『ジョン・ウェスレー説教53』(上巻)竿代忠一、勝間田充夫、藤本満訳、イムマヌエル綜合伝道団教学局、1995年


 新型コロナ・ウィルスの感染は、欧州・英国でも猛威を振るっていますが、そんな中でドイツのメルケル首相や英国のジョンソン首相のスピーチが注目されました。この二つの国に共通するのは、共にプロテスタント・キリスト教の伝統がまだ残っている国だということではないでしょうか。プロテスタント信仰の特徴の一つは、礼拝での説教(牧師による聖書に基づく演説)にあります。前にイエス・キリストの言葉、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」を紹介しましたが、プロテスタント教会における礼拝説教は、このキリストの言葉を端的に示すものであると思います。毎週日曜日の礼拝で、牧師は会衆の置かれている状況を考え、メンバー一人一人の直面している課題を念頭に置きながら、聖書に基づいて励ましのメッセージを伝えようとします。宗教改革以来、プロテスタント・キリスト教の伝統において続けられてきた営みです。


 今回紹介する『ジョン・ウェスレー説教53』(上巻)は、ジョン・ウェスレーの代表的な説教をまとめた全三巻の説教集の上巻で、読みやすい日本語で読めるだけでなく、各説教には分かりやすい解説がつけられています。(厳密に言うと、この内の一篇はジョンの弟、チャールズ・ウェスレーによる説教です。)ジョン・ウェスレーは英国国教会の教区聖職者 (vicar) の息子として生まれ、オックスフォード大学で学び、父親と同じ聖職者の道を選びました。社会的には上層の中流階級(Upper-middleclass)に属すると言えるでしょう。この説教集の中におさめられている説教には、オックスフォード大学のある学寮の礼拝で行われていた説教や、法曹関係者の前で語られた説教も収録されています。けれども多くの説教は、メソジスト派の会衆に向けて語られたものであると思います。メソジスト派の集会に集った人々の多くは、産業革命の時代にあって、英国国教会の既存の教区教会がフォローし切れなかった、都市の労働者階級であったと言われます。地方では炭鉱労働者なども多くいました。ジョン・ウェスレーの説教には階級を乗り越える力があったのだと思います。


 ところがウェスレーの説教は、あまり教育を受けていない人々を対象にしていたことが多かったと思われるにもかかわらず、一貫して論理的に組み立てられており、神学的であると思います。信仰義認の教理(人が神の前に義と認められるのは、ただキリストを信じる信仰によるとの教理)についての説教では、「義認とは何か」を話す前に、義認を支える総合的な土台を聖書全体から解説しています。(『説教53』134-138頁)つまり聖書で教えられている事柄を、論理的に構成して説教を語っていました。ウェスレーの関心は神学の中でも救済論(人の救いについての教理)に集中していました。聖書のメッセージの中で、最も緊急性の高い、最も重要な事柄に焦点を絞っていたからなのでしょう。その集中の理由は、彼の聴衆の必要や彼の時代のキリスト教会の課題とも関連していたのかもしれません。救いの恵みを知っているにもかかわらず、それをしっかりと受け取っていないと思われる人々が、当時の英国に多くいたからなのだと思います。


 この説教集を読んで、何よりも驚かされるのは、ジョン・ウェスレーがいかに聖書を隅々まで読み、記憶していたかということです。各説教は、それぞれ明快なテーマをもつ段落に分けられるのですが、各段落で語られている一つのテーマについて、ジョン・ウェスレーは、それに関連する聖書箇所を、旧新約聖書を問わず、様々な箇所から選び出して、引用しています。彼は意識的に、読まれることの少ない旧約聖書の預言書の言葉や、新約聖書の書簡の見落とされがちな箇所を取り上げているように見受けられます、それだけを見ても、ジョン・ウェスレーの聖書についての知識の広さと深さに感銘を受けます。ウェスレーの説教は、しばしば聖書の言葉をつなぎ合わせるようにして組み上げられています。ウェスレーにとって説教を語るとは、多くの場合、心に蓄えられた聖書の言葉を次々と紡ぎ出して行く営みであったようです。


 またウェスレーの説教は釈義的だと思います。説教10「聖霊の証し(1)」は、当時メソジスト運動が熱狂主義であると批判していた人々に対する反論を意図した説教です。説教の聖書箇所は新約聖書ローマ人への手紙8:16ですが、この箇所を、ギリシャ語テキストの異読にも目を配りながら、欽定訳聖書のThe Spirit itself beareth witness with our spirit, that we are the children of God(「御霊ご自身が私たちの霊とともに、私たちが神の子らであることを証しされます。」)ではなく、ウェスレーはむしろ「同じ御霊が、私たちが神の子どもであることを私たちの霊に証ししてくださる」と訳します。そのように翻訳することで、彼は、御霊の証しを、私たちの霊(=理性)による内的な証しに吸収させて理解し、聖霊の働きによる信仰の確証を軽視する人々に反論しているわけです。(『説教53』[上]、250-51頁)ウェスレーは、信仰の内容を、ギリシャ語新約聖書に基づいて確立しようとしていた説教者でした。


 そしてウェスレーの説教は、聴衆の内面的・霊的必要に応えることを重視している点に、もう一つの特徴を見出すことができるのではないでしょうか。社会的な階層がどうであれ、人の信仰心は基本的には変わりがありません。信仰者は何よりも神様に信頼して生きるとはどういうことかを知りたいと願います。神様が自分の人生をどのように導いて下さるのか期待しつつ聖書の言葉に聞きます。何が神様の喜ばれる生き方かを考えます。この世で報われなくても神の前に正しい人生を歩もうとします。予期せぬ恵みを受けていると感じる時には喜びます。身の回りに起きていることには神様の視点から見てどんな意味があるのかを聖書に照らして理解しようとします。ウェスレーは、そのような人々の敬虔な願いに応える説教を語り続けたのではないでしょうか。


 最後になりますが、取手キリスト教会は、現在日本福音キリスト教会連合という団体に属しています。この団体は、いわゆる福音派の教派の一つです。日本の福音派のルーツは、主に二人の人物に遡ることができると思います。一人はイングランド人のB. F. バックストン。もう一人は中田重治です。バックストンは英国国教会の福音派(Evangelicals)の伝統に属し、中田重治は、シカゴ聖書学院(後のムーディー聖書学院)への留学中にアメリカのホーリネス運動の影響を受けました。英国の福音派とアメリカのホーリネス運動の共通の源は、18世紀にジョン・ウェスレーの指導によって興隆したメソジスト運動にあります。ジョン・ウェスレーの聖書の学びへの熱意、聖さへの渇望、そして救霊のための行動は、彼に感化された人々を通して、日本の福音派の伝統にも影響を与えて来たことと思います。彼の信仰と神学を学ぶことは、日本の福音派に属する者が、自らの信仰の伝統を理解するために必要なことではないでしょうか。

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