教の教義に過ぎないと考えました。そのようにトレルチはキリスト教教理の絶対性を否定したとされます。これら19世紀末から20世紀初頭にかけて、主に宗教史学派と呼ばれる人々によってなされた自由主義神学批判によって、それまで自由主義者から見ても確実であったと思われた史的イエスやキリスト論に関する見解も、厳しく批判にさらされるようになったのでした。
続いて取り上げられるのは、カール・バルトやエミール・ブルンナーに代表される弁証法神学です。第一次世界大戦の勃発によって、19世紀後半の自由主義者たちが抱いていた楽観的進歩思想は瓦解します。そのような西欧精神史における荒廃の中から弁証法神学は登場しました。20世紀を代表する神学者カール・バルトは、ハルナックやヘルマンなどの自由主義神学者たちの影響を強く受けていました。ところが第一次世界大戦の勃発の際に、ドイツの神学者たちは皇帝ヴィルヘルム2世の戦争政策を支持する声明文を連名で公表します。その中にはバルトが尊敬していた自由主義神学者たちの名前が連ねられていました。この出来事が、彼を自由主義の目指した文化的キリスト教と決別させることになり、1919年に発表した『ロマ書講解』において、神の絶対性・他者性を強調する神学を展開させることになりました。マクグラスによれば、バルトは救済の歴史を、歴史上のナザレのイエスや受肉の教理から出発するのではなく、「三位一体という立脚点から概観」される(211頁)そうです。バルト神学の中心はキリスト論にあるとしばしば言われますが、彼のキリスト論は必ずしも歴史学によって復元される史的イエスには依拠していないようです。ですからマクグラスは、バルトのキリスト論でさえも、啓蒙主義の枠組みに属すると評価します(214頁)。ただこの点については評価が分かれるのかもしれません。
バルトと共に弁証法神学を代表するエミール・ブルンナーも、当初は自由主義神学に基づくキリスト論を受け入れていたが、恐らくはバルトの影響を受けて、1921年以降、弁証法神学に移行したとされます。ブルンナーは1927年に『仲保者』というキリスト論に関する著作を公にしています。この書物において、ブルンナーは、「王としての預言者」としてのイエス・キリストを重視したリッチェルによっては無視されていた「祭司としての仲保者」としての側面に光を当てることを目指しました。さらにブルンナーは、マルティン・ブーバーが『我と汝』において展開した思想、人間の実存的生は対話的表現において分析されなければならないとする思想を受け入れつつ、1938年に『出会いとしての真理』を出版します。この著作で、ブーバーは、信仰とは、イエス・キリストにおいて我々が人格的に神と出会うことであると表現しました。神を知るとは「我-それ」の関係のように、客観的な対象として知るのではなく、「我-汝」の関係のように、人格的な出会いの経験であることが重視されているのでしょう。
二人の弁証法神学者たちの後に紹介されるのはルドルフ・ブルトマンとパウル・ティリッヒです。ブルトマンは1941年に「新約聖書と神話論」と題する有名な講演を行います。この講演の中で彼は、古代人と異なる世界観を持つようになった現代人が、新約聖書の神話的世界観に基づいて語られた使信をそのまま受け入れることはできないと語ります。しかしブルトマンは、自由主義者たちのように神話的外皮を取り除いて倫理的核のみを取り出そうとする方法は誤りであると考えます。なぜなら神話的要素にも新約聖書の重要な使信が含まれるからです。むしろ彼は、神話的世界観に基づいて書かれた箇所を「非神話化」して解釈することによって、その使信を現代人にも意味のあるものとすることができると主張しました。ブルトマンと言えば、史的イエスに関して、極めて懐疑的な新約聖書学者であったことで知られていますが、それは自由主義者たちが歴史的方法によって構築できると考えた史的イエスでさえも、厳密には根拠の薄いものに過ぎないことを示すことによって、イエス・キリストを歴史学的に認識しつつ、信仰を持つことはできないのであって、むしろ新約聖書の神話的表象をも含むケリュグマを実存的に解釈することによって、現代人にも理解することができるものとなる、と考えていたからでした。ブルトマンがこのように考えるようになった一つの要因は、彼が奉職していたマールブルグ大学にいたマルティン・ハイデッガーの哲学の影響を受けていたからです。ハイデッガーは、マルティン・ブーバーと類似していますが、「実存」と「客体」とを区別し、生命や心を持った存在を「現存在」(Dasein)と名付けて、石のような客体としての存在とは区別するようになっていました。そのようなハイデッガーの存在論の影響をブルトマンも受けていたと言えます。
同様にマールブルグ大学で、マルティン・ハイデッガーの影響を受けた神学者にパウル・ティリッヒがおりました。彼は、神学を一般の非キリスト教徒にとって魅力あるものとして提示することを目指し、弁証学的アプローチを採用した神学者でした。その際、ティリッヒは、ブルトマンの「非神話化」の方法を取り入れ、新約聖書の神話的記述から実存的意味を読み取ろうとします。しかしその結果、ティリッヒにとって、ブルトマン同様に、福音書を通して復元される史的イエスは、キリスト教信仰にとってもはや意味のあるものとは見做されなくなっているとされます。
ルドルフ・ブルトマンが新約聖書学や福音書研究に与えた影響は非常に大きなものがありました。しかし彼が史的イエスの探究を、キリスト教信仰にとっては意味のないものとしてしまったことに対して、戦後になって揺り戻しが起きることになります。初代教会の「ケリュグマ」と史的イエスとの間に架橋しようとする試みには、ルター研究で知られたゲアハート・エーベリング、新約学者エルンスト・ケーゼマン、教義学者ヴォルフハート・パネンベルグによってなされたとされますが、ここではケーゼマンに触れておきます。
エルンスト・ケーゼマンは、1953年にブルトマンの弟子たちに向けて講演を行い、ブルトマンが史的イエスの問題から撤退してしまった後に、改めて史的イエスの探究を再開する必要性を訴えた新約聖書学者として知られています。所謂「史的イエスの第二の探究」が彼によって始められたのでした。ケーゼマンが訴えたことは、初代教会の宣教のキリストと、史的イエスとの間には、連続性を認めることができるということでした。そうであれば、キリスト教信仰にとって、福音書などを通して、史的イエスを復元する試みには、神学的な意味が見出されることになります。ただケーゼマンは19世紀の自由主義に逆戻りした訳ではありませんでした。そしてケーゼマンの影響は、J. エレミヤスやギュンター・ボルンカムなどの研究に影響を与えることになりました。
最後に「啓蒙主義の終焉」との表題のもとに、マクグラスはユルゲン・モルトマンとエバハート・ユンゲルを取り上げます。20世紀後半になると、ドイツを含む西欧の大学では、啓蒙主義は衰退し、相対主義と多元主義に特徴づけられたポスト・モダニズムが支配的となりました。そのような状況にあって、ディートリッヒ・ボンヘッファーの訴えた「非宗教的キリスト教」がドイツのアカデミズムの神学者たちに影響を与えて来たとマクグラスは説明します。
そのような背景の中で、モルトマンは1964年に『希望の神学』を出版します。この著作の中で、彼は終末論を神学の中心に取り戻そうとします。さらに1972年の『十字架につけられた神』で、これまでキリスト教会が教父時代以来伝統的に受け入れてきた「苦しまない神」という理解に疑問を呈し、父なる神ご自身も、罪深い人間への愛のゆえに、キリストの十字架において苦しまれた、との主張を展開します。これは三位一体論の観点からは、微妙な表現ではあります。しかしそのような理解の背後には、キリスト教的「愛」とは愛する者の苦しみに関与するものである、との主張が込められているのだそうです。そしてこのようなモルトマンのキリスト論を、マクグラスは、ポスト啓蒙主義時代のキリスト論として紹介します。
ポスト啓蒙主義のもう一人の神学者はユンゲルです。ユンゲルのキリスト論は、彼が1969-70年にテュービンゲン大学で行った講義に基づく『キリスト論の基礎についての諸命題』という著作において示されています。ユンゲルはこの著作で、キリストの復活について、それを宗教史的に正当化することはできないが、当時の宗教的待望のネットワークによって条件づけられており、宗教史的に吟味することは可能であるとの立場に立ちます。宗教史(歴史学)は復活の歴史性を判断することはできないが、その解釈の枠組みについて光を当てることはできる、というのです(340頁)。そしてイエスの復活は、他のカテゴリーに分類されることのない「唯一の特性」を保持した出来事であると説明します。さらに1977年に出版された『世界の秘儀としての神』において、モルトマンと同様に、ユンゲルは、キリスト教が本質的に十字架につけられた方の神学であると述べ、十字架の出来事が三位一体の神学を基礎付けていると考えます。即ち「十字架に付けられた子なる神」と「子をよみがえらせた父なる神」、さらにその両者を統合する「聖霊なる神」が三位一体の神を構成すると説明されています。さらにユンゲルは、キリスト教が「(形而上学的な)神の死」という思想を回復する必要があると訴えるようになります。このようなユンゲルの神学思想にも、脱啓蒙主義の潮流をマクグラスは読み取っています。
結論においてマクグラスは、19-20世紀において試みられた啓蒙主義(合理主義)に基づくキリスト論の構築が失敗に終わった現在、今後のアカデミズムにおけるキリスト論の方向性を見通すことは難しいとしながら、ポスト・モダンの世界においても、キリスト教はその基準点をイエス・キリストに見出し続けることができるし、そうしなければならないという言葉で結んでいます。
この本を読んで痛感させられることは、啓蒙思想の影響のもとに哲学や歴史学と両立する形で学問的に福音書を学んだとしても、新約聖書の福音書が伝えようとしているイエス・キリストを信じる信仰に導かれることは難しいということです。使徒パウロは「十字架の言葉は滅びゆく人々には愚かですが、私たち . . . には神の力です」(第一コリント1:18)と述べていますが、知的に優れた能力を持つ人々にとって、多くの場合、新約聖書の伝えるイエス・キリストや福音書のメッセージは、全てではないにせよ、かなりの部分は愚かしいと感じられることでしょう。そのため近代のキリスト教神学者たちは、イエス・キリストへの信仰によってもたらされる救いがどういうものかを、様々な言葉や概念を駆使して説明しようとする努力を重ねて来たように思われます。けれども、それらの多くは学問的神学の世界では一定の評価を得たにせよ、キリスト教会に救いを求めて訪れる方々に希望を与えるという面で、また教会に集う信徒たちに励ましを与えるという点において、意図したほどの成功を収めることはなかったのではないかと思います。
むしろエルンスト・ケーゼマンが指摘したこと、つまり「歴史上のイエスへの我々の唯一の道は、信仰共同体を通してのものである」(294頁)という言葉は、過去も現在も変わらない真実を言い表しているように思います。一見愚かしく思われる「イエス・キリストの十字架の死と復活」についてのキリスト教会の宣教の使信を聞くことによって、多くの人々がイエス・キリストを救い主として信じ、キリスト教信仰に導かれて来たのではないでしょうか。日本ではその数は決して多くはないかもしれませんが、人口の1%程度とはいえ信仰に導かれる方々はおられます。そして世界中で、このイエスの十字架の死と復活の出来事を聞いて、福音を信じるようになる人々が、2000年の昔から現在に至るまで、世界各地で起こされ、キリスト教会が形成され続けています。その事実も、正典福音書の語るイエス・キリストの記録を、単に神話や作り話として切り捨てることはできないメッセージとして、今も伝え続ける意味があることを、人々に示しているように思われます。
Commentaires